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第15話

「わしらを蝕む呪いは、“知恵をつけた分だけ石になり、最期には砕け散る”というものじゃ」

 静かに紡がれる言葉には、年老いた者特有の重みがある。知識と魔術に長けた者たちを束ねている長の口から発せられる声は、どこか頭にすっと沈み込むような、言い知れぬ力をサイたちに感じさせていた。

「これまで数え切れぬほどの魔術師が石像となり砕けていった。……先代の長も、そうじゃった」

 長がまだ今の立場ではなかった頃のことだ。老いた魔術師も、若い魔術師も、誰もが少しずつ石像へと変わっていき、最期には砕けていた。彼の前に長を務めていた魔術師もまたそうだった。

「わしは、先代から様々な知恵と魔術を受け継いだ。もちろん呪いのことも」

 日を追うごとに石へと変わっていく恩師を見届けなければならない悲しみの中で、彼はひたすらに学び続けた。そうすることが恩師や仲間を救う手がかりを見つける唯一の手段だと思っていたからだ。

「じゃが、あの日……わしの前で、長は砕けてしまった」

 彼が教えられる側から教える側になってしばらくが経った頃に、先代の長はいよいよ起き上がることもできないほどにその身を石へと変えられていた。ほとんど石像が喋っているような状態の先代を前に、彼は言葉を失った。

「あのとき言われた言葉は、今でもはっきりと思い出せる。“あとは頼んだ”――そう言って、わしの目の前で砕けていった。心臓まで石になってしまったんじゃよ」

 真っ直ぐに自分を指さしていた先代の手がみるみるうちに崩れていく光景を思い出し、彼はふうと息を吐く。もう何十年も昔のことだというのに、あの恐ろしい瞬間の記憶は少しも褪せることなく、彼の脳に刻まれていた。

 指を組み、長は目線を落とす。自分の指先がまだ石ではないと確かめているようだった。

 彼の話を聞いて、サイはとある疑問を抱いていた。呪いが進行する原因を知っているのなら、どうして彼らは学び続けるのだろう。サイからすれば、罠だと分かっていながら貴族の屋敷へ忍び込むようなものだ。

「……ならば知恵をつけなければよいではないかと思うじゃろう?」

 サイの疑問を見抜いたのか、長は自嘲気味に笑う。小さく頷いたのはサイだけではなかった。リヤも神妙な面持ちのまま、こくりと首を縦に振っていた。

「知恵と魔術の神であるオーディン様を信仰する魔術師であるわしらは、学ぶことをやめるなどできないんじゃよ」

「でも……あなたたちは石になってしまうのよ」

「それでもじゃよ」

 声を震わせるリヤに、長がゆるりと首を振る。

「わしらにとって呪いは、どれだけ学んだか、どれだけ知恵をつけたか示すものじゃった」

 歴戦の戦士が傷だらけであるように、彼らは呪いに蝕まれた箇所が広ければ広いほど、知恵の多さを示す勲章だと考えていた。遙か昔、彼らの祖先が石になり始めた頃からずっと、その認識は呪いとともに受け継がれてきたのだ。

「先代は……いや、先代だけではない。この街の魔術師は石になる最期の瞬間まで笑顔じゃった」

 全身を石へと変えられながらも、魔術師は学ぶことをやめなかった。心臓が石になるその瞬間まで、彼らは己の末路を誇りに思っていたのだ。

 そして、砕けていった仲間を弔う人々は、その死を悲しむどころか呪いに命を奪われるまで学び続けたことを称えていた。長の恩師も、その恩師もまた、そうして石となる姿を見届けてきたのだ。

「……自らを犠牲にしてまで知識を求める。かつてオーディンも同じように、知恵や魔術の代償として自らを差し出したと聞いています」

 ラクシュミーが呟く。彼女は神話や言い伝えなどではなく、実際にオーディンのことを知っていた。彼らの信仰する神は、知識のためならば自らの右目やその命まで対価としようとしたのだ。オーディンを信仰する魔術師たちを尊敬すると同時に、彼女は悲惨な末路を迎えるであろう彼らの運命を嘆いていた。

「彼らは……きっとオーディンと同じであることに誇りを抱いているのでしょう。ですが、呪いに身を蝕まれることは、相当な苦痛のはずです」

 サイの頭に、ラクシュミーが悲しげに俯く姿が浮かぶ。彼女は人々を守る神であったが故に、人間が苦しむ姿を見てはいられないのだろう。

「哀れだと、お思いかな。指輪に宿る女神よ」

「私を感じ取れる……? この老人は、どこまで……」

「おい……なんで分かるんだよ」

「ら、ラクシュミー様のことを知っているの?」

長が、サイの右手を見つめながら言った。彼の言葉にラクシュミーだけでなく、サイやリヤまでもが驚いていた。ラクシュミーが語りかけたり、指輪を嵌めていたりするときとは違う。長には彼女の存在どころか指輪さえも見せたことがない。それなのに彼は、まるでラクシュミーの声が聞こえているかのようだった。

 突然の反応に驚く2人の姿が愉快なのか、長は伸びた髭を揺らして笑う。孫と遊ぶことが楽しくてならない老人が浮かべるような、計略や悪意のない、純粋な笑みだった。

「なあに、ただほんの少しだけ指輪から伝わる力に“波”があっただけじゃ。それ以外は何もわしには分からんよ」

「十分すぎるぜ、じいさん」

「驚いた……魔術師はみんな、指輪のことが分かるのかしら」

「いいや、そうでもない。わしや、ルイーナのようにごく一部の優れた魔術師でなければその力に気付くこともできんじゃろうな」

 テーブルの上で指を組み、長は答える。そして自らの指先を見つめて唇を僅かに動かしてから、再び口を開いた。

「……おぬしらを追い返そうとした魔術師は、シラといっての。オーディン様を深く信仰しておる、いい若者じゃ」

 2人の脳裏にあのリーダーらしき男が浮かぶ。

 シラは街の呪いについて、それが自分たちの運命ならば仕方がないと考えていた。むしろ、他の魔術師と同じように、知恵をつけただけ石になるというのなら石像になる最期は魔術師にとって誇り高いものと思っているという。同時に彼は自身が魔術師であることに誇りを抱いており、資格のない者が塔に入ろうとすることを許せなかった。

「オーディンの塔に魔術師以外が入ることは、自分たちの領域に土足で踏み入られていると感じるのじゃろう。それだけあやつはこの街を愛しておるんじゃ」

「彼も必死だったのかもしれないわね……。私たちのほうこそ、無遠慮に踏み込んでしまってごめんなさい」

「そうか、そうか……おっと、話しすぎてしまったのう。わしはそろそろ帰らねばならん」

 ふと時計を見上げ、長は椅子から立ち上がる。玄関へと向かう彼を見送るために2人も立ち上がり、その後ろを追いかけた。

「そうじゃ。明日、蔦のよく茂った塔に来てくれんかの。そこがわしの……代々の長が住まう家じゃ」

「ええ、分かったわ。でもどうして?」

「今一度、シラと話し合う必要がある。おぬしらにはそこに立ち会ってほしいのじゃよ」

「私たちが一緒にいてもいいのかしら」

 ぎい、と木製の扉が開かれる。宿屋の外へ体を半分ほど出した長が、リヤに向かって微笑んだ。

「おぬしらだからこそじゃよ」

 それだけ言うと、長は2人に背を向けて歩いていく。だんだんと小さくなっていく背中は、会話をしていたときの理知的な老人というよりも、年相応の老いを感じさせた。

「ねえ、サイ。私たちだからこそ、ってどういうことかしら」

「さあ」

 首を傾げたリヤに尋ねられ、サイはゆるりと首を振った。彼だって長の言葉の意味が分からなかった。神の力を宿す指輪を持っているからか、それとも部外者だからか。どれも正解なように思えるし、間違っているようにも感じる。結局のところ真意はあの老人にしか分からないのだろうと、サイは思考の海から抜け出した。

「それより腹が減ったな。飯でも食おう」

「はあ……少しぐらい真剣に物事を考えたら? もしかしたら秘宝を手に入れられないかもしれないのよ」

 ぐうと腹を鳴らすサイに、リヤはため息をついた。街に入った途端よそ者だと追い出されそうになっているというのに、何故彼がここまで呑気なのか分からなかった。

「俺はいつ飯にありつけるか分からない生活をしてたんだ。腹を満たすことを優先するのはクセみたいなもんなんでな」

「だ、だからって……」

「俺は俺なりに考えていることがある。それを真っ向から否定するのはやめてもらいたいね」

「っ……わ、分かってるわよ」

 吐き捨てた言葉は、リヤだけに向けたものではなかった。右手の中指で輝く黄金の指輪。人々からすれば素晴らしい神なのだろうが、今のサイには自分の領域に踏み入り、これまでの生き方を否定してくるようにしか思えなかったのだ。

(……ま、あんまり善人ぶるなよってことだ。誰だって善行ばかりしてるわけじゃないしな)

 心の中で呟き、サイは宿屋の主人を呼ぶ。考えることが多すぎて、とにかく腹が減っていた。今日は肉が食べたいと思いながら、彼は頭の片隅で老人のことを思い浮かべるのだった。


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