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第12話

 地図が示すとおりに歩き始めてから数十分も経つと、周囲の景色はかなり変わっていた。風は砂粒を巻き上げなくなり、足元には柔らかい草や湿った土が広がっている。すっかり砂漠の面影がなくなった道を歩いていると、自分たちがラクシュミナガルからかなり遠い場所まで来たのだと実感させられた。さくさくと草を踏む足音も、足裏に伝わる砂以外の感触も、未だに慣れないものだった。

「この辺りはもう砂漠じゃないのね」

 ぽつりとリヤが呟く。彼女の声には違う世界に来たという喜びと、僅かな郷愁が込められている。「そうだな。馬もいくらか歩きやすそうだ」

 リヤと荷物を載せて歩いている馬は、彼の言葉に同意するかのように小さくいななく。手綱を引くサイの言うとおり、馬は細かな砂に足を取られるよりも、しっとりとした地面を歩くほうが楽なようだった。

「……ねえ、石になってしまう呪いって、どんな感じなのかしら」

「どんな感じって、どういうことだ?」

 独り言のように発された言葉に、サイは片眉を持ち上げる。馬が草を踏みしめる音とほとんど変わらないほど小さなリヤの声が、不安混じりの言葉を紡いだ。

「石になるって、痛いのかしら。どうして呪われてしまったのかしら。さっきからずっと、そんなことばっかり考えてしまうの」

 石になり、砕けてしまった恋人の破片を形見としているルイーナを思い出したのか、リヤの表情は暗かった。今まで呪いなどという恐ろしい存在に触れたことのなかった彼女にとって、あの光景は衝撃的だったのだ。

「そんなこと、俺たちに分かることじゃないだろ」

 ため息をついてから、サイは口を開く。彼も呪いについて知ったときには衝撃を受けたが、ぐるぐると思い悩むことはなかった。殺しこそしてこなかったが、それなりに危険な日々を送ってきた彼にとって、心配や不安は慣れたものだったのだ。しかし、リヤが思考を切り替えられるわけではなかった。それを知ってか、サイは少しの間言葉を探してから、どこかぶっきらぼうに、それでいて仲間を励ますときのように告げる。

「……今は秘宝を見つけることだけ考えていればいいんじゃないか。何も俺たちが呪われてるわけじゃない」

「そう、よね。……元気づけてくれたのよね。ありがとう」

「別に。辛気臭い旅よりはマシだと思っただけだ」

 こちらを見もせずに話し続けるサイに、リヤは思わずくすりと笑う。どこか冷酷なところがあるように思える彼に励まされたことが少しだけ嬉しかったのだ。気付けば暗くなっていた表情は明るいものへと変わり、視線も上向きになっている。それが功を奏したのか、彼女は遙か遠くの地平線に何かを発見した。

「……あ!」

「どうした」

「遠くに街が見えるわ」

 サイよりも視点が高いリヤの見る先には、ぼんやりとではあるが建物が並んでいる。霧のようなもので覆われ、じっと目を凝らさないと見えないような景色に彼女はルイーナの言葉を思い出していた。

 地図を手渡されたとき、サイはルイーナからとある助言を聞いた。それは彼女の故郷についての秘密であり、同時に住民だからこそ知っている貴重な情報だった。

「“ソーサラー・ガーデンは魔法の力で隠されている”。……きっとあの街がそうなのよ。ほら、あそこ」

 魔術師の街であるソーサラー・ガーデンは、そこへ向かう確固とした目的を持つ者の前に姿を現すという。それは、不要な来訪者を防ぐための防壁であると同時に、それだけの意思を持っているか確かめる関門のようなものだった。サイたちは事前にルイーナから情報を得ていたためこうして街を発見することができたが、彼女の助言がなければ何日も迷うことになっただろう。それだけ街と街の守護神であるオーディンは強力な存在なのだった。

「……あれか。なるほど、確かに探そうとしない限り見えないな」

 リヤの指さす先を見つめると、少しずつ街の姿が見えてくる。街に気付いたサイは、馬の手綱を握り直し、霧の中に浮かぶ目的地へと歩き始めた。

 街へと近付くにつれ、霧は彼らを出迎えるように晴れていく。見えてくる景色はまるで世界から切り取られたかのように幻想的であり、そして歴史を感じさせるものだった。建物はどれも古い石造りで、所々が緑色に見えるのは苔や蔦に覆われているからなのだろう。煙突らしき細長い建造物からは細い煙が漏れている。まだ街に入ってすらいないというのに、2人はどこからか漂う神秘的な空気に圧倒されていた。

 最も驚いたのは地上ではなく、空の景色だった。うっすらと空を覆う霧の隙間から陽の光が差し込んでいる。それに照らされて浮かび上がっているのは、故郷ラクシュミナガルには絶対に存在しなかった、まさに魔法の世界だった。

「嘘……本当に塔が空中に浮かんでるわ……!」

 リヤが感動のあまり口元に手をやりながら呟く。彼女につられて空を見たサイも、同じようにあんぐりと口を開いていた。

「正直、誇張してるのかと思ったが……まさか本当に浮かんでるとはな」

 見上げた空には、いくつもの塔が浮かんでいた。周囲の地面ごとふわふわと浮いている塔はどれも地上の建物より古く、そして威厳を感じさせる。街の中心らしい場所にはひときわ高い塔が浮かんでいるが、最上階は雲に包まれて見えなかった。

 伝書鳩と思しき鳥たちが、塔と塔の間を軽快に行き来していた。開かれた窓から飛び出していく鳩たちは、少しの迷いもなく目的の塔へと向かい、同じような作りの窓から中へと入り込んでいる。地上の人々はごくありふれた生活を送っているのに対し、空に浮かぶ塔という乖離した光景は想像以上の感動を2人にもたらした。

 暫くの間景色をぼうっと眺めていた2人に対し、ラクシュミーは静かに告げる。彼女は街の景色が見えていないのか、それとも人知を超えた存在であるが故に慣れたものなのか、大きな反応を示しているようには感じられなかった。むしろ2人を現実に引き戻すように、その声は真剣だった。

「この街全体から、禍々しい気配を感じます。何が起きるか分かりません。気を付けて」

「例の呪いってやつか」

「……ラクシュミー様、この街は本当に呪われているのでしょうか?」

「ええ、リヤ。ルイーナの恋人だった石に感じたものと同じ……いえ、それ以上に強い気配が伝わってきます。この地に呪いの根源があるのでしょう」

「っ……そう、なのですね」

 不安そうに表情を曇らせるリヤは、街の住民を案じているようだった。その一方でサイは中心部の塔をじっと見つめている。ラクシュミーは彼が何を考えているのか理解していた。

「足を踏み入れて分かりました。この街には間違いなく神の力を宿した秘宝があります」

「やっぱりな」

「そして、宿っている力は……魔術の神、オーディンのもの」

「どうせあの塔にあるんだろ? あからさまに目立ってるしな」

 にやりと笑みを浮かべたサイに、ラクシュミーは無言で肯定する。

 彼が見つめる先には、街の中心でひときわ高く浮かんでいる巨大な塔があった。壁面は蔦で覆われているが、あまりにも高く建造されているからか雲に隠れている位置の近くには緑が見えない。所々に作られている窓は開かれているが、鳩たちが出入りしている様子はない。まるで、限られた者のみが入ることを許されているような威厳を放っていた。

 既に彼の思考はどうやってあの塔に侵入して秘宝を手に入れるかについて回転を始めていた。空中に浮かんでいようが地上の建物を使えば登れないことはないだろう。屋根を伝い、より高い場所まで移動してから塔の地面を登ればいい。地面ごと浮遊しているなら植物の根が伸びている場所があるかもしれない。まずは下から観察し、詳しい情報を得るのが最優先だと彼は結論づけた。

(運がよければ何かくすねることもできそうだな。次の街で売れそうなものがあればいいが)

「……必要なもの以外を手に取ることは許しませんよ」

(おいおい。俺はいつでも必要なものしか手にしてないぞ)

「正当な手段で得るならば何も言いません。盗みはいけないと言っているのです」

 心を見透かしたように釘を刺してくるラクシュミーに、サイは呆れてしまう。神であるが故かいつも小言を言う彼女に半ばうんざりしていたが、指輪を外すことはリヤとの契約を反故にしてしまうことになる。いくら盗人であるといっても約束を違えるほどサイは落ちぶれていなかった。

 それに、かつて彼女が口にした言葉をサイは忘れていない。もしもここでリヤと別れてしまえば、自分だけではなく仲間に与えられるはずだった報酬も手放してしまう。それではロキに唆されて仲間もろとも操られかけてしまったことへのけじめにならないと、サイは考えていた。

(言っておくがな、俺は遊びでこういうことを考えてるわけじゃないんだ。至って真面目だからな)

「分かっています。ですが、やはり正しい行いをすべきだと私は思うのです。あなたの心が清らかだからこそ忠告しているのですよ」

(はいはい。そりゃどうも)

 ラクシュミーとの会話を断ち切り、サイは再び街と塔を見渡す。すると、こちらへ近付いてくる人影が見えた。深緑色をした、やや古めかしいローブを身に纏った彼らは、見たところこの街の住民のようだった。

「誰か来るぞ」

「そうね……ここの人たち、なのかしら」

「……だろうな」

 先頭にいる人物に率いられるように、ローブの人々は真っ直ぐに歩いてくる。そのとき、塔の間をひゅう、と風が駆け抜けていった。風は塔の壁を撫で、蔦を揺らす。地上の街ではなんでもないように人が歩き、風見鶏がくるくると踊っている。

 ローブが風を受ける。広がった深緑の下に、彼らが身に着けている衣服が見えた。ほんの一瞬のことであったが、2人は確かに見てしまった。普通の人間には想像もできないような、恐ろしい“それ”を。

「ッ……!」

 リヤが息を飲む気配がする。目線を向けなくともサイには彼女が目を見開いている姿が容易に想像できた。そして、彼の視線は一点へと注がれる。風がひゅるりと通り抜ける。そのたびにローブが僅かにはためき、彼に事実を突きつける。

(あれは……いや、見間違いなんかじゃない……!)

 2人は気付いてしまった。――ローブの下に見え隠れする彼らの腕が、所々灰色の石へと変わっていることに。異質で恐ろしいそれは、この街に根付いた恐ろしい呪いが実在すること、そして人々の苦しみが現実であることを何よりも知らしめるものだ。しかし、その景色はソーサラー・ガーデンを覆う邪悪に触れるほんのきっかけにすぎなかった。

 古より浮かぶ塔に、呪いと言う名の巨大な蛇がとぐろを巻いている。獲物を少しずつ締め上げ、やがて丸呑みにしてしまおうとするように、呪いは少しずつ確実に街と人々を蝕んでいた。

「やはり……彼らは、呪われて……」

 ラクシュミーの重々しい声がサイの頭に響き渡る。

 相打ちになった神と魔王の織りなす呪いと奇跡の物語は、まだ始まったばかりだっだ。


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