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第6話

  地下室を照らしていた光がぷっつりと消える。瞬きすると、蓮華とその上に立つ女神もいなくなっていた。目の前にある女神像はぴくりとも動かず、静かな笑みをたたえている。だがサイの瞼には、あの神々しい女神の姿がはっきりと残っていた。

「は……?」

 部屋に散らばっていたはずの壊れた装飾品たちが元の形に戻っていることにサイは気付いた。粉々になっていたはずの宝石も、千切れてばらばらになっていた首飾りも、床に転がってはいるが、形を取り戻しているのだ。

 薄い暗闇へと戻った部屋の中には、何が起きているのか分からず声を漏らすサイと同じように、仲間たちや少女がぽかんとしてその場に立ち尽くしている。彼らはきょろきょろと部屋を見渡し、それまでの変貌が嘘のように首を傾げていた。

「あれ? 俺ら、何してたんだっけ」

「うわっ、な、なんでこの子の腕を掴んでるんだ?」

「お、おいっこの子砂漠の薔薇じゃないか!? なんで俺ら、この子の手を……」

 面識のない少女の、しかも街の有名人の手を掴んでいることに気付き、仲間たちは慌てて手を離す。少女はいきなり解放されたことに驚いていたが、すぐに彼らから距離をとるとサイの元へと駆け寄った。

「あ、あなたが助けてくれたの……?」

「あー……どう、だろうな」

 少女からの問いに、サイはどう答えるべきか迷っていた。指輪が持つ不思議な力のおかげと言ったところで彼女が信じるとは思えない。それよりも少女に盗賊だとバレてしまったことの方が、今は重大な問題だった。どう言い訳したところで通用しないだろう。仕方ない、とサイは正直に白状することを選んだ。

「それより、もう気付いてるだろうが……俺は盗賊だ。用心棒なんかじゃない」

「分かってたわよ」

 さらりと発せられた言葉に、サイは目を見開いた。

「なっ、まさか最初から……」

 今度はサイが驚く番であった。彼女は最初からサイを盗賊だと分かっていたのだ。ならば何故出会った時点で用心棒を呼んだり、逃げようとしなかったのか。彼の疑問に答えるように少女は口角を持ち上げる。賢さと慈悲の色を含んだ赤紫の瞳が、まっすぐにサイを見つめた。

「普通の盗賊なら見つかった時点で口封じをしているでしょう? でもあなたはそうしなかった」

「それは、無関係な人間を巻き込むのは面倒だと思ったからだ」

「あなた、本当はすっごく優しい人でしょ。そうじゃなかったら奥に隠れてろなんて言わないわ」

「……そりゃどうも」

 頭を掻きながら呆れたようにサイは呟いた。ここまで人を信じきっている人間などそういないだろう。善良を絵に描いたような両親によほど大切に育てられたに違いないと、彼は納得した。

「そうだ。助けてもらったお礼に、安全に出られるように案内してあげる。でも、その袋の中身は置いていってね」

 仲間たちの間を通り抜け、地下室と地上を繋ぐ階段へと歩きながら少女が言った。未だに状況が理解できないのか部屋を見渡して首を傾げていた彼らは、それぞれが持っている袋の中に装飾品が詰め込まれていることに気付くと慌てて中身を戻し始めた。

「なあサイ。俺ら、何をしていたんだっけ」

「なんか……金儲けになる話を聞いた気がするんだけど、思い出せないんだよ」

「お前ら、何も覚えてないのか?」

「何も、って……サイは何か知ってるのか」

「……いいや、俺もよく分からない」

 屋敷に入る前から今までの記憶がすっかり抜け落ちているのか、彼らはしきりにサイへ声をかけている。だがサイも曖昧な言葉ばかりを返すため、次第に彼らは夢でも見ていたのかもしれないと思うことにした。

 実のところ、サイは屋敷で起きた出来事をはっきりと覚えている。仲間たちは自分が欲望に支配されていたことも、指輪の光に包まれたことも覚えていない。その違いがなんなのか、彼はなんとなく理解していた。

(思えばこの指輪のおかげで我に返ったんだ)

 自分が欲望に飲み込まれそうになったとき、指輪が反射した光を見たことで理性を取り戻した。仲間たちは光を見なかったために我を失ったのだ。もしもあのとき光に気が付かなければ、サイ自身も欲に駆られてリヤを捕らえるだけでなく、彼女の両親にまで手をかけていたかもしれない。

 そして、彼は我を失わなかったからこそ、全てを覚えている。

(人殺しの盗賊だなんて、弱者を痛めつけて喜ぶ悪人だ。指輪は俺たちがそうなるのを防いでくれた)

 偶然とは思えなかった。まるで何か見えない力が自分の運命を動かしているような感覚があった。しかし、あまりにも非現実的なことだろう。指輪に宿る女神の力が、仲間と自分を救ったなど、実際に体験したとはいえ素直に信じることはできなかった。

「さあこっち。あんまり人が出入りしない、裏口から出ていくといいわ」

 地下室を出て廊下を進みながら少女が呟く。仲間たちはいつの間にか屋敷へ侵入していただけでなく腕を掴むという無礼を働いた自分たちを出口まで案内してくれる少女に感謝しているようだった。

 一方、サイはぐるぐると思考の渦を掻き回していた。仲間たちは何も覚えていない。人間の記憶を操作するなど、それこそ神でないと不可能だろう。事象をなかったことにするのだってそうだ。そして、そのどちらもサイには適用されなかった。

 蓮華の女神と指輪のおかげで記憶を失わずにいることは理解できている。だが、疑問は次から次へと湧いてくる。“何故指輪は自分を助けたのか”、“何故声が自分だけに聞こえたのか”。そして、“仲間たちや自分を狂わせようとしていたのは誰なのか”。答えが見つかるようで見つからない歯痒さを感じながら、彼は少女と盗賊という奇妙な列の最後尾を歩いていた。


 少女に案内されたのは使用人が使うような出入り口だった。豪華な装飾が施された柱が立っていたり布が垂れ下がっていたりなどはないが、サイのように路地裏で生きる者からすれば十分すぎるほど綺麗な場所だ。彼女の生きる世界と、自分の生きる世界は違う。その隔たりを実感しながら、サイは裏口の門をくぐった。

「悪かったな、お嬢さん」

「まあ、お嬢さんだなんて。これに懲りたらもう忍び込まないでね」

 少女に見送られ、サイたちは屋敷を後にする。既に空の彼方は白くなりつつあった。もうすぐ朝が来るのだ。地下室にいたからか、時間の経過に気が付かなかった彼は空を眺めて目を細める。その横で、仲間たちが不満そうに声を漏らしていた。

「はあ……それにしても、腹減ったなあ」

「袋に入ってた品物、1つぐらい盗んでもバレなかったんじゃないか?」

「おいおい、普段のスリとは違うんだぞ。目の前で盗んだらバレバレだ」

 空っぽの袋を掲げ、仲間たちはため息をつく。袋に詰め込んでいた装飾品は、全て地下室に置いてきたのだ。何故自分たちがあそこにいたのか分からないとなれば、下手に盗みを働いても足跡が残ってしまうかもしれないと考えた結果だった。

(あっ!)

 仲間たちの言葉にサイははっとする。彼は考えごとをしているのに夢中で、指輪を彼女に返していなかったのだ。今更返しに行こうにも既に屋敷からはだいぶ離れてしまっている。それに、夜明けとなれば見張りだけでなく街の住民も目を覚まし、より見つかる危険性が高まってしまう。

(仕方ない。明日、こっそり忍び込んで返そう)

 自分1人で忍び込めば、見つかることはないだろう。万が一誰かに姿を見られたとしても、サイだけならばなんとか身を隠し、逃れることはできる。彼女は指輪に対してかなり執着――何かとても大切らしい様子を見せていた。なるべく早く返さなければと思いながら、サイは路地裏へと入っていく。

「俺はもう寝る。明日、どっかのキャラバンからパンでもくすねてやるかあ」

「それがいいな。ついでに水もそろそろ足りなくなりそうだ」

「ようし、そうと決まればさっさと休むぞ」

 路地裏の奥の奥、誰も住んでいない廃墟。そこがサイたちの拠点だった。壁や窓は所々壊れているが、骨組みはきちんと残っているため雨風をしのげないことはない家をサイは気に入っている。そして、廃墟の最上階、破れた屋根に大きな牛の革を被せた屋根裏部屋と呼ぶべき場所がサイのスペースだ。

 仲間たちは既に自分のスペースへと戻り、体を休めている。サイもまた寝床へ体を横たえた。

 屋根の隙間から差し込む光が、中指の指輪を照らす。ランプではなく陽の光を反射して輝いている指輪は、手を傾ければきらきらと赤い宝石が瞬いて美しい。

「綺麗だな……」

 ぽつりと呟かれた声には、欲望の欠片もない、心からの感嘆があった。


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