ネージュは、扉の前に立つ。近衛が心配そうに見て来るのを微笑んで往なす。別に大丈夫なのに、優しい人たちだ。あの文官も優しい。今、ネージュは誰かの優しさの上で生きている。そのことを実感した。
扉周りを見て、小首を傾げる。扉に触れても、異常な魔力を放つようなものはないように見受けられた。
「扉のところに異常なさそうね…。最近、不審な人物見たりしてないですか?」
「はい」
「う゛ーん。なんだろう、不審な物も届いたりもしていない?」
「それは、侍女たちに聞いた方が良いかも…」
「ですよねえ」
「入られますか?」
部屋の中に人の気配はある。緩く立つ魔力の揺れを感じながら、ネージュは扉を睨んだ。入るかどうか悩んでいるわけではない、いや正直悩んでる。ジェラールのあとに入るのだからきっと視線が痛いことだろう。それは想像で、でも現実でもそうだと思う。
「開けましょうか?」
「お願いします」
「はい、開けますね」
近衛は微笑んで、三回ノックして扉を開ける。扉が開いた途端、中に居た侍女たちの視線がネージュに向けられた。おお、これはまたキツい気がする。
「失礼いたします」
「…何かしら?」
「少しお伺いしたいことがありまして」
「へえ?」
部屋に一歩入る。視線の圧と、不思議な感覚。ネージュに、かすかに反発するような感覚。これは、ずっとなかったものだ。ネージュは訝し気に向けられる視線に気づかないフリをして、部屋の中を見渡す。ふと、一人の女性と目が合った。
「あの、先ほどいらっしゃらなかったと思うのですが」
「わ、わたしですか?」
「はい」
「先ほどはどちらに?」
「先ほど、ですか…?洗濯物を洗いに…。えっと、私が何か?」
「いえ。先ほどお見掛けしなかったので」
ふわりと笑って、ネージュは目を逸らした。あの侍女が、ネージュに不審な感情を抱くたびに、反発感が強くなるのが手に取るように分かる。魔力の揺れが人一倍大きいのも、きっと彼女だろう。
「不審な物が届いたりしてないですか?」
「ええ、なにも」
侍女たちは強気な態度に、ネージュは苦笑いを浮かべる。強気なのも、別に良いけれど。一歩を踏み出して、エルネスタの眠る寝台の傍に立つ。
「異常はないみたいね」
スースーと穏やかな寝息を立てて眠るエルネスタを見てから、背中に突き刺さる視線に振り返った。目じりをほんのりと釣り上げた侍女と目が合って、口を開く。
「あなたはクロヴィス団長とご結婚されているとか?」
「え、えぇ」
「へえ」
二度目の『へえ』いただきました。でも、その言葉に何かが込められているような気がして、ネージュには居心地が悪かった。
何処に陛下の耳がいるか分からないから、きっとそれ以上は言わないのだろう。多分『どうしてあなたがクロヴィス団長とご結婚したのかしら。うちのエルネスタ様が結婚した筈なのに』が出て来ると思う。あながち間違いじゃないと、あの文官の口振りでも分かっている。
「あの、また来ます」
「ええ、いつでも」
ネージュは頭を下げて部屋を出た。何も得られなかった、というわけではない。一先ず、侍女の身元を洗わせてもらおう。
「…大丈夫でしたか?」
「え、あ、はい!」
「そうですか、なら良かったです」
小さく微笑む近衛たちに、ネージュの顔も少し緩む。声が聞こえていたのか、さっきよりも心配そうな顔をしていた。
「あの、宰相様か陛下の執務室はどちらに…?」
「この上の階に執務室はありますよ。宰相殿の部屋も並んでいるのですが、大体は同じ部屋にいらっしゃいます」
「そうなのですね。ありがとうございます。上に行ってみようと思います」
はい、と頷いた近衛にお礼を伝えてネージュは待っていたヴェーガと共に歩き出す。上の階かあ。少し歩かなければならない。
けど、その間に思考の整理が出来る。
「ふー…考えるかあ」
エルネスタのアレは‘病’ではないことは、確実なものとしても良いだろう。流行り病でもないし、土地柄あるような病でもないのは、医者たちの言葉から分かる。
延命の魔術が、体力の減少を抑えていたとする。それは魔術に効果が出ているということ。つまり、‘治すところがない’わけではない。
‘治す’ことが出来る別物があるとしたら。治癒魔術という光の魔術が届くものがあるとするならば。
「黒魔術かあ…。やっぱり、そう考えるのが妥当よね…」
考えたくなかったとネージュはこめかみを押さえる。足を止めて、廊下の端に寄ってうつむく。黒魔術と仮定して、人を呪ったとして、呪うための道具はなんだ?それを考えなければ、取り除くことも儘ならない。
――返す術を、ネージュは知らない。
『白雪は知らなくて良いんですよ』そう言って、ネージュの目を覆った隣人が記憶のなかで笑う。隣人さん、どうして教えてくれなかったんですか。隣人さん、どうして。
「隣人さんの馬鹿…」
小さくひとりごちて、ネージュは歩くことを再開した。上の階に上がって、近衛がいる部屋を探せばいい。そう思っていると、しっかりと近衛が二人立っているのが見えた。
「あの、ネージュ・クロヴィスです。陛下にお会いしたいのですが」
「はっ、お伺いしております」
城内に通達をしてるの、こんなにも早いなんて凄いな。開けられた扉の向こうで、頭を抱えた国王と正面に書類を持って立つ宰相の姿が見えた。
「…えっと、お邪魔でしたでしょうか?」
「あぁ、クロヴィス夫人。大丈夫ですよ」
「ネージュか!!何か進展はあったのか?!」
「まだ推測の段階なので、なんともいえないのですが。王妃様の所にいらっしゃる侍女の身元を教えていただこうと思いまして」
「侍女たちの?」
「はい」
ネージュの返答に、国王は絶望したような面持ちになる。それを見ていた宰相が少し悩んだような素振りをする。そんな悩む素振りをしなくたって。
「良家の娘たちを選出しているのですが、何か不審な点でも?」
「…まあ、一番身近な存在から調べておこうと思いまして」
「でしたら、書類をすぐに用意させましょう。」
あの魔力の揺らぎを持つ女性のことは特に。そうは言わずに、ネージュは言葉を濁す。良家と言えど、内情までは良家と言えない場合もある。それは、彼らもよく知っていると思うのだが。それはさておいて。
「ネージュ、その推測というのは聞かせてもらうことは出来るか」
「……推測ですよ?あくまでも、それを前提に考えてください」
「ああ。念を押すな、分かっている。まずは座ってくれ」
「あ、失礼します」
座ることを促されて、長椅子に腰掛ける。ふわふわで思ったよりも腰が沈んだ。手触りもなめらかなもので。ネージュは視線を対面に座る国王に向けて、ゆっくりと口を開いた。
「王妃様は恐らく黒魔術に浸食されています」
「…は、」
「黒魔術、ですか」
宰相が言葉を繰り返す。宰相と陛下のその顔は驚きで、そして絶望で。その顔に、ネージュは慌てて続ける。
「恐らく、というのが頭につくのですが。王妃様に掛けていた魔術が、少なからず効果を発揮していたというのを聞いたので、病でもなければ、その線が濃厚かと思いまして」
「…黒魔術…。それは、助かるのか」
「助けるのが私の役目ですので。助けますよ」
「その自信はどこから来るんだ…?」
「私の経験です。十六から前線で暮らしてきたんですよ、怖いものなんてドラゴンぐらいですから」
これは誇張でも何でもない。私自身の嘘偽りのない本音だ。ドラゴンは怖い。破壊と再生の象徴。食物連鎖の頂点に居る存在。髪にも等しい、傲慢な存在。それがドラゴンだ。
「ネージュ、救う手立ては」
「まずは、侍女の身元洗って、もう一度王妃様を調べさせていただいてからですね」
「調べる?さっき調べていたではないか」
「今度は、黒魔術を対象として調べるんです。付き添っていただけますか」
「宰相。仕事の調節を」
「承知いたしました」
頷いた宰相に、国王は疲労と絶望を漂わせた表情で頷いた。