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第43話

入り口で、待つ。陛下が王妃に言葉を落とす間、ずっと待っていた。


「ネージュ」

「はい」

「…周りが君に何と言おうと、すべて聞き流してくれ。一切耳に留めなくて良い」

「それでは、その懸念する内容をジェラールさまから教えてくださいな」

「俺から?」

「はい。聞かなくて良い、というなら。ジェラールさまの言葉で教えていただければと思うのです。あと、誰も彼もが私たちに向ける視線の意味も合わせて」


ネージュの言葉に、ジェラールは目を瞬かせた。まるで、そう言われると思わなかったと言わんばかりに。ネージュは、決して弱い女ではない。そう自負しているし、周りに何を言われようと自分の脚で立つと決めている。ジェラールと歩む速度が違っても、自分で追いつくのだと決めた。‘愛’があっても、なくても、そう決めた。


「……なんて、ジェラールさまを困らせるつもりはないんです。ただ、そうですね。おふたりが、元恋人同士だったとか、そういう関係だったとか。恐らくその辺りかなって思うのですが、どうでしょうか」


目を見張るジェラールに、ネージュは苦笑いを零した。そうだろうなとは思っていた。だって、名前を呼ぶ声が柔らかかったんだもの。あと、レオをはじめとする使用人たちの雰囲気。気まずそうな雰囲気で、何かあるのか察したようなものだ。


「どいつもこいつも、そうやって言うが。俺とあの子の間には何もない。一切。断言しても良いし、神に誓っても良い」


『あの子』


聞いたこともない低い声に、今度はネージュが目を瞬かせる番だった。思わずジェラールを見やれば、本気で嫌そうな顔をしている。『どいつもこいつも』と言ったあたり、殆どの人間にそう言われているのだろう。


ということは、そういうことで。


恋人同士に見えるようなことをしてきたから、そう言われるのでは。いつしか、自分に対して思ったことを再度思う。この人、多分懐に入れた人には甘い性質なのかしら…。もしかしたら、私って自惚れてたのね。恋は色眼鏡と言うけど本当だったんだわ。


「ネージュ?」

「いえ。少し驚いていただけです」

「驚く?」

「ええ、まあ」


自分の内情だ、言うつもりはないから言葉を濁す。ネージュは、壁にもたれる。近衛の何とも言えないような視線が痛い。この近衛たちも、きっとジェラールと王妃の関係を勘ぐっていたのだろう。公爵家同士なら、きっと噂の一つや二つあるはずだから。


「ジェラールさま、このあとは本部に戻られるのですか?」

「ああ。昨日、処理しきれていない書類があるんだ」

「そうなのですね、頑張ってください」

「明日になるがクラウスを呼ぶか?」

「いえ、ヴェーガとフルスに護衛はお願いしようと思います。言っときますけど、ヴェーガは普通の狼ではありませんからね?いざという時は、私よりも強いんですから」

「分かってるよ。まあ、王妃の部屋を出入りするならそれが良いか」

「分かっていただけて何よりです。それに、この指輪もありますし」

「そんな防御陣が展開される戦場みたいなことにはならないと思うが」


指輪をするりと撫でる。つけっぱなしで、違和感を感じなくなった指輪。きらきらと輝く魔法石は今日も美しい。


「――入って良いよ。ジェラールも」

「はい」


陛下が顔を覗かせて、ジェラールと共に王妃の部屋に入る。空気の入れ替えをしているのか、少しだけ冷たい風が入り込んできていた。


「ネージュ」

「なんでしょうか?」

「王妃を、エルネスタをよろしく頼む」

「はい、陛下。では、魔術を掛けるので少し離れてください」


寝台に眠るエルネスタを中心に、淡い白い光を放つ魔術陣を展開する。ネージュにとって詠唱の時間は無駄なものだと思っている。基本的な治癒魔術やそれに付随するものは、ほとんど無詠唱で行う。一分一秒の差で、命は零れ落ちたりするのだ。


「ジェラール。彼女は、詠唱をしないのか?」

「…俺も、本格的に魔術を使う姿を初めて見たので。噂には聞いていたのですが」

「おいおい。君の奥方だろうに」

「まだ知らないことがあるので…」


ぴくりとエルネスタの指が動いたのが見えるが、すぐに弛緩した。ゆっくりとした呼吸になるのを聞きながら、ネージュは魔術を収束させる。三日ぐらい寝れば、それなりに体力も戻るはずだ。私はその間に、解決に奔走すればいい。猶予は三日。大丈夫、大丈夫。


「エルネスタ様、起きたらご挨拶させてくださいね。それはでは、ゆっくりと眠っていてください」


悪夢すら見ない、奥深い場所でゆっくりと。そこは、誰にも、何にも邪魔されることはないから。


「王妃様は三日で起きます」

「早いんだな」

「あまり深い眠りが続くと、身体の機能が停止することもあるんです。それだけは避けたいので。制限時間は三日後の夜。それまでに、私は原因を探ります」

「…君は自分を追い詰めていく性質か?」

「追い詰められた方が本領を発揮できるんです」

「ああ、君は戦場育ちだったか。尋問会の時も思ったが、意外と好戦的な性格をしているんだな」


強くあれと教わったのは事実だ。好戦的といったって、ネージュに戦う術はない。自己防衛のための魔術をいくらか知っているだけだ。


「治癒魔術師って、傀儡にするととても都合と便利の良い存在だって知ってますか?」

「え」

「そうやって教わるので、トラバルトの治癒魔術師はみんなこんな感じですよ」


ちなみに、傀儡にしてくるのは国である。国には気をつけようね、と所長が声を小さくして一人一人に声を掛けていた。自国なのにまあ。


「では、私は一度医務室に向かいます。その後、王城勤めの治癒魔術師の所にお伺いする予定です」

「あ、ああ」

「それじゃあ、失礼します」


ネージュは頭を下げて、足早に王妃の部屋を出た。陛下とジェラールの驚いた顔が、思いのほか笑えてくる。王様に会うのって、こんな感じじゃ不味いんだろうなあ…。トラバルトに居た時、沙汰を待つまで王城の応接間に居た。全身を舐めるような目。思い出すだけで、吐き気がする。王様ってだけで、こんなにも違うのね。


ああ、でも。


「嫌なもの思い出しちゃった」


ぽつりと呟いて、ネージュは息を吐きながら足を止める。丁度窓があった。見上げれば、どんよりとした空が覗いている。やがて涙を流し始めるだろう。遠くで雷が鳴っているのが聞こえた。


少しだけ、遠乗りに行きたかったという気持ちもある。あるけれど、人命には代えられない。命は大事だから。かけがえのないものだから。


その尊さをネージュは痛いほど知っているから。


「よし、頑張ろう。というか、医務室ってどこ…?」


行き当たりばったりは駄目だわ…。今から戻るにも戻れないし。


「あれ、白銀の天使…?」

「……は?」


正面から来た文官の格好をした男が、ネージュを見て足を止める。ぽかんと口を開けた後、周りを見渡す。


「クロヴィス団長は!?」

「…は?」


ネージュの側に来て、何度も当たりを見渡すその男にネージュは小首を傾げた。知った顔ではないのは間違いなくて。誰だろう。いつの間にか姿を現したヴェーガも、ネージュと同じように小首を傾げている。悪意がないと判断したのだろう。だぁれ?そんな顔だ。


「あの、どちら様でしょうか…?」

「あ、しがない文官です。クロヴィス団長にはいつもお世話になっています」

「…はあ。主人がいつもお世話になっております…」

「一人で歩いて良いって言ってました?クロヴィス団長は知ってるんですか?」

「え、あ、はい」

「そうですか…。王城は魔窟なんですから、もうちょっと団長も警戒しなきゃ」

「魔窟…?」

「王妃様が臥せってから、ね。色々とあるんですよ…」


ネージュは、こそこそと喋る文官の顔をまじまじと見ながら、文官の言葉を深読みする。多分、後妻探しが始まっているという事だろう。あれ、もしかして自分の身も結構危ういかも?


「奥方が居るということは、あれですよね。王妃様の。ほんっとうに、気を付けてください。誰が牙を向くか分かりませんから」

「はい…。あの、どうしてこんなことを?」

「クロヴィス団長にはお世話になっていますし、僕は奥方を支持してますから」


え、それはそれで怖い。何もしていないのにそういうの向けられるのは、さすがに怖い。ジェラールさま、この人ってどう扱うのが正解なんですか。


「あ、ありがとうございます。えっと、文官さん」

「はいなんでしょう?」

「医務室を教えていただければと思うのですが…」

「じゃあ、僕が案内します。自分で言うのもなんですが情報通なんですよ。聞いといて損はしませんよ」

「…では、お願いします」

「承知いたしました。行きましょうか」


ヴェーガもいるし、フルスもじっとりと見ているから大丈夫だろう。とはいえ、室内で鳥は飛べないから外回りだけれど。


ネージュは、文官に連れられて長い廊下を歩いた。



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