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第40話

[ジェラールside]


ネージュとクラウスを街に見送った後、ジェラールは書類に向かっていた。立ち尽くすエクトルが何か言いたそうな顔を見て見ぬフリをして、書類に署名をしていく。今日も書類が多いな。


「ジェラール」

「なんだ、エクトル」

「本当にあの女を愛しているのか」

「ああ」


にべもないジェラールの返事に、エクトルは息を吐いた。ジェラールは書類から視線を上げて、やっぱり何か言いたそうな顔をするエクトルを見た。苦虫を嚙み潰したような、苦いものを口に含んでいるような、そんな微妙な顔つきで。


「なんだ、ネージュのことで諦めがついたか?」

「つくはずがない。俺は、あの女が騎士団に居る限りずっと見張ると決めているんだ」

「そうか。それでも良いんじゃないか、ネージュも言っていたしな」


『私は驕らず、慢心せずに生きていけます』そう言ったネージュを思い出していると、エクトルが口を開いた。


「――エルネスタが、病に臥せっている」


エクトルが口にした言葉に心臓が大きく跳ねるて、ドクドクと心臓が早鐘を打ち始める。ジェラールはエクトルの顔を見やれば、真剣な顔つきだった。


エルネスタは、ジェラールの幼馴染だ。三大公爵家であるアディソン家の三女で、エクトルの妹であり、現在は王妃である。


「病は?」

「原因不明で、もう一週間ほどになるらしい」

「そんなになるのか」

「俺も知ったのが昨日の夜だ。陛下も憔悴していると」

「…容体は?」

「熱、発疹、関節の痛み、それから熱のせいだろうな、何度も悪夢にうなされて、ろくに休むことも儘ならないらしい」

「城の医者は何をしてるんだ」

「原因解明にあっちこっち奔走してるのは間違いないだろう。治癒魔術師は命を繋ぎとめることが精いっぱいらしいよ。治癒魔術師もたかが知れてる」


吐き捨てる様に言ったエクトルに、ジェラールも顔が強張っていく。城には、一番腕の良い医師や治癒魔術師が居る。それは間違いない。でも、原因が分からなければどうにもならないのだ。


「…今年は、厄年だな」

「ああ」

「……エクトル」

「なんだ、ジェラール」

「ネージュに、助力を頼んでも良いか?」

「…は?」


なぜ俺に言うと言わんばかりの返答に、ジェラールは首を横に振った。幼馴染の正気を疑うんじゃない。


「お前、何も言わずにネージュに助けを求めたら、怒るだろうに」

「それはそうだが。なぜ、あの小娘が出て来る?城の治癒魔術師ですら、何も出来ないんだぞ」

「見え方が違うかもしれない。あの、オーベリソンの当主の病まで治してるんだ、何か分かるかもしれない」

「…お前。仮に言うとして。あの小娘に、なんて言うつもりだ?元恋人の命を救ってくれとでもいうのか?」

「恋人じゃないさ」

「恋人も同然だっただろうが」

「それは周りの言葉だ。俺とあの子は付き合ってない」


エクトルの、その言葉にジェラールは視線を下げた。陛下に嫁ぐまでは、ジェラールと結婚するものだと周りの誰もが思っていた。エクトルもその一人だった。陛下と婚約が決まった日の夜は、エクトルは酒を飲みながらうだうだとくだを巻いた。ジェラールと結婚すべきだった、と。勝手に決めるなと思ったが。


「ま、言わなくても周りが勝手に教えるだろうな。気の毒なものだ」


本心か皮肉かどうかは分からないが、そう思うこともあるのだな。目の敵にしてる、ネージュ相手に。ジェラールは悟られないように深呼吸をしたあと、再び書類に目を戻す。


「ひとまず、ネージュに助力を乞う。なにか分かれば御の字だし、分からなくてもあの子は突き止めるはずだ」

「ふん、どうだかな」

「話は分かったが、エクトル」

「次はなんだ?」

「魔術師団にちょっと顔を出してきてくれ」

「はいはい」

「あと、遠征から一個部隊が戻るからそれの対応も」

「了解」


エクトルはひらりと手を振って、執務室から出て行った。ぱたんと扉が閉まるのを見届けて、ジェラールは頭を抱える。エルネスタがそんなことになってるとは思っていなかった。幼馴染の可愛い妹分が、病に臥せっている。その事実が、心に靄がからせる。


書類を捌く手が止まり、ぼんやりとしているとノックが三回響いた。


「クロヴィス団長、失礼しても大丈夫でしょうか?」

「ん、ああ、どうぞ」


聞き慣れた声に入室を許可すれば、大臣が不穏な動きをしていると教えてくれた文官がそこに居た。手元にはいくつかの書類があって、自分の仕事が増えたことを悟る。


「先日はありがとう、助かった」

「いえ。あの後、暫くクロヴィス団長と白銀の天使の仲睦まじい様子が、城内で持ちきりでしたよ。侍女に近衛に、あぁあと役職持ちまで。みんなが興味津々でした」

「噂好きの連中の仕業か?」

「城に入る前から、それはもう仲が良さそうだったとお聞きしてますが」

「…そうだったかな」


思い返しても、並んで登城した記憶しかない。真剣でどこか不安そうな面持ちのネージュが、しっかりと前を向いていたのが印象深かった。覚悟していたと言っていたか。ずっと一人で、その覚悟をしていたのかと思うと少しばかり遣る瀬無い。


持っていた書類をジェラールに渡しながら、文官はくすくすと笑う。思い出し笑いも含まれているのだろう。実に楽しそうで。ああ、そういえばコイツはアドルフと仲が良かったな…。元々がお喋りなクチらしい。


「まあ、お話はこれぐらいにして。本題なんですけど、陛下から奥方に登城要請が来てます」

「なに?」

「王妃様の件、副団長から聞いてますか?」

「さっき聞いたところだが…。ネージュに陛下から要請?」

「はい。裏を返せば、王命の『身の安全を保障してやるんだから、国の役に立て』ということですね」

「…明け透けすぎるぞ」

「要は聞かれなきゃ良いんですよ、聞かれなきゃね」


肩を竦める文官に、ジェラールは背もたれに大きくもたれた。


「どうして今頃になって?一週間も経っているんだろう?」

「医師や治癒魔術師たちが、匙を投げたんですよ。もう延命しか出来ないって」

「は?」

「命を軽んじているつもりはないのですが、誰も彼もが手詰まりを感じて居るようで。なので、天使様と呼ばれている奥方に要請が」

「…天使様、ね」

「感染などは見受けられないので、流行り病ではないと思うのですが…」

「明日、登城するからそう伝えておいてくれ」

「承知いたしました」


文官は穏やかに微笑んだあと、続けて口を開く。


「団長、奥方になんて説明されるんですか?」

「…どういうことだ?」

「やだなあ。エルネスタ様って団長の元恋人ですよね。奥方は、何にも知らないんじゃないんですか?」

「お前もか…。別に、俺とあの子は付き合ったりしてないが」

「私の発言は面白半分ではなく警告ですよ、団長」

「警告だと?」

「不敬になるから大きな声では言えませんが、当時は団長とエルネスタ様が結婚するって誰もが思っていたことです。特にエルネスタ様付きの侍女はね」

「それ、陛下に聞かせるなよ。一族郎党皆殺しにされるぞ」

「陛下の寵愛っぷりはみなご存じです。ですが、念のために、です」


――白銀の天使を不用意に傷つけないように。


文官の忠告染みた言葉に、ネージュの穏やかに微笑む顔が過っていく。傷つけないように、か。


「それじゃあ、私はこれで失礼します。明日、お待ちしておりますね」

「…ああ」


出て行く文官の背を見送る。もう今日は仕事に手が尽きそうにない。どうしても、エルネスタのことが頭のなかでちらついてしまう。


「……はあ」


気が重い。

明日は、遠乗りをする予定だったんだがなあ。


[Side end]


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