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第37話

夜が深まり始めた頃、ネージュはジェラールの隣に座ってぽつぽつと昼間あったことを話していた。


「そのご令嬢は、ネイオリアと言っていたんだな?」

「ええ…。ジェラールさま、ご存じなのですか?もしかして、婚約し…」

「待て、ネージュ。それ以上言うなよ、小娘相手に婚約してどうする」

「…いえ、ですが、十六辺りが結婚の適齢期で、貴族では当たり前ではありませんか」

「君は、俺が十六やそこらのご令嬢と結婚すると?」

「……うーん…。ありえませんね」

「良かったよ、その答えに行きついてくれて」


ジェラールはそろりとカップを持ち上げて口元に運んだ。それを横目で見ながら、ネージュはネイオリアを思い出す。


『本当の愛なんてないんでしょう』


耳にこびりついて離れない。その言葉が頭の中で繰り返されるたびに、心臓がズキッと痛む。他の人にもそう思われていたりするのだろうか。特に、ジェラールに恋焦がれるような女性からは。


「ネージュ?」

「…ん、はい?」

「何を考えている?」

「二度目は会いたくないなあ、と」

「俺も会いたくはないなあ」

「ですが、相当ジェラールさまに恋焦がれているようでしたよ?」


ネージュがそう言うとジェラールは顔を顰め、机にカップを置いた。そして脚を組み直す。とても苦い顔をしているわ…。


「あれは、サンチェノールの娘でな。大臣ではなく夫人から、娘の婚約に申し立てをされたことが何度もある」


『何度も』のところを強調するジェラールに、ネージュはサンチェノールを思い出していた。尋問会でネージュの敵であった大柄の人。大柄といってもガタイが良いと言うわけではない。


「母とサンチェノールの夫人は、折り合いが悪いから拒否していたがな。確か、娘が十を超えた辺りから言い出したんだったか…」

「まあ。それは、ジェラールさまとても幼い奥様が出来るところだったのですね」

「十六下の娘を相手にしろと言われてみろ、俺は遠征地から戻らんよ」

「ははは…」


苦笑いしか出て来ない。保温魔法が掛けられているティーポットから、それぞれのカップにハーブティーを注ぎ入れていると、ジェラールが口を開いた。


「やはり、護衛が一人ぐらいは必要か?」

「えっ」

「君の下に贈り物をしてきた奴もまだ見つかっていないし、子供たちを攫った不審者の発見もまだだ。何かあってからでは遅いからなあ」

「私は大丈夫ですよ?」

「ネージュ?」

「アッハイ。でも、フルスにヴェーガもいるのですよ?」

「フルスもヴェーガも着けていても、虫が寄って来たんだがな?」


虫。ジェラールは至って真剣な顔つきで言い放つ。ネージュは追及しなかったが、どうやらジェラールはネージュの失言にイラついたのだろう。だって、本当に大丈夫なのに。


「過保護だとジェラールさまが笑われたりしませんか?」

「騎士団長の妻が一人で道を歩くことの方が危ないんだが」

「別に一人では…」

「ネージュ?」

「はい…」

「君は、この国がとても平和だと思っている節があるが、そんなわけない。城に上がればドロドロとしているし、人攫いなんかも平気でいる。それに、クロヴィス家だからという理由で恨みを買うこともあるんだ」


ジェラールは、『善意ばかりの国なんかじゃない』と言葉を落とす。それでも、ネージュからすればこの国は平和で温かくて優しい。きっと比べる対象が、故郷の国だから。それ以外の国に移り住んできたけれど、そこまで印象に残ることもなかった。


「私が危機感や警戒心がない、というのは理解してます。しかし、私相手に人員を割いてどうするのですか。まだ復興作業に人手も必要な時期ですし」

「まだ言うか。君の護衛になりたい男はごまんといる。うちは、女性騎士の雇用は王妃付きのみということが惜しいところだが。だから、君の気にするところじゃない」


ジェラールは、ネージュを見据えて言う。まるで逃がすつもりはないと言いたげで。


「いっそのこと、君の医務室を俺の執務室の隣に移すか?」

「あ、護衛でも何でもつけてくださっていいので、それだけは」

「なんだ急に。俺の隣では不満か?」

「不満はありませんが、医務室は訪ねやすいから機能するものですし」

「訪ねやすさも問題だな」

「…ジェラールさま」


ジェラールの名前を呟くだけで、それ以上何も言えなくなったネージュ。心配してくれているのは分かる。分かるけれど、さすがに限度と言うものが存在すると思うの。


「私のためにと言ってくださっているのは分かるのですが、それではジェラールさまが笑われてしまいます…」

「何かあってからじゃ遅いんだ。笑われたって良いよ」

「私が嫌なのです」

「なに愛妻家だからな、で片付く話だ」

「ですが…」

「俺は君を軽んじるつもりはないからな。医務室の件は保留中にするが、護衛は明日にでも選出するから心づもりするように」

「はぁい」

「それから。ちゃんと、相談できて偉いぞ」

「…は、い」


ポンとジェラールの大きな手がネージュの頭に乗っかる。そして、髪を撫でるように梳くように手を滑らせた。


「ジェラールさま」

「ン?」

「お手伝いできることがあれば、ぜひ私にも教えてくださいね」

「ああ。その時は」


ジェラールはもちろんと頷くけれど、ネージュはきっと相談しないだろうなと思う。なにせ家に仕事を持って帰って来ない。暮らし始めて日が浅いのもあるし、今はまだ残業をしていないけれど、引っ越し前夜の様に残業する日も出て来る。


持ち帰るぐらいなら、いつの日か言っていたように本部に泊まり込むのも想像できた。公私をはっきりとつけたいのだろう、とまで想像できた。


「俺は自室に戻るから、ネージュも早めに寝るように」

「分かりました。ハーブティーのおかげで、最近寝つきが良いんです」

「グンジ特製のハーブティーは効果が良いからな。それじゃあ、また明日」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ」


ちゅ、と額に口づけを落として、ジェラールはネージュの寝室から出て行った。足音が通り過ぎて行ったのを聞き届けて、ネージュは大きく息を吐く。どくどくと心臓が煩い。


「…慣れない」


本当に慣れない。額に口づけをされるなんて。両親にすらされたことがないというのに。ネージュは熱がこもる額を抑えながら、よろよろと寝台に腰掛ける。


「はあ…」


ネージュは、額を抑えたまま寝台に横になった。はしたなく寝台の上をごろごろ寝転がいたい気持ちを抑えながら、ネージュは目を閉じる。ジェラールは、ありったけの‘愛’を私に与えようとしている、と思う。


けれど、それらを‘愛’と呼んではみるけれど、ネージュは愛を知らない。愛がどんなものなのか分からない。多分、恐らく、そうだろう、と推測して‘ジェラールから与えられるものを‘愛’と形容付けているだけだ。


愛とは、一体何なのか。

愛とは、一体どういうものなのか。


ネージュには、少しそれが分からない。だから、‘愛’の返し方も分からない。ジェラールに何を返せるのだろう。与えてもらっているばかりのような気がする。


『本当の愛なんてないんでしょう』


ネイオリアの言葉が、頭の中で反響する。言い返した。だって、愛を与えてもらっていると思ったから。でも、理解は出来ていない。


なら、それは‘愛がない’といっても過言ではないのだろうか。片方の一方通行だけの‘愛’で、‘本当の愛’は成り立つのだろうか。


私はジェラールさまに恋をしている。ドキドキして、お顔を見るたびに名前を呼んでもらうたびに嬉しくなる。けれど、それは恋だ。愛ではない。それは言い切れた。


ネージュはごろりと寝返りを打つ。カーテンの隙間から、綺麗な満天の星空が見える。明日も晴れるだろうと、ネージュは思いながら目を閉じた。


やっぱり、どう考えたってネージュには愛の返し方が分からなかった。


――愛って、何なのだろう。


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