「ネージュさあん!」
「おはようございます、ネージュさん!」
「…んえ?」
何故か、非番の騎士たちがワラワラとネージュの家に押しかけていた。目をまん丸にして、外を見やる。
「…ネージュ、こんな早くから一体何事だ…?」
寝起きのジェラールが、外に顔を覗かせて見下ろせば、暫くの間のあとネージュでも聞いたことのないほどの大きな息を吐いた。
「わあ!団長だ!!」
「寝起きだぞ!?」
「お泊りか~~!!」
ざわつく部下たちに、ジェラールは何を思うのだろ。隣で項垂れるジェラールを、気の毒そうにネージュは見た。
「止めたんですけど、すみません!」
「アドルフさん…。あの、引っ越しのこと、どこから聞いたんですか?」
「マーサさんから聞きました!」
「あの野郎…」
低い、それはもう地を這うような低い声がネージュの耳に届く。引っ越しを手伝う気満々の騎士たちは、そんなことを気にも留めていない。わあわあと声を上げて、ジェラールとネージュを茶化す。
「ジェラールさま、早く手伝って帰っていただく方が得策かと」
「…すまない、ネージュ」
「かまいませんよ」
「はあ…。実家の手伝いを頼むつもりだったんだが、必要なさそうだな。ちゃっかり馬車まで用意してる…。フルスに言伝を頼まなければ」
幸いにも荷物は多くない。この数のお手伝いさんが居れば、きっとすぐに終わるだろう。そう思いながら、ネージュは微笑んだ。
「ふふ、準備してきてくださいな。ジェラールさまは一度替帰られるんですよね?」
「早めに戻る」
「はい」
「ヴェーガは常に姿を見せておけよ」
ヴェーガは、毛並みを整えてもらったジェラールの言葉に頷くように喉を鳴らした。すっかりとジェラールの腕前に虜になったようで、一晩中ねだっていた。
フルスの脚に紙を巻き付けて晴れた大空に放したジェラールは、くるりと身を翻して制服を身に纏う。
「すぐに戻るから、良い子に待っていなさい」
「ジェラールさまったら。ヴェーガと一緒に大人しくしています」
「重たいものは遠慮なく男どもに任せていいから」
「はい」
そう言うと、ジェラールは転移魔術を展開して消えた。ふわりと魔力の残滓が漂うのを、ネージュは驚いたように見ていた。え。あの人、転移魔術も使えるの?騎士団長だから、あまり魔術は使えないだろうと侮ってしまっていた。びっくり。
呆然としていると、下から声が掛かる。
「ネージュさーん!もーいーかーい?」
「はあい!」
ヴェーガと共に玄関を開けて、わくわくとした雰囲気の騎士たちを迎え入れる。荷物の入った箱を数えて、目を見開く。
「荷物少なっ1?」
「こんなに人数要らなかったなあ」
「くじ引きすればよかったか?」
「えー!でも、俺らみんなネージュさん手伝いたいしぃ」
「今から勝った奴だけ残れるっつうことで」
騎士たちはせーの!と勝負し始めた彼らに、ネージュは苦笑いを浮かべた。楽しそうでなによりだ。そして、十五人いた騎士たちは七人になった。渋々と帰っていく背中は、哀愁に満ちていて、なぜか申し訳ない気持ちになる。
「ネージュさん!俺勝ちました!」
アドルフは、ちゃっかりしっかりと勝ち残っていた。
少ない少ないと口々に言われながら、ネージュは短い間だけ住んだ家に別れを告げる。今度は愛着が湧く前に離れることが出来て、心置きなく別れられる。
「ヴェーガ、そんなぴっちりと付かなくてもいいのよ?」
ヴェーガは何を言っているとネージュを見やる。フンとまるで溜め息のような息を吐く。ジェラールさまのこと好きになってくれて良かったけれど、こんなに従順になるなんて。
そういえばお義父様が、犬の調教をしたと言っていたわね…。お義父様譲りなのね…。
馬車に乗り込み、新居になる家に向かう。ヴェーガが片時も離れず、アドルフは苦笑いをしていた。途中でフルスが合流して、ネージュの肩に乗る。
「完全防備ですね。いいと思います」
「アドルフさんまで…」
「ネージュさんの危機感は、団地から聞いてますから」
「ジェラールさまったら……」
「いいじゃないですか!新妻を心配する団長、この目で見れるとは思ってませんでした。いやぁ、いいですねぇ」
にっこりと笑うアドルフに、ネージュは溜め息を吐く。この人、また何かを妄想したんだわ…。
「着きました、ここがそうですね」
「ありがとうございます、なかなか、大きな御屋敷ですね…」
どんと構える屋敷に、ネージュの顔が引き攣っていく。別荘って、こんな大きいの…?
「早かったな」
「ジェラールさま!」
馬車を降りて呆然と立ち尽くしていると、ネージュの視界の隅に顔を覗かせたジェラールに肩を揺らす。
「君に言寄る奴は居なかったか?」
「はは、大丈夫ですよ」
「嫉妬されてるんですか?」
「まだ彼女に言い寄る男が居るもんでね」
「え?贈り物なら終わってますけど?いや、贈り物に下心があるわけじゃないんですが」
アドルフの言葉に、ジェラールの顔が険しくなっていく。その表情を見て、アドルフも顔を険しくさせた。
「団長が結婚したことも話してあるので、そんなことする馬鹿は……」
「アドルフ?」
「……ネージュさん、前に見覚えのない騎士に、ワンピースを贈られたって言ってませんでした?王都に来る前に」
「あ、はい。大きいので着れてませんが…」
ネージュを見下ろしたジェラールとアドルフは、顔を見合せて首を横に振った。警戒心も危機感もないとでも言いたげな顔だとネージュは思う。騎士団と言うから、信用してしまう。
「それで、それと関係は?」
「そいつ、ずっと贈り物をしてるとか考えられません?」
「…大家に聞き込み頼めるか」
「承知いたしました!」
アドルフが身を翻していく。え、今から聞き込みするの?ジェラールを見上げれば、ネージュの手を取って、屋敷に向いて歩き出す。ヴェーガとフルスがのんびりと着いて来る。
「――よいしょっと!」
「ネージュさん、この荷物はどこですか?!」
「あっ、えっと、ひとまず家の中に」
「かしこまりました!」
振り返って叫んだあと、ネージュは足早にジェラールの歩みと合わせる。綺麗な庭園に、大きな屋敷。こんな所に住むなんて。こじんまりとした家が、早くも恋しくて。
「使用人たちは昼に着く」
「そうなんですか?」
「朝、俺たちと一緒に入る予定だったんだが、予定が変わってな。父上と母上も、何やら荷物を作っているらしい」
「荷物?」
「ああ。俺たちの荷物だと、俺も詳しいことは教えてもらえなくてな。使用人たちが、それを持って来るから贈れている」
「随分と大きな荷物なのですね…?」
「何が来るのやら…」
両開きの扉を開けて、屋敷に入り込む。すっきりとした空気で、埃っぽさもなくて、直前まで掃除されていたことをネージュは悟る。
「すごい、中も綺麗ですね」
「父の一番の別荘だからな」
「えっ、そんな別荘をいただいたんですか!?」
「一番と言っても、お気に入りではないぞ?お気に入りは別にある」
「へえ…」
流石公爵家。規模が違う。お気に入りの屋敷だなんて。ネージュは、骨とう品であろう壺を眺めながら苦笑いを浮かべた。にしても、綺麗な壷だわ。
「気に入ったなら、部屋に置くか?」
「いえ、壊したら怖いので」
ははっとジェラールが笑って、ネージュの手を引く。屋敷の中を案内するように、あちこちを歩く。開けた窓の外から、ジェラールを呼ぶ声が聞こえて足を止める。ジェラールも足を止めて、窓の外を見る。
「だんちょー!荷物は一先ず入れましたよ!」
「ああ。じゃあ、また休みの日に肉でも焼くか」
「わ、マジっすか!!やった!!お前ら、今度、団長が肉焼いてくれるんだって!」
騎士たちは、ジェラールが肉を焼くと聞いて喜び勇んでいる。ジェラールさまが焼くお肉って美味しいのかしら。まあ、ジェラールさまだもの。美味しいお肉を用意するに違いないわね。