目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第33話

一人で過ごすのも最後の夜、ネージュはぼんやりと月明りを浴びながら考えていた。月はいつの間にか真上に登っていて、ネージュを照らす。


『ネージュ・アルナルディの犯した罪は、聖女に対する殺人未遂であるとのこと』その言葉が、ずっと頭から離れない。ジェラールの驚いた雰囲気もまた、忘れることが出来ずにいた。


どう思ったのか、聞いていなかった。


「はあ…」


グルルと喉を鳴らしてやって来たヴェーガが、座り込むネージュの膝に顔を乗せた。そして、美しい瞳をネージュに向ける。


「どうしたのって…?そうねえ、どうしちゃったのかなあ」


こんなことで悩むことなんて、今までなかった。だって、独り身だったし。誰かとこういう関係になることもなかった。


――恋をするなんて思ってもいなかったから。


「ああ……」


ヴェーガの毛皮に顔を埋めて、ネージュは大きく息を吐く。柔らかな匂いが鼻孔をくすぐって、心を落ち着かせていくのを感じながら、ネージュは目を閉じる。


「うー…」


言葉が出て来ない。相談できるような人も居ないし、もどかしさを自分で消化する方法しかなくて。どうしましょう。明日から、ジェラールさまと一緒に住むのに。


鼓動を刻むヴェーガの心音を聞いていると、コツン、コツンと窓が何かに当たる音がする。顔を上げて、窓の外を見やれば一羽の鳥が手すりに留まっていた。


「夜鳥種…?」


その鳥は、ネージュを見ると紙を巻いた足を差し出した。そろりと手を伸ばして、その紙を解いて、目を落とす。ジェラールの字で、『下を見て』と書かれていた。


下…?


手すりから体を伸ばして、下を覗く。暗闇でも煌めく蘇芳色の目とかち合った。


「えっ」

「やっぱり、起きていたか」


こっそりと落とされる声が届いて、ネージュはカーディガンを羽織って部屋を飛び出す。夜の匂いが、ネージュの頬をそろりと撫でて行く。


「ジェラールさま、なんで、こんな」

「君が起きていると思って。日中会った時も、何か言いたそうな顔をしていただろう?」

「そ、そんな顔していましたか?」

「ああ。気になって、来てみたんだ」

「…ジェラールさまは、もしかして仕事帰りですか?」

「まあね。明日、王城に出さなければならない書類を出し忘れて居た奴が居てな」


疲れたように息を吐くジェラールに、ネージュは小さく苦笑いを浮かべた。それは、大変だ。こんな月が真上に来る時間まで、残業だなんて。


「ジェラールさま、お夜食食べますか?」

「夜食?」

「はい。明日、お引越しでしょう?食材の片づけをしているんですが、干し肉とパンが残ってて」

「じゃあ、いただこうかな」

「ぜひ」

「フルス、君は待っていろ」

「ふふ。フルス、あなたもいらっしゃい。ジェラールさま、この子は干し肉食べますか?」

「食べるが…」

「ヴェーガの干し肉があるんです。ヴェーガはちょっと飽きてて…」


ジェラールは、ネージュをちらりと見たあと口笛を吹いてフルスを呼んだ。ネージュの部屋の手すりから降りて、ジェラールの腕に足を突ける。


「美しい子ですね」

「俺が躾けたんだ」

「まあ!」

「上の二人の兄たちも、鳥を躾けている。父は犬を躾けて、母のお茶会の共につけているぞ」

「何かそういう習わしですか?」

「そうだな。従える側になる時もあるから、それをまず動物を相手に知るんだ」

「…なるほど」


王家の傍系と言っていたこともあるし、そういうこともあるのだろう。ネージュは扉を開けて、暖炉に火をくべて鍋を温める。


「かなり片付いて来たな」

「はい。元々、荷物は少なかったので」

「だが、少しは増えたと言っていただろう?」

「はは…騎士の皆さんが、時折まだ贈り物をくれまして」

「は?」


ジェラールの蘇芳の目が細まるのを、ネージュは目を逸らす。逸らした先で、ヴェーガがフンと鼻息荒く息を吐くのが見えた。墓穴を掘ったな、と言わんばかりの態度だ。


「わ、私は受け取っていませんよ?玄関に置いてあったり、大家さんに頼んでいたり…返そうにも名前が分からなくて」

「なんでもっと早く相談しないんだ」

「バタバタしてたので…」

「もしかして、俺が聞かなければ言わないつもりだったか?」

「いえ!いつかは、相談しようと思っていました…」

「いつか、な」


返答を誤ったらしい。だが、取り返すことは出来ずにネージュは鍋の中をかき混ぜる。


「ネージュ、俺は君の危機感がとても心配だ」

「…う」

「誰彼かまわず、笑顔を振りまくのを止めろとは言わない。言わないが、そのあとまでは優しくしなくて良いと思うんだが。どうだろうか?」

「…はい」

「自己防衛の魔術を使ったことがあるなら、なぜ改善しようと思わない?」

「…冷たくあしらっても、逆に燃え上がってしまう方が居まして」

「……その時は?」

「違う部隊の方が、いつも…」


そうか、とジェラールは低く呟いて椅子に座った。ネージュは、そのジェラールの表情から感情を読み取ることが出来ずにいた。鈍いわけではないけれど、あれこれと考え過ぎているのか、その感動がどれに該当するのか見当がつかないのだ。


「ネージュ、君にフルスをつけようと思うんだが?」

「…え?」

「この子は、俺の躾けた中でも一番優秀なんだ。俺の番だと君のことも教えてある」

「つ、つがい」

「頭も良いから、君に擦り寄ろうとしているやつのことは、俺にも教えてくれるだろう」


微笑むジェラールから感じる圧から逃げるように、椅子の背もたれに留まって小首を傾げるフルスを見た。くるりとした目がネージュを見て、見つめ合う。


「ヴェーガは何をしているんだ?」

「ヴェーガですか?ヴェーガは常に私の影の中にいますけど…」

「ならば、常に姿を見せるようにしておけ。許可しよう。それに、子どもを攫った不審者も、まだ見つかってないんだ」

「…その不審者を建前に、私にヴェーガとフルスをつけようと…?」

「俺の妻は、危機感が薄いようだからなあ」

「う…、そんなに危機感じゃないわけじゃ」

「名前も分からん奴から与えられた物を、家に入れるなって言ってるんだ」

「…反省します」


温まったスープを器に入れて、少し火を通したパンを出す。寄って来たフルスも干し肉をやろうと、平たい皿に肉を切り入れた。


「ジェラールさまも、お肉食べますか?」

「いや、これだけで良い。ネージュは食べないのか?」

「フルスと一緒にお肉齧ります」

「…そうか」


何か言いたそうなジェラールは、そろりとスープにスプーンを入れた。この人は、食事中あまり喋らない。ネージュは、フルスに肉を小さく千切って口元にやる。


「ねえ、フルス。あなたは、どんな子なのかしら?」


肉を噛みながら、フルスはじっとネージュを見た。ネージュもじっとフルスを見る。キョッ、キョキョッと小さく声を上げて、何かをジェラールに言っているようだった。


「随分と可愛らしい啼き声ね。あんまり見ないでって言ってるの?」

「そうだが、よく分かったな」

「本当ですか!」


喜ぶネージュに、フルスはまた何かをジェラールに言う。それを静かに聞いていたヴェーガは立ち上がって、椅子に座るネージュの膝に顎を乗せた。


「ヴェーガ、フルスって言うの。不本意だけど、私につけてくださるんだって」

「本音が出ているぞ」

「だって、自己防衛ぐらいできるのに」

「過信はいけないぞ」

「はあい。でも、家族が増えるって嬉しいですね」

「家族か。君には、一度に多くの家族が出来たな」

「…幸せ者です、本当に」


――ねえ、どう思いましたか?私が聖女のことを殺そうとした女だって聞かされて、どう感じましたか?


そう聞きたい言葉を呑み込んで、ネージュは小さく千切った干し肉をフルスとヴェーガの口元に運ぶのだった。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?