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第32話

「不思議ですねえ、どうして聖女を殺し損ねたにも関わらずネージュ・アルナルディは生きているのでしょう?」

「そ、れは」

「普通ならその場で斬首ですよ。ねえ、ネージュさん?」

「そうですね」


宰相の言葉に頷く。生かされている理由は、他にあるのだろう。だが、それは知った事じゃない。集まる視線を無視して、ネージュは言葉を続けるために口を開いた。


「…無実を信じてくれとは言いません。私がやった事もしくは私がやってない事の証拠がないのですから 」


こぼれ落ちる父母の命を見た。その病は、治癒魔術師でも治せないものだと分かっていながら、幼いながらに自分の運命を治癒魔術師になるしかないのだと決めつけた。


「ですが、治癒魔術師の意地として、誰かの命を奪う側には決してなりません。私は、目の前にある命を救うために治癒魔術師になったのです」


胸を張って、これだけは言い切れた。


ネージュはまっすぐに国王を見る。すべては、彼の采配だ。ネージュがどういう人物か、それを分かったうえで、ジェラールと結婚を命じた。ネージュと目が合うと、国王はゆるりと頬を釣り上げた。


「それで、宰相よ。その文書の続きはないのか?」

「ええ。好きにしていいということでしょうね」

「なるほどな」


国王と宰相の言葉を聞いていた大臣が、にたりと笑って口を開く。どうしてもネージュを排除したいのだろう。にしても、ジェラールさまに嫌われたかしら。まさか罪が、聖女の殺人未遂だとは思わなかっただろうし。こればかりは、嫌われても仕方ない。チクリと胸が痛むのを感じる。


「ならば、この国でも罪人として扱わねばならないのでは?殺人は未遂であっても、我が国でも大罪ですしな」

「ほう。サンチェノール大臣の言い分はそうか」

「私だけではないですよ。この場に居る者たちが全員が」

「おや。私は賛同したつもりないのですがねえ」


のんびりした声がサンチェノールの言葉を遮った。そこに居たのは、悠然と微笑むベルターだった。あの人、この尋問会に出席できるほどの人だったの?!今日は驚きがたくさんある日だ。


「ベ、ルター様…」

「やあ、ネージュさん」

「あの、お体は大丈夫ですか?」

「ああ。君のおかげで随分と良くなって、こうやって公務に参加できるほどまでに回復してね」

「それは良かったです。」

「君がクロヴィス団長と結婚したって聞いてね、慌てて駆けつけて来たんだ。表立って声は上げられないけど、君のおかげで助かった命は此処にも多くあるんだよ」

「…え?」


嗚呼。此処に居るジェラール以外は、私の敵だと思っていたのに。この場で、ネージュ・アルナルディは断罪されると思っていたのに。


「さて、陛下。私は、オーベリソン公爵家も彼女を支持いたします。必要であれば書類も用意いたしますよ」

「ああ、そうか。ベルターは彼女に命を救われたのだったな。良いだろう、書類はあとで用意させるから署名するように」

「はい、陛下」


ざわめきが大きくなった応接間で、ネージュは引っくり返りそうになっていた。アランもベラも、自身が公爵家だとは一言も言わなかったじゃないか。微笑んだままのベルターに、ネージュは頬が引き攣っていく。なにも、顔が引き攣っているのはネージュだけではない。サンチェノールの顔も盛大に引き攣っていた。


「陛下、私からも一つ良いですか」

「へえ?クロヴィス団長からも何かあるようだ」

「クロヴィス家が彼女の枷となり、この国に損害が出ないよういたしましょう。ジェラール・クロヴィス、ディルク・クロヴィス、アンドレア・クロヴィス、以上三名の名において誓います」

「ほう?お前は両親を巻き込んだか」

「父母たっての希望です。もしも、彼女が謀反を起こした時には、クロヴィス家当主夫妻及び騎士団長である私が首を差し出しましょう」


とんでもないことを言い出したジェラールに、ネージュはくらりと目眩がした。よろけそうになるのを踏ん張って耐えながら、ジェラールの言葉を理解するために頭の中で思い返す。


「はははっ!そうか!そう来たか、ジェラールよ!」

「…陛下、公式の場ですよ」

「はー…笑った。お前は随分と嫁に首ったけなのだな」

「ええ。ネージュは私の知る誰よりも素敵な女性ですよ」


宰相に窘められて、笑いを噛み殺す国王は楽しそうに膝を叩いた。そして、ジェラールもまた柔らかな声音でそう言うのだ。呆然とジェラールを見上げるネージュが視線を合わせて、ゆるりと微笑む。


「ジェ、ラールさま…」

「言っただろう?『嫁一人守れん騎士団長にさせる気か』と」

「…ですが、お義父様やお義母様まで、あんな」

「老いぼれでも役に立つことがある、と言っていたぞ」

「……今度、お茶をしに行っても良いですか?」

「あぁ、喜ぶだろう。ちなみに、父は甘いものが好きでな」

「まあ」


尋問会に似つかわない甘い雰囲気に、誰かがゴホンと咳をする。ネージュの視線がジェラールから離れて、咳の音の方へ向かう。音の主は、ニッコリと笑う国王だった。


「あーぁ、私も早くこんなことを終わらせて王妃に会いたいなあ」

「だから、公式の場だって言ってるでしょう、陛下。こんなこと、と言わないでくれます?大事な尋問会なんですよ」

「ジェラールの嫁に首ったけなのを見せつける会、の間違いだろ。この場を持って、ネージュ・クロヴィスをクロヴィス家の一員として認める。その際に、ネージュ・アルナルディは死んだものとする。はいこれにて、終了!」

「陛下ああああ!」


とんでもない終わり方なのだけど、良いのかしら。はいはい、と手を振って応接間をさっさと出て行く国王を呆然と見送る。


「真面目な時は、真面目なんだ」

「今この時も、真面目な場面では…?」

「面倒になったとか、そういうのはない筈なんだ。多分。まあ恐らく、これから宰相にこてんぱんに怒られるだろう。非難の書類も届くだろうな…」

「えぇ…」

「最初から、君については俺に一任されていたんだ。警戒は俺がしていればいいだろうという事でな」

「え?」

「ネージュが故郷で罪を犯していても、好きにしろと。力を持っているなら、利用しても良いと言ったのはあの人だ」


苦笑いするジェラールに、ネージュは目を見開いた。そんな話があったなんて。いや、国益のためにジェラールに結婚しろと言う御方だ。とんでもない人なのだな、とネージュは思う。


「賢王であることには違いないんだがな」

「そうだったのですね…」

「また、顔を会わせる機会もあるだろうから、覚えておくと良い。あぁいう人だと」

「…はい」


顔を会わせる時なんて、来ないことを祈るばかりだが、夫は騎士団長でかつ王家の傍系に当たる家だ。会わないなんて無理に違いない。ちょっとだけ、気が重くなった。


気が重くなったと言えば、ネージュの背には三人もの命が掛かっている。ジェラール、義理両親。少なくとも三人。いや、ベルターたちオーベリソン公爵家も含まれるから、少なく見積もっても五人分の命だ。重たいな、と思う。


けれど、それがなければネージュはこの国で息をすることが出来ないのだ。


それを公の場として周りに知らしめたのは、あの国王だ。とんだ食わせ者だな。そして、それをちゃんとジェラールも理解していた。


応接間を出た帰り道、歩いて帰ろうかと二人で話していると、後ろから声が掛かった。

「――ネージュさん」

「あ、ベルター様。あの、今日はありがとうございました」

「いいや、私は何もしとらんよ。この命は、君に救われたモノだからね。君のために使いたいのさ」

「…ベルター様、それはどうぞご家族に言ってくださいな。また、奥様とお茶をさせてくださいませ」

「分かったよ、伝えておこう。それじゃあ、クロヴィス団長と仲良くするようにね」

「はい」


ジェラールの視線がつむじに刺さっている。痛い。ネージュは、今日視線が痛いという事を覚えたのだ。今、それをつむじで痛いほど実感している。


「ジェラールさま、見過ぎです…」

「君は人たらしの何かを持っているのか?」

「人たらしって」

「オーベリソンの当主は、うちの両親に匹敵するほどの愛妻家だぞ。あんな言葉を言うなんて…」

「あのね、ジェラールさま。しゃがんでもらっても良いですか?」

「ん?」

「途切れそうになる命を救い上げると、あぁなる方は一定数いらっしゃるんですよ…。生きたいと強く願われる方は特に…」

「あー…」


なるほどな、そう呟いてジェラールは身を起こした。だから、人たらしではないのだと、暗に告げる。


「命って尊いものだから」

「そうだな。あと君が良い人だからだろうな」

「まあ、私だって悪だくみぐらい考えますよ?」

「君がか!」


笑いながらネージュとジェラールは、城を出て歩いて騎士団の本部へと向かう。顔を出す予定がなかったから、周りは驚くだろう。ネージュは、世界が新しくなったように感じながら、ジェラールの手を取って握りしめた。


「ジェラールさま、今日はありがとうございました」

「どういたしまして」



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