ネージュはジェラールと共に王城に来ていた。ジェラールの隣について歩くだけで、あちこちからの視線が突き刺さる。特に女性からの視線がネージュに刺さる。
「視線が痛いって初めてのことです」
「はは、暫くはそうだろうな」
「ジェラールさまは、慕われてますものね」
「ネージュにそう言われると、なんだかくすぐったいな」
ネージュはジェラールと視線を合わせて、くすりと笑いあった。更に視線が突き刺さって来るのを感じるが、ネージュは見て見ぬフリをすることに決める。
「…ね、ジェラールさま」
「どうした?」
「ご迷惑をおかけすると思います。ジェラールさまだけじゃない、お義父様やお義母様にも…」
「そのことは二人も了承しているから、大丈夫だよ。心配するな」
ジェラールにネージュは、目を伏せて数日前のことを思い出す。美味しい料理のあとにもたらされたのは、苦い言葉。
『とある大臣が君を疑っていると報告を受けた』
『大臣、ですか?』
『君の、故郷でのことについて突っつかれるだろうな』
『…はあ…。いつかは来るかと思いました』
『心の準備は出来ているって?』
『そうですね、出来ています』
ーー何を言われるか、心の準備は出来ている。それは、結婚するよりも前からだ。いつか、誰からか、言われると思っていた。だから、私は大丈夫。
「ネージュ、君は大丈夫か?」
「はい、私は大丈夫です」
「…覚悟決まった顔だな」
「ふふ、そう見えますか?」
「ああ。だが、あんまり無茶なことはするなよ」
「はぁい」
ジェラールは大きな扉の前に立って、ネージュの頭をぽんと撫でた。扉の両脇に居る近衛たちは目を見開いていて、ネージュをじっと見る。そんなに見ないでほしい。
「ゴホン」
「あっ、失礼いたしました!クロヴィス団長、少々お待ちください」
「待てって…時間通りに来たんだが?」
「国王が待てとのことで」
「はー…」
額を抑えて、溜め息を吐いたジェラールにネージュは目を瞬かせる。親しそうな感じがする。騎士団長以前に、公爵家だから何らかの関係が合っても可笑しくはないけど。そういえば、この国の国王については何も知らない。知っていることは、この大陸国を治めている賢王、というぐらいかもしれない。
「のんびりしているんだ…」
「まあ、ジェラールさまものんびりした方じゃないですか」
「そう言うてくれるな。お前たちは今日の参加者を知ってるのか?」
「…えっ」
「ジェラールさま、それは…」
「…秘密にしてくださいよ」
「ああ」
えっ、良いの。それ言うの。こしょこしょと秘密話するように、近衛はジェラールの耳元に口を寄せる。ジェラールは小さく口の中で繰り返して、その大臣のことを思い返しているようだった。
「あの大臣か…」
「ジェラールさま?」
「変に頭の切れる面倒な奴が来る。ネージュ、何を言われても傷つかないで良いからな」
「知っている方なんですか?」
「騎士団に嫌味を言う奴だ。それだけ覚えておけばいい」
「まあ…」
それは、どんなお人なのだろう。ある程度、嫌味な人と言うのは遭遇しているし、故郷でも色々とあった。どのくらいの嫌味なのか、少しだけ気になる。
「準備が出来ました、どうぞ」
扉が少し開いて文官が顔を出す。これを公式の事として記録するらしい。ジェラールの舌打ちを聞きながら、ネージュはジェラールの服を引っ張る。
「ネージュ?」
「ジェラールさまも、私について何言われようとも気にしないでくださいね」
「それは約束できないな」
「…私はジェラールさまの立場を悪くしたいわけではないのです」
「嫁一人守れん騎士団長にさせる気か?俺は、そんな男になるつもりない」
「ですが」
「でもも何もない。ほら、深呼吸」
「…う」
「ほら、俺についておいで」
吸って、吐いて、吸って、吐いて。ネージュはジェラールのあとを追うように深呼吸をする。すとんと落ち着いて来る感情が、ジェラールも分かったのか柔らかく微笑んだ。
「よし、行くか」
「…はい」
腹は括った。どんなことを言われても、大丈夫。私は、大丈夫。故郷を追われることになった、あの時だって大丈夫だった。今は、ジェラールさまもいるから。大丈夫。
「ジェラール・クロヴィス、ネージュ・クロヴィス。ただいま参りました」
ざっと視線が集まる。ネージュは背を伸ばした。視線に負けるつもりはないし、此処に居るのはネージュ・‘クロヴィス’だ。クロヴィスの、受け入れてくれた両親たちのためにも恥は晒せない。
「はじめまして、ネージュ」
「陛下におかれましては、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。ネージュ・クロヴィスと申します」
「ああ、良いよ。気楽にしてね。発言も、私を気にせずすると良い」
気楽にななんて出来るものか、そう思いながらネージュは微笑んだ。此処に居るのはジェラール以外は敵だと思っていい。ネージュを知らない、そしてネージュも知らない連中。敵と言わずして何と言おうか。
「犯罪者の娘があのクロヴィスを名乗るとは」
「無礼にもほどがありますよ、サンチェノール大臣」
くつりくつりと笑う大柄の男。多分、この人がジェラールの言う『騎士団に嫌味を言う奴』だろう。ネージュはそう思いながら、表情を取り繕う。目を細めて言うのは、多分あの位置からして宰相か副宰相。
「早速だが、クロヴィス夫人は祖国では罪を背負ったとか?」
「謂れのない罪です」
「だが、罪は罪として祖国では記録が残り、国外への永久追放の罰を受けたのだろう?」
「そうですね」
「ということは、冤罪であっても罪人であることに違いないのでは?」
大臣の言葉に、周りは賛同するように頷く。ちらほらと同意の声も聞こえて来た。間違いなく、敵だ。ジェラールの視線を感じながら、ネージュはゆっくりと口を開いた。よろしい、ならば正面から受けてたとうではないか。
「大臣は、そうおっしゃられると。私が、罪人であると」
「ええ!誰が何として冤罪と言うのか。本人の詭弁ではないのか。それをこの国に迎え入れるとは、問題ではないのか?」
「私、端から自分の言葉を信じてもらえると思っていませんので、どういわれようとも関係ないのです。それに、この国は他国からの流れ者には寛容的ですよね。私も、寛容的に受け入れていただきましたよ」
「いいえ!私はそう言っているわけではないのですよ。私は、国に、我が国の王族傍系である‘クロヴィス公爵家’に、罪人を入れたことを言っているのです」
「まあ。でしたら、すべては王命ですので、国王陛下に言ってくださいます?」
「――はいはい、静粛に。クロヴィス夫人も、好戦的な性質ですか?意外ですね」
待ったと声が掛かる。ネージュは声の主ー宰相であろう人物を見る。この国の上層部は若いのだな。そう思いながら。
「正直申しますと、他国の罪人であってもこの国に入って来たのなら、うちではただの市民です。馴染めれば、の話ですが」
「その思想もどうかと思うのですがな」
「ですが、今回はそれを言い合いたいわけではないのですよ、サンチェノール大臣。今回は、ネージュ・アルナルディに関することです」
わざと旧姓を告げたのか、それとも手元の書類にそう書いているのか。ネージュは宰相を見ながら、小さく息を吐いた。
「ネージュ・アルナルディについて、トラバルトから出生から追放までに関する書類が届いています」
「それはそれは!」
「さて、彼女ネージュ・アルナルディの犯した罪は、聖女に対する殺人未遂であるとのことです」
ざわめきが大きくなる。非難の視線と、口々に放たれる悪意のある言葉たち。それは、何度も祖国で感じたものだった。知らない、冤罪だと叫んでも、届かなかったあの日が彷彿させる。ジェラールが目を見張って、ネージュを見ているのをなんとなく感じながら、まっすぐと正面を見据えた。
「聖女の、殺人未遂だと!?それは大罪ではないのか!」
「ならば、私はその場で首を刎ねられて、此処には居ませんが」
「そうですね。ネージュ・アルナルディは、数々の救命と聖女のお言葉で命だけは奪わず永久追放をした、とのことで文書は締めくくられています」
その理由を聞いたのは二度目だな、とネージュは思う。冤罪だと叫んで、喉を嗄らして、そして告げられた言葉だ。聖女の殺人未遂だという、身に覚えのない罪。勝手に背負わされ、勝手に追い出された。何を思ってか知らず。