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第29話

「おかえりなさいませ、ジェラール様。ようこそいらっしゃいました、ネージュ様」


玄関に並び立つ使用人たちの姿。その様が圧巻すぎて、ネージュは引き返して帰りたくなった。思わずジェラールの手を握り締める。帰りたいけど、手を繋いでいるから帰れない。


「ひえ…」

「大丈夫だ、ネージュ。みんなもただいま」

「お、お邪魔します…」

「ご当主がお待ちですよ、ジェラール様」

「ああ。ネージュ、彼は使用人統括で執事筆頭のノクトだ」

「よろしくお願いしますね、ネージュ様」

「は、い。ネージュです、よろしくお願いします」


片眼鏡を掛けた長髪の男が恭しく頭を下げて、ネージュも倣うように頭を下げた。では、とノクトが玄関の扉を開けて、ネージュはクロヴィス邸に入った。足跡と息を可能な限り殺す。静かに、音を響かせないように。


「ネージュ、そんなに足音も息も殺さなくていい」

「…ぃぇ、むりです」

「そんなか細い声で…。ネージュ、君は意外と怖がりだな」

「初めて知りました…。知らなかった…」

「ははっ、そうか」


真っ直ぐを見て、ネージュは息を細々と吐きだす。ああ、手が震えている。ぎゅうぎゅうとジェラールが握って、まるで緊張が解そうとしているようだった。そのおかげで、ネージュは立てているようなものだった。


「大広間は此処だが、ネージュ。深呼吸を三回」

「はぃ」


すーはー、すーはー、すーはー。深呼吸している間に、ネージュはゆっくりと考える。ジェラールのご両親は、どんな人か知らない。知らないのに、こんなに怯えているのは失礼なことだ。そこまで行きついて、ネージュの小さな震えは止まった。


「大丈夫そうだな」

「はい、もう大丈夫です」

「ノクト、開けてくれ」

「はい」


こくりと頷くネージュを見たノクトが大広間の扉を開ける。ゆらりゆらりと光が煌めき揺らぐのが見えた。


「ただいま戻りました、父上、母上」

「おかえり、ジェラール」

「ネージュさんも、いらっしゃい」


優しそうな夫婦は、ふたりは寄り添ってネージュとジェラールを出迎えた。ネージュを見る目は、想像と違って柔らかくて優しかった。まるで、ジェラールがネージュを見る目と同じようで。


「はじめまして、ネージュ・アルナルディです」

「ネージュ、君はもうクロヴィスだが?」

「あっ」

「はは、まだ慣れてないか?」

「な、慣れと言いますが…、あの、ご両親に認められていないのに、クロヴィスの姓を名乗るのはどうかと思うのですが」

「またそんなことを言うのか。疑心が強すぎないか?」


ぱちんと口を空いた手のひらで覆えば、ジェラールはまた笑った。確かに、書類上はクロヴィスの姓だけど…。ネージュは、下からジェラールを見上げてこてりと小首を傾げる。


「疑心…そうでしょうか?」

「あぁ、そうだよ。怯えて疑っている。そろそろ俺を信用しないか?」

「う…」


信用している‘つもり’だった。所詮‘つもり’でしかなかった。そのことを、突き詰められたようで、ネージュは目を伏せた。


「ジェラールさまのことは」

「ん?」

「疑ってない、です。けど、やっぱり自分の事なのに受け止められないというか」

「またあとで話し合いだな」

「今日は泊まられるんですか?」

「明日は早いから帰るよ。……なんだ、父上、母上。そんなニヤついて」


ジェラールがネージュから視線を逸らすことで、ネージュは今、此処が、何処なのか、はっきりと再認識した。繋いだ手を放そうとしても、ジェラールは放すことはなく、ネージュは頬が熱くなるのを感じる。


「――いやあ、うちの息子も捨てたもんじゃないなあと思ってな。ネージュさん、はじめまして。父のディルクだ」

「ふふ、熱いわねえ。母のアンドレアよ。よろしくね、ネージュさん」

「…よ、よろしくお願いします」


ああああ、恥ずかしい。恐怖心はもうないけれど、羞恥心が凄い。その羞恥心をやり過ごすことが出来ずに、心臓の鼓動が先走っているような気がする。顔を真っ赤にしているネージュをジェラールやディルク、アンドレアは微笑ましく見った。


「さあさあ、ふたりとも席についてちょうだい!折角の料理が冷めちゃうわ」

「ネージュ、隣に」

「…はぃ」


手を放して一歩踏み出したジェラールが椅子を引いて、ネージュを呼ぶ。あああ、椅子を…あああ。ネージュはそろりと近づいて椅子に座れば、ぽんと軽く肩を叩く。大丈夫だと伝わって来る。が、それはそれで心臓が痛い。


ちゃんと出来るだろうか。そればかりが頭の中をぐるぐると駆けめぐっていく。ちゃんと、できるか。そればかり。


「ネージュさん、肩の力抜いて大丈夫だよ」


ディルクの言葉に、ネージュの肩はキュッと持ち上がる。その間違いなく肩に力が入った姿に、ジェラールとアンドレアは噴き出した。ディルクも、くつくつと笑いが噛み殺せていない。


「じぇ、ジェラールさまあ…」

「はははっ」

「ジェラールさまああ」


右隣に座るジェラールの腕に縋り付いた。もうだめだ、私はだめ。帰りたい。ヴェーガの美しい毛並みに顔を埋めて吸いたい。お日様で温まった優しい香りを肺いっぱいに吸いたい。


「ふふ、ネージュさん、大丈夫よ、大丈夫」

「っ」


ぎゅぅぅとジェラールの腕を握りしめながら、おそるおそると正面に座るアンドレアを見た。優しい目がネージュを見ている。それはアンドレアだけじゃない。ディルクも、優しい目でネージュを見ていた。その優しい目にジェラールの根源をみた気がして。


「恥ずかしいのは俺のせいにしていいから、な?」

「…ぅ」

「そうよ。なんでも、ジェラールのせいにしていいのよ」


そのアンドレアの言葉が、助け船のように思えても、それがどうしても羞恥心をあおってくる。でも、引っ掛かった言葉に、ネージュは震える唇を開く。


「な、なんでもは、できないです……。あの、今回の結婚は、私のせいで、」

「ネージュ」

「公爵家であるということも含めて、国王からご当主に婚姻についての通達があった、と思います」


どれだけ機密な内容だと言えども、相手は公爵家だ。なあなあで話をうやむやにすることは出来ないだろう。ネージュは頭が冴えて来るのを感じた。ジェラールから手を放して、膝の上に置く。


「私は、事故物件と言っても良いほどです。故郷の国を、謂れのない罪ですが、永久追放されました。それ以降はただの治癒魔術師である、ということだけを背負って生きて来た、一般市民で、それ以外に取柄なんてなくて…」

「ネージュ、事故物件と言わないという約束をしたはずだが?」

「ジェラールさま、今私は真剣にっ」

「真剣でも何でも、自分を下にする発言はするなと言っているんだ」

「…それでも、私は、クロヴィス家にご迷惑を」


口を開こうとして、コトンと音がしたことでネージュは口を閉じた。ネージュは音がした先の、ディルクを見る。ディルクは、ひどく穏やかな顔をしていた。


「――ネージュさん、君がジェラールの部下を幾度となく救ったことは聞いている。ワイバーンの襲撃直後に、救護所の助けもしたってことも聞いているんだ。その後の救護活動のこともね」

「私は、ネージュさんがジェラールのお嫁様になってくれるの、とても嬉しいわあ。こんなジェラールの一面を見たことないもの」

「お前な…。とにかく、クロヴィス家当主としても、ネージュさんのクロヴィス家入りを嬉しく思うよ。ようこそ、クロヴィス家へ」


ゆらりと蝋燭が揺らめいた。頬を伝っていく、冷たいもの。目の前が、ゆらゆらと揺れる。ディルクとアンドレアは微笑んでいて、ジェラールがハンカチをネージュに渡す。


「お義母さん、お義父さんって呼んでね。可愛い娘が出来たわ、あなた!」

「ああ。素敵な娘ができたな」


ネージュは、ジェラールからハンカチを受け取って涙を拭う。溢れる涙は止まることを知らないのか、ずっと流れた。


「ネージュ、だから言っただろう。心配することはないと」

「…っはい」


肩を引き寄せられ、ネージュはジェラールに擦り寄った。ふわりとネージュの冷えた手を包み込むのは、アンドレアだった。


「ネージュちゃん、私たちの可愛い娘、よろしくね」

「――はい、よろしくお願いします」


それはネージュの心からの言葉だった。



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