カチッと固まったネージュは、もっと顔が赤くなっていくのを感じる。ジェラールに引き寄せられることに身を任せて、ジェラールの傍に立った。そして、そろりとジェラールを見上げる。
「えっと、ジェラールさま。あの方は」
「神父だ」
「あ」
あぁ、例のお喋り魔人。茶髪の長い髪を一本に結んで、微笑んでいる。言ってしまうのは、なんだけど。胡散臭い。ネージュが知る中でも、ダントツの一位に輝けるほどの、胡散臭さがあった。
「ジェラールが女の子を連れで来るなんて、どうしたんだい?」
「婚姻届を出しに来た」
「…んえ?」
きょとんとして、口を開けたままのお喋り魔人こと神父は固まった。そして、ジェラールとネージュを行ったり来たりと見やる。どうやら、言葉が出て来ないらしかった。ジェラールが、溜め息を吐きながら書類の入った封筒を取り出す。
「おい、いつまで呆けてるつもりだ」
「えーっと…。ジェラール、君が結婚するのかい?」
「そうだが」
「隣の彼女と?」
「あぁ」
「えっ!?本当の本当の話かい!?」
「本当の本当だ」
ギャーッ!と声を上げた神父に、ネージュは目を白黒させた。凄い。こんな調子の神父もいるものなのだな。神父様と言えば厳かな印象の方が強い。ひとりでペラペラと喋り始めた神父に、ネージュは呆気にとられた。
「神父が出して良い声じゃないな。さっさと、手続きをしてくれるか?」
「待って!堅物の君が結婚!どうしてそうなったの!?」
「…はあ」
「彼女、君の名前は?」
「えっと、ネージュです」
「ネージュちゃん!ネージュちゃんは、どうしてこんなやつを選んだの?」
「ネージュ、無視して構わない」
ジェラールがそう言うも気にせず、神父は喋り倒す。到底無視できそうにないが、どう喋って良いかも分からずに、視線を彷徨わせる。目が合うと、神父はにんまりと笑った。
「訳あり婚ってことかなあ?」
「最後まで付き添うが」
「本当かなあ?ふふっ」
この人、我が道を行く人だ。他人が何を言おうとも、我を突き通す。だから、ジェラールが何を言おうとも気にしない。気にも留めない。神父になるには、一皮二皮被っていることだろう、と想像してみる。
「ジェラールが結婚かあ」
「なんだ、含みのある言い方だな」
「いやあ?それじゃあ、中に入って手続きしよう」
神父は、ふふふと楽しそうに笑って教会を指さす。結婚の手続きって書類を出すだけじゃないの?そう思いながら、手を引いて歩くジェラールを見る。
「お喋りしようということだ」
「…お喋り」
「あれは、何言っても無駄だな。魔術師の適正があるから、何でも知りたがる。探求心が強いんだ。口は堅いのが救いだがな…」
「…お喋りの割に、口が堅いって矛盾のような。でも、全部喋るんですか?」
「濁しても無駄だ」
帰りたいと顔に書いているジェラールは、教会の扉を押し開く。大きな色付き硝子で施された、教会の象徴はネージュが見て来たどの教会よりも美しかった。感嘆の息が漏れる。ネージュは、呆然とその美しい硝子を見上げた。
「すごい」
「ん?あぁ、あれか。ここは、あいつの先祖が建てた教会でな。何度か建て直しを行っているが、あの硝子だけは壊れないでいる」
「よく見れば、保護魔術が掛かっていますね。美しい分価値がありますし」
「ネージュはよく見えるんだな」
「魔術を見る力は、魔力を見る力でもありますから」
「必要な技能、ということか」
きらきらと煌めく色付き硝子は、美しい反射を教会内に映し出すのをジェラールと見ていた。教会の奥から、神父が出て来る。
「はあー、本当に君が僕より先に結婚するんだねえ」
「なんだ。にやにやと」
「実感がわかないなあと思ってね。さ、書類を」
書類の不備を確かめるように、目を滑らせる。うんとひとつ頷いて、持っていた判子を書類に押した。今、この時を持って受理された。
「これで、名実ともに君たちは夫婦だ」
契約婚が成立した。その実感は、どうしても湧いてこない。繋いでいる手に力が籠められる。ジェラールは、何を思っているのだろう。その蘇芳色の目を見ることができなくて、ネージュは神父を見た。
「さあ、ジェラール!早く話しなよ」
「此処でか?」
「んっ、それもそうだね!奥に案内しよう。素敵な茶葉をいただいたんだ」
ほらな、言わんばかりの表情でネージュを見るジェラール。目を見合わせる二人に、神父はくふくふと笑う。楽しそうだな、この人。
奥に案内され、小さな部屋に入る。教会の奥に、こんな部屋があるなんて。でも、休憩室ぐらいは必要だろう。ジェラールが椅子を引いて、ネージュに座ることを促す。促されるまま、ネージュは椅子に座り正面に腰掛けた神父を見た。
「そだ、自己紹介が必要かな。ジェラールの先輩で神父をしてるネオです。はい、これお茶ね」
「あ、ありがとうございます」
「それで、どこから聞きたいんだ。俺たちも次の用事があるんだが」
「新婚さんだもんね!じゃあ、どういう訳で結婚したのかな?」
わくわくと喜々として神父――ネオはジェラールに話かける。ジェラールは少し考えたように、お茶を飲んで口を潤す。
「王命だ」
「えっ!王命の結婚!?じゃあ、君たちは知り合って間もないの?」
「知り合ってからは、数ヵ月経っている。彼女は、うちの治癒魔術師だ」
「へえ!あ、もしかして中心部で有名になってる子かな?」
「そうだ」
「随分、騎士たちが彼女に首ったけらしいね。噂で聞いてるよ」
「…アイツ等め」
首ったけ、という噂が立っているのは非常にまずいと思う。ネージュは、良い香りのするお茶を口にする。わあ、とても美味しい。素敵な茶葉と言うだけはある。現実逃避だ。分かっている。現実から逃避しなければ、居た堪れない。騎士たちには、きっとお説教があることだろう。
「ネージュちゃん、この街はどうだい?ちょっと災害が起こることもあるけど、過ごしやすいでしょ?」
「え、ええそうですね。皆さん、とても優しいですし」
「優しいか。君は、上手いことこの国に馴染めたんだね」
「…馴染めない人も居るみたいな言い方ですね」
「事実そう言う子もいるんだよ?うちの国、結構厳しいから」
決め手は何かなあ。そう言うネオにぞっと鳥肌が立つ。粟立った腕を隠すように、手で寄せる。ジェラールに見られているのを感じながら、ネージュは口を開いた。
「確かに、私は忌み嫌われる流れ者です。この国に、馴染めるとも思ってもいなかった。しかし、私が腰を据えた町はとても優しくしてくださいました。家を貸してくださいましたし、師匠のような方もできました。それは、何故か?」
間をおいて。ネージュはネオを見据える。多分、ネオは駆け引きをしようとしている。ジェラールに、公爵家の騎士団長に本当にふさわしいのかどうか。
「ーー私が薬師だったからでしょうね。高齢の薬師の後継者がいないから、町の薬師として求められた。国に訴えても、小さな町だから薬師でさえも寄こしてくれない。そうぼやいていたのを聞いたことがあるので」
「へえ?でも、それだけで受け入れられるかな」
「さあどうでしょうか。あとは、町の方に聞くしかないですね」
肩を竦めることで話を終わらせる。王命の結婚と聞いても薄い反応だ。ジェラールも何も言わないという事は、ネージュから言葉を聞くために黙っているということで。ネージュは思考を巡らせながら、残ったお茶を口にした。冷えても美味しいなあ。
「それで、他に聞きたいことはありますか」
なぁにが教会に力はないだ。ジェラールを少し恨めしい気持ちで見る。故郷の国のように、隠れ蓑にしているようだった。
「ネージュちゃん、今何考えているのかな?」
「いえ、特には」
「そうかい?不服そうな顔をしているけど」
けれど、そこまで突くつもりはなかった。見て見ぬフリをすることで、身を守れることもあるのだ。ネージュはそれを良く知っていた。
「んー、まあ良いや。ジェラール、どこに行く予定なんだい?」
「丘に」
「ああ、天気良いからね。昼食、うちから用意してあげようか?」
「いや、他にも行くところはあるから」
「そう?」
「もう良いか?満足したなら、俺たちは出るが」
「あんまり満足はしてないけど!」
そう言いながらも、ネオはジェラールたちに扉を指さす。出て行っても良いよということかな。ネージュは判別つけることが出来ずに、ジェラールを見て行動を待つ。ジェラールもネージュを見やって、『行こう』と小さく言った。
「それじゃあ、失礼する。承認助かった」
「お茶、美味しかったです」
「またふたりで遊びにおいで。今度は結婚式かな?」
「その時はまた」
――お喋り魔人の神父というより、あれは審問官だ。魔術師の素質があると言っていたから、適しているのは間違いない。厄介な人、それで覚えておこうと思う。ネージュは、ネオに背を向けて教会を後にした。