翌日、ネージュのもとにジェラールが訪れた。見慣れない私服姿に、少しだけ心臓が跳ねる。とくりと主張する心臓に、ネージュは小さく息を吐いた。
「ネージュ、書類を出した後どこか見たいところでもあるか?」
「見たいところ、ですか?でも、どこも工事中では?」
「書類を出しに行く教会は、街の一番隅にあってな。中心部から出れば、特に被害はないんだ」
「それでしたら、ジェラールさまのおすすめの場所に行きたいです」
「俺の?」
「はい。ジェラールさまのことが知りたいです」
夫婦になるのあったら。そんな思いで口にすれば、ジェラールは少し考える素振りをみせた。そして、ゆるりと口元を緩めてネージュを見た。
「なら、天気も良いから丘の上に行こう」
「はい。ジェラールさまのおすすめなら、どこにでも行きます」
「昼食を持ってくれば良かったか。だが、それはまたの機会にしよう。立ち話もあれだしな、馬車に乗るか」
「…さすが公爵家、立派な馬車ですね」
見て見ぬフリをしていた、複雑な意匠を施された馬車を見る。公爵家とあって、その意匠は複雑で美しかった。ちょっと派手だが。
「これでも、一番地味なのを選んだんだ」
「地味、ですか?」
「そうは見えないんだがな…。一応、クロヴィス家という顔でもあるからな許してくれ」
全くもって地味には見えないと思っていたのが顔に出ていたのか、ジェラールは苦笑いを浮かべながら御者が開けた扉を潜る。中から、手を伸ばしてネージュを呼んだ。
「ありがとうございます」
「ああ」
「わ、中も凄く綺麗ですね」
「そう言ってくれるとありがたい。ネージュは乗り物酔いは大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「それじゃあ行こうか」
ジェラールの内窓からの合図に、御者が馬車を動かし始めた。ガタゴトと車輪が動くのを感じながら、ネージュは口を開いた。
「それにしても教会が街の隅にあるなんて、珍しいですね?」
「あぁ。うちは祀る神はいるが宗教色はそこまで強くない。生きとし生けるもの、その時々によって繫栄し衰退するというのが教えだからな」
「ということは、教会自身にあまり力はないのですね」
「うちの絶対は国王だぞ?王以外に絶対の力を持たせてみろ。一気に破綻する」
「な、なるほど…。ですがそれ、絶対に国外で口にしないでくださいね?」
「分かっている」
王が‘白’と言えばすべてが‘白’になる、ということだろう。凄い。そういう国は滅多にない。祀り上げている何かに縋り付くように、ネージュが渡って来たどの国も、必ず教会に力があった。
「そうだ。今から行く教会の神父に、何を言われても無視してくれ」
「え?」
「俺の先輩なんだが、とてもよく喋る」
「はあ」
「だから、言うこと全部無視して構わない」
とんでもない人物が出て来そうだなあ。ネージュは、苦い顔をするジェラールを見て頷いた。お喋りと言えば、アドルフが出て来るのだがそれを上回るほどのお喋りなのだろうか。
「お喋りさんと言えば、アドルフさんもそうかと思うのですが」
「アイツ以上だな」
「まあ」
即答だった。アドルフ以上か。どんなお喋り魔人が出て来るのかしら。少しだけ楽しみで、ネージュは馬車の窓から外を見た。
「街から出ると、結構のどかですよね…。首都だから全体的に栄えている印象があるのですが」
「そうだな。知っていると思うが、うちはそれなりに魔物の襲撃が多い。だから、栄えている場所を分散させて、被害を少なくさせているんだ」
「と、いいいますと?」
「例えば、青果市場は中心部から外した部分に置いている。これは、魔物の襲撃の際に食品類を廃棄にしないためだな。定期的に馬車を出すという手間と価格設定の問題があるんだが、この中心部の外れにあるから中心部が被害に合っても、食品類の物流は滞りなく進むんだ」
「へえ、そういう意図があるのですね…。個人さんで営まれているお店や工房があると思うのですが、そこに関しては保障とかあるんですか?」
ネージュの問いかけに、ジェラールは目を瞬かせたあと口を開く。
「保険制度があるな。国に一定額を収めて置くことで、保証が利くようにしてある。これは、一般の民家にも対応しているぞ」
「手厚いですね。だからこそ、何度も襲撃が合っても復興が早いのかな…」
「魔物の襲撃がなぜ多いか、それが解明されるだけでも違うんだがな。魔術師団の奴らは暢気だから」
呆れたような言い方に、今度はネージュが目を瞬かせる番だった。そういえば、魔術師団とのやりとりには、仲介を挟んでいるような口ぶりをしていた気がする。
「そういえば、ネージュは魔術師の括りに入るわりには、交友的だな?」
「あら、ジェラールさま。治癒魔術師は、人嫌いや排他的ではなれない職業ですよ?」
「だが、そういう気質は否めないだろう?」
「私の知る治癒魔術師は、みな友好的で社交的でしたけど…。この国の治癒魔術師は違うんですか?」
「人を実験台にするような奴らだが?」
「あらあ…。それは、魔術師の性質が強いのですね。故郷では、治癒魔術師になるための選別がありましたから」
「うちにもその選別とやらを取り入れるべきだな」
「まあ、それも魔術師の個性ですから。むやみやたらに潰して良い物ではありませんよ」
ネージュの言葉に、ジェラールは大きく顔を顰めた。そんなに魔術師と折り合いが悪いのだろうか。また、聞いてみたいものだ。
「着きましたよ、ジェラール様」
「ああ。此処だ、ネージュ」
停まった馬車、開けられた扉の向こうには教会が見えた。首都の教会とあってか、住んでいた町よりも建物が大きい。ちらほらと人の影がうろついている。
「おいで、ネージュ」
「あ、はい」
伸ばされたジェラールの手を、ネージュは取った。ぎゅぅと握り込まれる手に、ネージュの心に小さな温かなものが生まれた。握られた手を、握り返してみる。ジェラールの蘇芳色の目が、ネージュを捉えて僅かに目尻を緩めた。
「行こうか。俺がさっき言ったことは覚えているな?」
「はい。ですが、良いのですか?神父様を無視するなんて」
「では、聞き流せばいい。何も聞いてませんと言う顔をしていればいい」
それもそれで、どうかと思う。そう思いながら、ネージュは石畳の上を歩く。コツコツとふたつの足音が、どこか心地よくて。ジェラールに手を引かれて歩く。
「ネージュ」
「はい?」
「君の指にある魔法石は、誰かの贈り物だろうか?」
「これですか?」
ジェラールが取る手を持ち上げて、太陽に照らされて煌めく指輪を見る。
「これは、露店で買ったんですよ」
「だが、防御陣が仕込まれているようだが」
「花祭りの時に、とあるご婦人の相談に乗ったんです。そうしたら、お礼にとご主人さんが加工してくださって」
防御陣の気配が分かるということは、綿密な魔力操作が出来る人なのだろう。そういえば、炎系の魔術が得意と言っていたような。あやふやだなあ。それだけ、まだジェラールについて知らないのだ。
「なるほど?では、俺が贈ってもいいな?」
「うん?」
「施術に邪魔にならないようなものがいいか」
「あの、ジェラールさま?」
ネージュの手元を見て、何かを考え始めたジェラール。くるくると指先を撫でるのがくすぐったい。
「君には寄り付く男も多そうだからな…」
「そんなこと」
「ないとは言わせないぞ。うちの野郎どものなかにも、君に懸想する奴はいる」
「でも」
「でもも何も無い。君は可愛らしいし優しいからな、そういう目で君を見る奴だっているさ」
可愛らしい。その言葉を理解した瞬間、頬が一気に暑くなっていく。まさかジェラールに、そう言われるとは露ほども思っていなかった。だって、王命の契約婚だし。
「顔が赤いな。君はよく表情が変わる」
「う」
「隠すな隠すな。別に悪い意味じゃないから」
片手で顔を隠そうとすれば、ジェラールが笑いながらそれを止めて来る。それを身を捩りながら避ける。片手を繋がれた状態で、避けると言っても小さなものだが。
「――ところで、オレはいつまで後輩のイチャつきを見ればいいんだろうか?」
その声に、ネージュが動きを止めるまでは。