「結婚…?クロヴィス団長と、結婚…?」
きょとりとしたネージュに、ジェラールは紙を揺らしながら頷いた。えっと、結婚。というか、この人独身だったのね…。どっちも驚きがある。
「詳しい話は、俺の執務室で話したいんだが…。かまわないか?」
「あ、はい」
「…ネージュ、頼むから迂闊に頷かないでくれ。誰かの同席の確認をしてくれないか」
「え…」
はぁ…と額を抑えながら、呆れ混じりにジェラールは「騎士だが、甘く見るなよ」と続けて言う。どうやら、ネージュの認識の甘さについて言っているのだと気付いた。
「気を付けます」
「頼むよ。一応、今は内密の内容だから、俺ひとりだが…。アドルフの同席を頼む方が良いか?」
「いえ。そういう場合には、自己防衛の魔術も使うことができるので大丈夫です」
「…良いだろう。変な気を起こすつもりもないが」
「威力あるんで、気を付けてください」
そう返されると思ってもいなかったのだろう。ジェラールは目を見開いたあと、くつりと口の端を持ち上げて笑った。
「使ったことが?」
「何度か」
「何度も経験があるのに、どうしてそう…」
何かを言いたそうなジェラールに、ネージュは笑う。ネージュに接してくれる人たちはみんな優しいから、疑うことも忘れかけていた。
「はい、片付けも終わったので行きましょうか?」
「…あぁ」
コトンと薬草の蓋を閉じて、ネージュはジェラールに身体を向けた。待ちの体勢をしていたジェラ―ルも、その動きを見届けて動き始める。
「此処には、いつも誰かが寄るのか?」
「騎士の皆さんですか?そうですね、誰かは顔を見せてくれます。あ、ちゃんとお昼時間とか帰りの時間です!」
「そこは心配していないが、顔を見せて何をするんだ?」
「一言二言お話するだけですよ。もちろん、お仕事の触りがない程度ですけど」
「そうか…」
天幕を出れば、夕日が沈みかけていた。紫色になった空に、帰りが遅れた鳥が飛んで行くのを見ながら、騎士団の本部に向いて歩きだす。
「クロヴィス団長は、寮で過ごされているんですか?」
「ジェラールと呼んでくれ」
「…ジェラールさま」
「さま、な」
「身分は上でしょうし…。今は、さまを付けさせてくださいな」
「仕方がないな。それで、寮暮らしという話か。俺は基本、自宅の屋敷に戻る。どうしても帰れない時は寮にいるがな」
「そうなのですね。マーサさんの食事を食べれて良いですね」
ジェラールは、ネージュの言葉に難しい顔をしたあと「そうだな」と投げやりの返事を返した。ネージュはそれも気にせず、次に気になったことを聞くために口を開ける。
「ジェラールさまは、マーサさんとお付き合い長いのですか?本名で呼ばれていましたけど…」
「アイツとは、騎士団に入ってからの付き合いだな。怪我で退役してから、寮の管理人をしているんだが…。そうだな、十年少しの付き合いになるか」
「十年も!深い仲なのですね」
「…その言い方、なんか嫌だな」
「ふふふ」
眉間に皺を寄せたジェラールに、ネージュは声を出して笑う。けれど、否定しないジェラールは、マーサと本当に仲が良いのだなあ。騎士たちのそういう繋がりは、見ていて心地いい。あぁ、仲間って良いわね。
「次は俺の番だな。ネージュは、他の国にも居たのか?」
「居ましたよ。あまり長い間居たわけではないんですけど」
「この国に居ようと思ったきっかけは?」
「みなさんの人柄の良さ、でしょうか」
「人柄?」
「他国の流れ者というだけで、案外嫌われるんです。でも、この国の人はちゃんと受け入れてくださったのです」
あの町の人たちに、また会えるかしら。そう思いながら、ネージュはジェラールと並んで騎士団の本部へと足を踏み入れた。
「あの町は、君にとって過ごしやすい場所だったか?」
「とても。でも、ここも過ごしやすそうですから」
「そうか。なら、良いんだ」
とても過ごしやすい町の、大本である首都もきっと過ごしやすい場所になるだろう。そんな気がした。ネージュは、ジェラールが開けた扉を潜り執務室に入る。
綺麗に整えられた執務室は、騎士団団長の部屋だと言われなければ気付けない。騎士団って、書類を溜める印象が強いんだけど、この人はそうじゃないのね。書類仕事もこなせる騎士ってそうそう居ないと思う。
「ネージュ?」
「あ、いえ。ジェラールさまは、書類仕事も出来るんだなと思いまして」
「…出来るというより、しなきゃならないことだからしている、という感じが強いな」
「専属の文官はいないんですか?」
「いるよ。でも、他の部隊長の能力を補うために充てている」
「まあ…」
あらあら。部隊長ということは、一体誰なのかが想像がつく。やっぱり彼等は脳筋なのね。文官に尻を叩かれながら、書類仕事をしているところまで想像が出来た。苦手そうだものねえ。
「ネージュは騎士団について詳しいのか?いや、うちの国じゃなくて故郷で」
「内部事情はあまり詳しくありません。前線にいたので、前線についてしか知らないんです」
「そうか」
「何か必要とする情報があるんでしたら、知っている範囲ですが喋りますよ?」
「いや、今はないな」
「いつでも聞いて下さいね。まあそうならないことを祈るばかりですが…」
「そうだな。ネージュ、好きな所に座ってくれ」
「はい」
促されて椅子に座れば、ジェラールはネージュの正面に座った。ネージュをしっかりと見据えて、王命が下ったという時点の話をし始める。
「さっきも言ったが、君の身柄の安全の確保、そのほかの保障を含めて、俺との婚姻の王命が下った」
「…ジェラールさま一択なのですか?いえ、他の誰かとかいう悪い意味とかではなく…。その、ジェラールさまに王命が下ったという理由が分からず」
「クロヴィス公爵家は、王家と縁が深いからな。なんでもかんでも俺に言いつけるんだ」
「…言いつけ」
「あぁ、悪い意味で捉えないでくれ。王とは交友があってな、『ネージュと知り合いなら、知り合いと結婚するのが良いだろ』とのことで。すまない、王命と合っては俺が何を言っても通らなくてな」
王族と縁が深い公爵家。結構な身分の方だった…。騎士団長という役職もあるから、それなりの身分だとは思ったのだけど。今日は驚くことばかりだ。
「王命の契約婚ということだが、一先ず俺の両親と顔合わせがあるんだが良いだろうか?」
「それは、良いのですけど…。私、見ての通り教養とかないですよ?」
「それは追々身に着くことだ。必要最低限のことが出来ればそれでいい」
「軽いですね…」
それで良いのだろうか。けれど、それ以上はそのことについて言及することはなかった。ということは、本当に必要最低限のことが出来れば良いのだろう。必要最低限ってどこまでのことを言うんだろう…。
「契約婚ということは、契約終了もあるということですか?」
「ないとも言い切れないが、終了がある結婚も嫌じゃないか?」
「それもそうですけど…」
だが、そこにネージュの感情は関係ない気がする。きっと、好きになっても置いて行かれてしまう可能性もある。
「俺から申し出ることはないだろう」
「ですが、王命がそう決めれば拒否できないのでは?」
「王も人でなしではないから、安心しろ」
「はあ…」
安心しろと言われても、安心できるだろうか。今はまだ分からない。視線を下げながら、ネージュは考えを巡らせる。結婚について王命だから拒否権はないし、このままジェラールと結婚することは間違いないだろう。
「不安なことは、今潰しておこう。他にはないか?」
「…婚約者様が居たのでは?」
「居らんが」
「えっ」
「なんだその顔は」
そんな馬鹿な、そういう感情が顔に出ていたのだろう。ジェラールに突っ込まれて、ネージュは頬を押さえた。もみもみと頬を押さえていると、小さな溜め息が聞こえて来る。
「そ、それで婚約者様はいないと…」
「あぁ。仕事と私、どちらが大事なの!と言われることも多く…」
「まあ…。それは、大変でしたね」
多く、ということは何度も白紙に戻しているのだろう。大変だな、地位のある人って。身分も収入も容姿も申し分ない、というよりネージュにとっては恐れ多いぐらいだ。故郷を追われた身の人間を、こんな良い人に嫁がせても良いのだろうか。
ネージュの情報は、すべて国に挙がっているとみて間違いないだろう。それを知ったうえでの、王命ってよく分からない。