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第19話

話が終わると、アドルフが先に立ち上がった。ネージュが見上げれば、この先に待つものが。心から待ち遠しいと言わんばかりに笑って見せる。


「さあ、夕食会へご案内しましょう!団長も副団長もあとで来られるんですよね?」

「あぁ」

「俺は…」

「エクトルも行くから、食い尽くしてくれるなよ」

「えっ?俺、行くって…」

「分かりましたぁ!じゃあ、お先に失礼します」

「ネージュに迷惑をかけないようにな」

「はい!」


声が弾んでいるアドルフに、ネージュは苦笑いを浮かべながら立ち上がる。書類に名前を書いていたジェラールが顔を上げて、口を開いた。


「ネージュ、すまないな。暫くの間付き合ってやってくれ」

「とんでもないです。誰かとする食事、とても楽しみなので」

「そういうのは思っても言わない方が良いぞ。うちの男どもはすぐにつけ上がるからな」


ゆるりと笑うジェラールに、ネージュは小さく頷いた。けれど、国の要でもある騎士団に活気があるのは良いことだ。活気のない、義務感だけで勤めている騎士はやりがいを知らないまま、腐っていく。故郷の騎士団のように。


――何もかもを、故郷と比べてしまう。それはすべて無意味でしかないのに。


「ネージュさん?大丈夫ですか?」

「あ、はい!行きましょっか」

「楽しみですねえ、どんなご飯が並んでるんでしょう!団長、副団長、それでは!」


本当に楽しみなのだなあ。アドルフは、今にもネージュの手を引きそうなほどルンルンとした雰囲気を醸し出しながら、扉を開けてネージュに出ることを促す。自身も出た後、パタンと扉を閉めた。



「ネージュさんは何が好きですか?」

「…この国の料理はなんでも美味しいですから」

「特になし、と言う感じですか?」

「そう、ですね。食べれるものを食べていた時期が長いので…」

「じゃあ、今日は好きな料理が出来ると良いですね!マーサさんの作る料理は何でも美味しいんですよ!」

「はい」


にこやかに笑うアドルフの笑顔が眩しくて、ネージュは目を細めた。元々アドルフは明るくてお喋りな性格なのだろう。騎士団の寮に着くまで、あれこれと喋りネージュを楽しませたのだった。エクトルに恨みがあるような話もあったが、それはそれとして置いておこうと思う。


「ここです!」

「お、大きい」

「そりゃあ、この大陸イチの騎士団の寮ですから」

「確かに、みすぼらしい寮では面目が立たないですね」


門扉まで立派な、まるで屋敷のような寮の敷地内に足を踏み込む。ふわりと、結界を通ったような感覚に目を瞬かせた。


「防御結界…?」

「えっ、そこまで分かるんですか!?」

「前線で過ごすうちに、そういう感覚は養われていくので…。あの、なんで此処だけ防御結界が?」

「これは、ずっと昔からあるんです。諸説も色々と」

「諸説」


そういうものもあるんだなあ。ネージュは深追いすることなく、アドルフの案内について歩く。ワイバーン襲撃では、襲撃範囲がズレていたから結界に綻びも見受けられない。どこに礎となる魔術陣があるのだろう。気になる。


「女性の方を招くのは、少し恥ずかしいですね」

「…今更?」

「ええ。いつもは野郎ばっかりなので」


寮の中に入れば、アドルフは恥ずかしそうに笑う。建物に古さはあるものの、それが趣を感じさせられた。街の家屋の作りとは少し違うような気がする。そう思いながら、壁に掛かった絵画を見て、ふと気づいた。


「ここは誰かの屋敷だったのですか?」

「ネージュさんの慧眼に感服いたします。此処は、ジェラール団長のご先祖が住まわれていたお屋敷です。今は、新しいお屋敷を持っていられるんですけどね」

「へえ…。団長は、騎士の家系なのですか?」

「そうですよ」


蘇芳色の目を思い出しながら、ネージュはその屋敷の広さに内心驚いていた。寮にするには、改装もしたのだろうけれど、その改装の面影も見せていない。大工の手腕も凄いのだな。


「さあ、着きました。入りましょう」

「良い匂いがしますね」

「マーサさんが張り切っているので」


寮母のマーサ、一体どんな人なのか。そう思っていると、バンッと大広間の扉が開いた。満面の笑みを浮かべた男たちが見える。


「わ」


驚きのあまり声が出た。すると、バタンと勢いよく扉が閉まる。開いた口が塞がらないまま、扉を閉めたアドルフを見やる。


「すみません、ちょっと待っていてください」

「え、え?」


アドルフは細く開けた隙間から、大広間へ入っていく。置いてきぼりになあったネージュは、その意匠あふれる扉を見つめた。


「うーん…」


それから五分以上経過しても、アドルフはで3てくる様子がない。ぼんやりと待つしかないネージュの後ろに影が差した。


「ネージュ?」

「あ、団長」

「どうした、広間にも入らず」

「いえ、アドルフさんを待っているんです」

「扉の前で?待て、いつから待ってるんだ?」

「…へへ」


五分は待っている。しかし、アドルフを思うと答えることができず、ネージュは笑う。


「へへ、ってな…。五分は待っているんだな?」

「わ、すごい」


ご名答。思わず声が出る。すると、ジェラールは大きく取溜め息を吐いた。この人、案外苦労人なのかもしれないわ。ネージュはそう思いながら、扉に向いて伸ばされたジェラールの腕を見た。


「まあいい。入るぞ」

「えっ、でも」

「俺が開けるんだから、かまわんさ」

「そ、うでしょうか」

「ああ」


ジェラールは言い切って、扉を開ける。全員の視線がジェラールとネージュに突き刺さる。アッ!という顔をしたアドルフが駆け寄って来た。


「ネ、ネージュさん!」

「アドルフ。女性を五分以上も待たせるとは、どういうことだ?」

「すみません、団長!ネージュさんも、申し訳ございません…」

「いえいえ、大丈夫ですよ」


笑って答えるネージュに、ジェラールはネージュを見て口を開く。


「そうやって甘やかすな。女性を待たす男にロクなやつはいないぞ」

「まあ」

「団長、それはひどいです!俺、ロクな男でもないです」

「酷くない。それに、お前が良いやつだと分かっているが、付き合うととんでもないロクデナシになる可能性はゼロじゃないだろ」

「うぅ…」


真顔で言うジェラールに、ネージュは随分と女性に優しい人なのだなと新たに情報を更新する。真面目な人だ。どんどんジェラールについて、知っていく。


「もう!いつまで入り口で話してるのよ!」

「マリベルか」

「マーサよマーサ!」

「…マリベルさん?」

「マーサって呼んで頂戴!」


奥から出て来た鍋を持っているのは、フリルエプロンを身に着けた屈強な男性だった。大きな傷跡のある剃った頭部が眩しい。


「えっと、ネージュです」

「マーサよ、よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」


ネージュは深く考えるのを止めた。考えたって、目の前のことは現実なのだ。本人がマーサと名乗っているのなら、そうなのだろう。


「待ってたわ、ネージュちゃん。うちの若い子が世話になったわね、ありがとう」

「そんな。治癒魔術師の自己満足です」

「その事故満足で命を助けられてるんだから。お礼はまだするわよ」

「…まだ?」

「さっ。美味しいご飯を作ったの。食べましょ」


はぐらかされた。あからさまな、はぐらかしだった。もしかして、マーサがあの土産を手配しているのかしら。


「マーサ。もしかして、お前が指示しているのか?」

「やあね!そんなことないわよお」

「その割には、目が泳いでいるが」

「ま、まあ、クロヴィス団長。温かいご飯が冷えてしまいます」

「はぁ…。困ったら相談するように」

「はい」


ネージュは返事をして、手招きをする男たちの元へと向かった。わああと歓声を受ける。心からネージュを歓迎しているようで、ネージュの心は温かくなる。


「さあ、食べますよ」


アドルフのその声を合図に、ネージュはマーサ自慢の食事に手を付けたのだった。


「んっ、美味しい!」

「そうでしょ~!アタシの料理はなんでも美味しいのよ!」


色とりどりの食事は、どれも美味しく、ネージュは胸を躍らせた。家庭の味というのだろう。ネージュは知らないモノだが、マーサの食事からはそれが感じ取ることが出来た。


「――ネージュ、宿まで送ろう」

「あ、団長!俺等が送りますよ?」

「酔っ払いに任せられるか。何かあればどうする」

「それもそうっすね!じゃあ、また次は俺等に送らせてくださいね」

「はい。また、その時はお願いしますね」

「じゃ、ネージュさん!おやすみなさーい」

「おやすみなさい!」

「行こうか」

「クロヴィス団長、よろしくお願いします」


ネージュは頬を赤く染めた騎士たちに手を振って、それを見守るジェラールの元へ向かった。言葉少なの帰り道だったが、柔らかな風が優しく二人を包み込んでいた。


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