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第17話

夕刻を告げる鐘が鳴り響く。ネージュは、片付けながらそれを聞いているとひょっこりと見慣れた顔が覗いた。剪定ばさみをネージュに送った彼――アドルフである。人好きしそうな笑みを浮かべながら、アドルフは天幕の中に入って来る。


「ネージュさん、こんにちは」

「あれ、アドルフさん?どうしたんですか?」


騎士のほとんどが見慣れた顔になったが、ネージュは顔と名前を一致させていた。救護所の応援をしているネージュの下に、休憩の旅に誰かしらが訪れて名乗りを上げて行ったから。役職まで詳しくないが、おかげで部隊配置まで覚えてしまった。


「昨夜の件で、団長がお話を聞きたいと」

「…子供の行方は」

「まだ。手がかりが何もないのです」

「あの屋敷からも、何も出てないのですか?」

「はい。なので、ネージュさんにも何かお話を聞けたらと」

「そうなんですね…。でも、私なんかが役に立てるのでしょうか」

「大丈夫ですよ、気楽にしてくださいね」


そう続けたアドルフに、ネージュはそろりと頷いた。とはいえ、自分に何が分かろうか。でも、手助けになれるようなことがあるのなら、なんだってする。


「それでですね、お話が終わればぜひうちの寮で夕食会を」

「はい。…え?今、夕食会って言いました?」

「言いましたよ。ほら、お誘いは前にさせていてだいてますし」

「それは…」

「寮母のマーサさんも、ネージュさんには感謝しているとのことなので、本当に気兼ねなく来てください」


何故、寮母のマーサが出て来るのか。ネージュには、ちょっと分からなかった。けれど、アドルフはネージュに笑いかけて、絶対に来ますよね?と圧を掛けてくる。苦笑いを浮かべて、頷いてはみたけれど拒否権はないも同然だった。


「それじゃあ、まずは団長のところに行きましょうか」

「あ、少しだけ待っていただけますか?ここの片づけだけしておかないと」

「あぁ、すみません。大丈夫ですよ。じゃあ、外で待ってますね」

「はい」


アドルフが天幕から出て、ネージュは視線を戻す。散らかった診断書をまとめて、鍵のかかる箱に戻した。机の上で散らかった筆記用具を片して、小さく息を吐いた。


――クロヴィス団長は、一体どんな表情をしてネージュの夕食に参加することを許したのだろう。あの洞窟で出会った騎士たちは、ネージュに対して贔屓が過ぎるというか、なんというか。どうしてこうなったんだという気持ちが強い。ただ人助けをしただけなのに。


「アドルフさん、お待たせいたしました」

「いえいえ、そんなに待ってませんよ。行きますか」

「はい」


ネージュが居る中央から区騎士団の本部は歩いても行ける距離で、ネージュはアドルフとあれこれと世間話を広げながら歩いた。いつか見たような、鳥たちが巣に帰るために飛んで行く夕焼けの空が、なんとも言えなくなった。


ワイバーンの襲撃がなければ、もっと美しかっただろうに。


思っても仕方ないことだから。ネージュは空を見上げるのを止めて、足元を見た。何処を見ても、ワイバーンの襲撃の凄惨さがまだ残っている。復興にどれほどの時間がかかるんだろうか。


「マーサさんの料理、とても美味しいんですよ」

「そうなんですか?とても楽しみです」

「僕等も、ネージュさんが夕食に来てくれるのとても楽しみにしてて。多分、今頃食堂を改装してるかもしれませんね」

「ほどほどにお願いします…」


苦笑いしか出て来ない。どうしよう、風船とか紙飾りがついていて、お誕生日会みたいなことになっていたら。ネージュは、そうなっていないことを祈りながら騎士団の門をくぐる。


「多分、副団長が居ると思うんですけど」

「はい?」

「何言っても聞き流してくださいね」


アドルフは、この女性に敵意を向けている副団長を思い出した。本人は隠せていると思っているけれど、ネージュのことになると敏感な仲間がいるのだ。その敵意を知らない筈がなかった。


「団長、ネージュさんを連れて来ました!」


『入れ』と扉の向こう側から声がする。いつか、聞き慣れるであろう低い声。ネージュは、何度見てもしかめっ面なジェラールを思い出して、小さく笑みを零した。多分、今もしかめっ面をしているのだろう。


「お疲れ様です、団長」

「あぁ、お疲れ。お前も一緒に話を聞いてくれ」

「えっ、良いんですか!?」

「‘良いんですか’…?」

「いえ、何でもないです!」


アドルフは、きらきらとした笑みを浮かべて拳を握った。多分、喜んでいるんだろうけれどその歓びを隠せてない。不審げなジェラールの視線をものともしないアドルフは強いんだろうな、と見当違いのことをネージュは考えた。


「副団長は居ないんですか?」

「もうすぐ来るだろう。魔術師団との仲介を頼んだから、そちらに出向いている筈だ」

「へー、副団長に頼んだんですね。いや、僕に頼まれても嫌でしたけど」

「魔術師団にはエクトルぐらいの奴が丁度良いんだよ。お前に頼んだら血が流れる」

「いやあ、それほどでも」

「褒めてない。それよりもエクトルが戻る前に話がある。ネージュ、この前言っていた部屋の件だが、手続きが済んだからあとは引っ越すだけだ。明日にでも引っ越しを済ませたいんだが、どうだろうか」


急に話を振られて、ネージュはきょとりとしてジェラールを見た。『明日』と呟いて、ふと終の棲家になるであろうと思っていた家を思い出す。そっちの管理は町の人に任せているから、しばらくは大丈夫だろう。薬草を植えている畑が気がかりだが、致し方ないことだろう。


「えっと、荷物ですけど今ある分の荷物だけ先に移しても良いですか?ベラさん…オーベリソンのご当主の妹さんに、宿を取ってもらったのでそろそろ出なければ」

「それで構わない。住んでいた家の方の荷物は、追々でも良いだろう。ひとまず暮らしが出来るように諸々の物は用意してある」

「何から何まで」

「それはうちの言葉だな。それから、明日には騎士団所属の治癒魔術師だという紋章が届くから、受け取るように」

「はい」


こくりと頷いて、ネージュはジェラールを見た。蘇芳の目がネージュを捉えていて、視線が絡まっても逸らされることはない。逸らすのも気まずいな、そう思って見つめ合っていると、隣から揶揄うような声音がした。


「団長、女の子をいつまで立たせておくつもりですかあ?」

「…すまなかったな」

「女の子…。あの、アドルフさん、私のこといくつに見えてるんですか?」

「え?」


ネージュは『女の子』と呼ばれたことに、小首を傾げながらアドルフに問いかける。女の子と言うのは十九歳ぐらいまでだとネージュは思っている。だから、少しむず痒くて、そして気恥ずかしい。


「まだ十八とかですよね?」

「二十三です…」

「…え?二十三?待ってください。そういえば治癒魔術師って十六から学び始めるから、あれえ?」

「十六から現場に出てたので、それなりの腕はあると思いますが…」

「十六から現場!?待って、ネージュさん何歳で治癒魔術師になったんですか!?」

「十三から学んで、十五で学校を卒業しました。うちの国では普通ですよ」

「そんな普通があって堪るか!十六とか十八はまだ花配りの乙女ぐらいですよ!」

「そうなんですね」


混乱した表情のアドルフに、ネージュはくすりと笑みをこぼした。そういえば、ジェラールに歳を問われたことあったけれど、その時は平然としていたな。そう思いながら、ジェラールを見やれば、アドルフを見て溜息を吐いていた。


「何歳になっても女の子で良いだろう?」

「あ、はい、そうですね!大丈夫ですよ、ネージュさん!堅物の団長がそう言うんですから大丈夫です!」

「…はあ」


それ良いのだろうか。けれど、ジェラールは気にしたような素振りもなく、話題を変えるかのように手を振った。


「ネージュ、好きな場所に座ってくれ」

「あ、はい」


ネージュは指さされた長椅子に腰を下ろす。その隣に、アドルフが座った。「僕が副団長からネージュさんをお守りしますね」と呟いて拳を握って見せる。その副団長が分からない、ここまで言われるなんてどんな人なんだろう。


「――団長、ただいま戻りました」

「エクトルか、入れ」


街で見かけた茶髪の長身の騎士が入って来た。


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