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第15話

「ネージュさん、地上に上がりましょう。犯人は必ず、俺たちが捕まえます。だから、今は上に」


泣かないように涙を堪えながら、ネージュは支えられながら地上に上がった。ヴェーガの心配そうな目を、ネージュはぼんやりと見つめた。


「ヴェーガ、どうやってこの場所を見つけたの?こんなにも、貴方の言葉を聞きたいと思ったの初めてだわ」


グルリとヴェーガが鳴く。ヴェーガ自身もそう思っていることだろう。ネージュはそれ以上何も言わなかった。帰っても寝る気力がもうなかった。今寝ても、きっとあの惨劇を思い出すだろうから。


救えなかった命が、手から零れ落ちていくのは初めてじゃない。けど、故郷を離れてからは初めてだった。しかも、子供の命が。ああ、ああ。


「あの、ミアたちの生存確率はどれぐらいですか?」

「…分かりません。あの子供達が、どういった理由で魔術陣の糧にされたのかも分からないので」

「そうですか」


ネージュは目を伏せる。言葉を探そうとして、やめた。今ここで言い募ったって、意味はないから。ネージュは、宿までの送りを申し出た騎士に断りの言葉を入れて、ヴェーガと共に宿へ戻った。


「ヴェーガ、まずはお風呂よ」


えっ!?そんな表情をするヴェーガの首元を掴んで、ネージュは風呂場へ足を向ける。美しい銀の毛並みがくすんでいるのは、どうしてもいただけない。ヴェーガは美しい子なのだから。


しかし、ヴェーガの大きさで風呂に入れるのは一苦労だ。嫌がっているけど、大人しくしているヴェーガを洗う。簡単な魔術ぐらいは使えるため、ネージュはヴェーガに風の魔術をかける。少しでも乾燥が早く出来るように。


女将さんが用意してくれたヴェーガ用の寝床で、ヴェーガは疲れたように横になった。捜索もして警らもしたのだから、疲れて当然だろう。おやすみ、と声をかけるとヴェーガは目を閉じた。


「…あの魔術陣、どうしてあんな場所に描かれていたのかしら」


寝台に腰掛けて、ふと思う。人の血で描く理由は、おそらく生命力と魂を使うから。そして、他者の魔力を必要とする魔術陣。そういった魔術陣は、大体黒魔術と呼ばれるもので使われる。


「黒魔術、あまりいい思い出ないのよね」


故郷でも使う人は居た。国に所属する黒魔術の使い手は、いつも要人の暗殺を受け持っていた。父を母を国に殺されたのに、国に仕えていた哀れな人。ネージュの隣で、小さく微笑んでいた人。


ーーもう二度と会うことはないけど。


「少しぐらい、知識として覚えておくべきだったかしら」


たらればを考えていても、無意味でしかない。けれど、人の命を死から掬い上げるために治癒魔術師になったのだから、使う使わないは別にして、それは覚えても仕方ないものだった。


開け放っている窓から、少しずつ朝陽が差し込んでくる。紫色から橙色に空が移り変わっていく。朝は、どんなに苦しんでいたってきてくれるものだ。夜は、必ず明けるから。


「今日も、診療所は開けなきゃね」


子供の行方不明者が増えないように、注意を払いながら。ヴェーガもついて来てくれるだろう。けど、これ以上は首を突っ込むなと言われそうだ。分かっている、騎士団

に世話になるとはいえど、ネージュは治癒魔術師であって騎士ではないから。


「力になりたい、なんて偽善かしら」


でも、力になりたいと思う。優しくネージュを受け入れてくれる街の人のために。救護所で天幕を張った時、誰も来ないと思っていた。けれど、花祭りでの一件を知っている人が来てくれたのがきっかけで、常にネージュの天幕には誰かが来てくれている。


他所者だからと弾き者にせず、受け入れてくれる街の人には感謝しきれない。


朝焼けを見送ってから太陽が上がってすぐ、寝付けないままネージュは救護所に来ていた。天幕の出入り口を開けて、空気の入れ替えをしていると人影ができる。振り返れば、にこやかに手を挙げた青年がいた。


「おはようございます、ネージュさん」

「あ、アラン様!?どうしたんですか、こんな早くに」

「いえ、朝の巡回してるんです。子供の誘拐の件で、青年団にも声がかかっているんです」

「そうなんですね」

「ネージュさんこそ朝早いですね」

「はは、昨日の診断書のまとめが出来ていなかったので、少し早めに出てきたんです」

「ネージュさんには本当に頭が上がらないです」

「そんな。好きでお手伝いしていることなので」


苦笑いを浮かべて、アランの言葉を否定する。そんなに感謝されることでもないと思うのだ。救護所も、最初の時よりも慣れてきたようで人手が足りていない様子もないから。だから、これはネージュの押しつけのようなものだ。


「ネージュさんのおかげで、助かっていると皆さんから聞いています。救護所を建てた時の助言のおかげで、効率も上がってありがたかったと」

「押し付けがましいもので、すみません…」

「とんでもないですよ。謙遜しすぎです。この件が落ち着いたらでいいんですけど、よければ食事とかどうですか?父もネージュさんに改めてお礼を言いたいと言っていましたし」

「まあ。お父様の容体の方は落ち着きましたか?」

「ネージュさんのおかげで」

「よかったです」

「それじゃあ、またご連絡しますね。まだ見て回る地区があるので、失礼します」


食事の約束をしてから、アランは立ち去る。その背を見て、ネージュは小さく息を吐いた。


「おはよう、ネージュちゃん」

「おはようございます!」

「診療、今日もよろしくね」

「はい!」


女医が姿を見せる頃には、診療を受けようと住人たちもちらほらと集まってきていた。そうして、ネージュの一日が始まった。


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