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第14話

天幕に町医者のレーナが顔を覗かせる。話をすればベラとは親友だと言っていた、気前の良い女医だ。レーナは書類を手にしたネージュに笑いかけた。


「ネージュさん、今日はもうおしまいにしましょう」

「はい!薬草の在庫の確認だけさせてください」

「明日、商人が来てくれるようになってるわ」

「分かりました。やはり皆さん、睡眠のお薬を望んできますね」

「そうね。あんな惨劇を目の前で見てるんだもの。暫くは常備できるようにしておきましょう」

「はい」


レーナの言葉に、ネージュは頷いた。心の傷は、治るのに時間がかかる。寄り添い治す手伝いは出来るけれど、自身の乗り越える力が必要になるから。ネージュは、明日も訪れるであろう患者たちに寄り添えるように、改めて心に誓ったのだった。



――ワオォォーン、ワオォォーン


夜中。まん丸になった月が真上に上がる頃、聞き慣れた声の遠吠えにネージュは飛び起きた。あれは、聞き間違えることがない。ヴェーガの声だ。何度も何度も、ネージュに知らせるように遠吠えを繰り返す。


「…っ、ヴェーガ!」


すぐさまネグリジェからワンピースに着替えたネージュは、足早に部屋を出て宿から飛び出す。ヴェーガが‘呼ぶ’から道は分かっている。就寝前に、一度ヴェーガはネージュの下に戻って来ていた。だが、警らをするように夜中は街を練り歩いているため、すぐに宿から出て行っていたのだ。


「あれ、ネージュさん?どうしたんですか、夜中ですよ」



見慣れた顔がぞろぞろとランタンを下げて、ネージュの後ろから歩いて来た。ほとんどの騎士とは顔見知りになったが、彼らは洞窟で出会った騎士たちだった。


「あ!皆さん、お疲れ様です。さきほどの遠吠えヴェーガの声で、何か私を呼んでいるようでして」

「え。あの凄まじい遠吠え、ヴェーガなんですか!?」

「はい」


ネージュは走っていた足を止めて、手短に説明する。ヴェーガの呼び声が聞こえたのは、あの東の方から。ネージュが宿を出てから、遠吠えは止んでいた。


「というかネージュさん、夜中も使い魔を走らせてくださってたんですか!?」

「いえ、夜中は警らのつもりでヴェーガ自身が歩いてるんです。だから、捜索しているつもりはなかったけど、何かを見つけたみたいで」

「…凄いですね」

「私なんて平均的ですよ」

「どこが…?」

「それよりも、ここから東って何があるんですか?」


騎士たちは顔を見合わせて、考えるように口を開く。その様子に、ネージュは小首を傾げた。


「向こうにあるのはスラム街で、その奥を言うなら廃墟となった屋敷があります」

「そこは、昼間の探索に入られてるんですよね?」

「ええ。見えるものは手あたり次第に」

「…ヴェーガ、何を見つけたのかしら。急ぎましょう」

「あっ、ネージュさん!」


騎士たちはネージュを中心に置いて、駆けるように街を抜けた。スラム街も、ワイバーンの襲撃で建物が崩れている。支給された天幕があちこちにあって、そこでスラム街の住民は寝泊まりをしているようだった。


騎士たちの足音に、何人かが天幕から顔を覗かせる。けれど、すぐに顔をひっこめた。


「廃墟というか崩壊寸前じゃないですか」

「ワイバーンの襲撃で更にボロくなりまして…。危ないので、立ち入り禁止区域としているんです」

「当然の措置ですよ…。ヴェーガ!ヴェーガ!どこなの!」


ボロボロになった屋敷に辿り着いたネージュは、そのボロさに冷や汗が浮かぶ。なんでまた、ヴェーガはこんな場所に来たのかしら。危ない場所には近づかない筈なのに。


月明りに照らされて、白銀の影がのっそりと物陰から出て来た。所々に埃をかぶっていて、美しい毛皮はあちこち汚れていた。


「やだ、ヴェーガ!こんな所で何してるの!?」


グルルと喉を鳴らして、ネージュのワンピースの裾を噛む。そして、引きずるように歩き出した。つられて歩き出すネージュは、騎士たちと顔を見合わせる。


「どうしたの、ヴェーガったら。ねえ、ヴェーガ!」


廃墟になった屋敷へ足を踏み入れる。ギシギシと嫌な音を立てる足元に、ネージュの顔が引き攣っていく。歩くところを間違えれば、そのまま床が抜けそうな感じがしてマズイ。


「ネージュさん、騒がずに、落ち着いて。ヴェーガについて行きましょう」

「…はい」


そろりそろりと足を置く場所を見極めながら、ネージュは呼吸を止めながら慎重に歩く。ランタンの灯りによって、影が大きく伸びるのが少し不気味だった。


ネージュがついて来るのを確認したヴェーガは、ワンピースの裾を噛むのを止めて先導を取った。とことこ、ギシギシ。歩みを進めているとガシャン!と音がして、ネージュが恐る恐る振り返れば騎士の一人が足を床に呑み込まれているところだった。


「えっ」

「イテテテ…」

「ネージュさん、気を付けてください。踏み違えるとこうなります」

「な、なんで脅かすんですか…」


というか、本当にボロい。


「ヴェーガもどうしてこんなところまで来たの?」


前を歩いていたヴェーガが歩みを止めて、ネージュを見る。しかし早く行くぞと言わんばかりに首をクイッと動かした。帰ったらお風呂の刑だわ…。


屋敷の奥にまで来ただろうか、ヴェーガは歩みを止めて前足で床を掻いた。カシュッ、カシュッと音がする。


クルルル


喉を鳴らしながら、此処が目的地だとヴェーガは合図を出す。騎士がネージュの前に出て、床を確認する。


「ヴェーガ、此処?床下に何かあるの?」

「ネージュさん、ちょっと退いてください。取っ手が見える」

「あ、はい」

「おい、こっち持ってくれるか?」


ギィギィと音が鳴って床下の一部が持ち上がる。人ひとり通れそうな地下への道が露わになり、誰もが息を呑んだ。風の通り道になっているのか、冷たい風がネージュたちの顔を叩いていく。


「地下があったなんて」

「俺、応援呼んでくるわ」

「頼む。俺たちはこのまま下に入る」

「私も行きます」

「ですが、ネージュさん。万が一戦闘になったら」

「地下で戦うようなバカもいないでしょう、少しなら自分の身守れます」

「…後ろにいてくださいね、必ず」

「はい」


静かに階段を下りていく騎士の背を、ネージュは追いかけた。ヴェーガもネージュの後ろをついて来る。階段はボロボロの床よりもしっかりとしていて、後から作られた最近ものだと悟る。


「なんか、血の臭いがするな」

「ヤな予感するんですけど、俺」

「言うな言うな」


騎士たちの囁き声を聞きながら、ネージュは着いて行く。この先に子供が居るのなら、無事でいて欲しいと願いながら。


けれど、現実はそうも甘くはない。

そして、ネージュはそれを経験則から知っていた筈だった。


「――ッ!!」


血の臭いと饐えた臭いが混じって、異臭を放っている地下に足を降ろした時。ネージュは土の床に足を降ろして、その凄惨な現場に息を呑んだ。ランタンで伸びる影が、不穏だった。


大きな血だまりの中に、ひとつ、ふたつ、みっつの小さな影。


「ネージュさん、見ない方が良い」

「…いえ。見ます」


一歩踏み出して、血だまりを覗く。ネージュが身たことのない子供だった。スラム街の子供だろうか、そこまで考えてかすかな喘鳴に気付いた。指がぴくりと動くのを確認して、ネージュは声を上げた。


「待って、まだ生きてます!!」

「ネージュさん駄目です、よく見て!足元、魔術陣がある!」

「きゃっ」


血だまりに足を踏み込もうとして、騎士に腕を掴まれる。足元を見れば、血で作られた魔術陣が描かれていた。ネージュが踏み込めば、それは瞬時に発動したと推測できて息を詰める。


「この魔術陣が解析できない限り、子供の救出は出来ないな」

「…っどうしてこんな惨いことを」

「分かりません。団長にも追加報告が必要だな…。応援が来ても、朝陽が上がるまでは何も出来ない」

「このまま、命を見捨てろと!?」

「ネージュさん。見てください、もうあの子は息をしていません」


ああ。微かに届いていた喘鳴が途切れていることに、ネージュは気付いて顔を覆った。心臓が止まっても、暫くは会話が聞こえているという。それなのに、こんな助けれないという話を聞かせてしまったという後悔と、そして命の残酷な使われ方に、ネージュは泣きそうだった。


故郷でもこんなものは見たこともない。あまりにも非人道的で、言葉が出て来ない。



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