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第10話

ネージュは、自分が生まれ故郷に戻って来たような錯覚を覚えた。血にまみれて、土煙が飛んで、そして生と死の境目である臭いがネージュを包み込む。


「すまない!こっちにも来てくれ!!」

「待ってくれ、まだこの人の治療が終わってない!」

「急いで!」


けれど、いくら治しても。治しても。治しても。キリがない。担ぎ込まれる騎士たちを見たあと、ネージュは疲れ始めたユリウスの横顔を見やった。


「ユリウスさん」

「…ネージュさん」

「もう少しかと思います。ワイバーンもの残り一体のようですから…」

「ああ、そうですね…。頑張りましょう」

「はい」


お互いに声を掛け合い、治癒魔術だけを展開していく。額に滲む汗をぬぐいながら、ネージュは街を見下ろしていると、格別大きな個体のワイバーンが倒れた。


「あ」


白い煙が上がる。高台の下から歓声が風に乗って聞こえてくるのを、ネージュは確かに聞いた。


「ワイバーンを撃破した!!今すぐ組み分けして、街の方にも救護班を頼む!!あまり街の方の救護所は機能していないようだ!」


騎士の一人が坂を上がって来て叫んだ。ざわめきと感激の声があちこちから聞こえて来る。ほうと息を吐いて、ネージュは無意識に上がっていた肩を下げた。ああ、肩が凝った。小さく肩を回していると、ユリウスが近付いて来た。


「ネージュさん、下の応援をお願いできますか?」

「わかりました」

「ご協力、感謝します」


ユリウスが落ち着いたような顔で頭を下げた。坂を下っていく白いローブの集団が見える。今受け持っている人が終われば、下で合流しなければ。まだ終わっていないけれど、ワイバーンが撃破されたことで、また状況は変わった。無事に終わって良かったな、と心から思う。


「ネージュさん」

「クロヴィス団長」


受け持っている人の治療が終わり、そろりと坂を下れば少しだけすすけたジェラールと出会った。その端正な顔立ちの頬に、小さな切り傷があってネージュは手を伸ばす。咄嗟に身を引くジェラールは、訝しそうな声を出した。


「あの、」

「あ、すみません。ほっぺ、怪我してるので」

「…ほっぺ」


目をぱちぱちと瞬かせるジェラールに、ネージュは苦笑いを浮かべる。そして、今度は逃げられないだろうとゆっくりとその手を伸ばした。白い燐光を放ちながら柔らかな光が、ネージュの手から零れ落ちる。


「…君の治癒魔術は温かいんだな」


依然目を瞬かせるジェラールに、そう言われたネージュは苦笑いから穏やかな笑みに変わっていた。それは、言われ慣れている言葉であったけれど、この人からの言葉はなぜかとても嬉しいものだった。


「よく言われます」

「…そうか」


常套句じみた言葉を返して、ネージュはジェラールの頬から手を離した。綺麗に治っていて、傷跡も残っていない。綺麗な蘇芳色の目が、ネージュをまじまじと見る。


「はい、もう大丈夫です。他に痛いところはあります?」

「いいや、ありがとう」

「良かったです。あ、ワイバーンの討伐おめでとうございます」

「あぁ。君は、」

「はい?」

「…怪我はないか?」

「ありませんよ。お気遣いありがとうございます」

「なら、良いんだ」


ふっと笑うジェラールに、今度はネージュが目を瞬かせる番だった。この人、こんな顔をして笑うんだ。意外だ。不思議そうで怪訝そうで困惑した顔しか見ていなかったから、新たな一面を見れたような気がした。新たな一面を見たって、何がどうなる訳でもないんだけれど。


「君はこれから、どこかへ?」

「街の方に下りて、救護班の応援に」

「…どうして君は、」

「はい?」

「いや、なんでもない」

「そうですか?」

「あぁ、止めてしまってすまないな」

「とんでもないです。では、私はこれで失礼します」


ネージュは何か言いたそうな顔のジェラールに頭を下げた。多分だが、言いたいことは分かる。他所の流れ者が、どうしてここまでするのか。不思議なのだろう。でも、それがネージュであったからだ。けれど、それはきっと求められている答えにはならない。


ネージュが去って行ったあと、ジェラールの隣に長身の男が立つ。


「――彼女の広範囲にわたる向上魔術と治癒魔術、すさまじいですね。彼女、他国からの流れ者と情報が入っていますが」

「あぁ。知っている。だが、そんな余所者のおかげで助かったのも事実だ。恐らく、彼女について、今後は国も気に留めるだろうな」

「国が、ですか」


副団長であり、幼馴染のエクトルが目を見張る。あの娘に、国が気に留めるそこまでの価値があるのだろうか。国までもが出てくるなど。


「ネージュ・アルナルディか」

「そういえば、オーベリソンの当主が魔力の病だったのを、彼女が治したとも聞いています。真相は不明ですが」

「オーベリソンの当主の病か。不治の病だと聞いたが…」


ジェラールは仕事狂いとも呼ばれている騎士団の文官を思い出した。騎士団お抱えの治癒魔術師に、病に臥せる父を診せたと言っていたが、何の成果も得られずに終わったと聞いていた。一体、どんな縁でネージュと知り合ったのか。


「エクトル」

「はい」

「近況と被害を知りたい。騎士を集めてくれ」

「承知いたしました」


ネージュが去って行った道を見る。依然、土煙が上がっていて、事の大きさを物語っていた。ジェラールは、これからの忙しさに大きく息を吐く。これから、ネージュの案件が降りかかるなどつゆ知らずに…。


「部隊長格を集めました」

「分かった。行こう」


ジェラールはエクトルと歩き始める。瓦礫の山があちこちに見えて気が重い。これから復旧作業に入っても、すぐには直らないだろう。確実に、一年はかかる。仮設住宅の準備を同時に進めて行かなければ。ああ、水道の方はどうなっているのだろう。水が止まれば、生活がままならない。


そう思っていると、視線の向こうでネージュと騎士がすれ違いざまに会話を交わしていた。


「あ、ネージュさん!」

「こんにちは。怪我は大丈夫ですか?」

「なんとか生き延びたクチですけどね」

「まあ。なんとしてでも生き延びてください。あの、美容の良い果実をまた教えてもらわなきゃならないので」

「ははっ、そうですね!ネージュさんは、街の救護所へ?」

「はい。この真っすぐでいいんですよね?」

「そうですよ。転ばないように気をつけてください」

「分かってます。では」


あの騎士は、確か…。ネージュと例の洞窟で出会った騎士だな。入れ替わり立ち代わりで贈り物をしていると聞いたが、まだやっていたのか。死ぬのを待つだけの若手騎士を救った彼女を、どうしてあそこまで気に掛けるのだろうか。そのうち、崇拝になりかねない気さえする。


「団長?」

「いや、なんでもない。それより、被害の方は」

「はい、報告します!」


思った通りの被害でジェラールは頭が痛くなってきたような、そんな気がした。上がって来る被害はどれも酷いもので、ジェラールが知る限りでも百年はこんな被害を出さなかった。


「ワイバーンの群れがどうしてまた王都を襲ったのか」

「魔物の活発化は、近年言われてきていることですからね…。ですが、確かにおかしいことですね」

「王都襲撃は、別に稀なことじゃない。だが―ー」


顎に手を掛け、黙りこくるジェラールにエクトルが視線を向けるも、深い考えに入っているようで何も言わない。蘇芳色の目を辺りに向けて、口を開く。


「それはあとで考えよう。また襲撃されたら目も当てられないからな。それより仮設住宅の建設を優先的に進めて、地盤を固めつつ修復に入るだろうから、騎士団もその手伝いに入れるように進めてくれ」

「承知いたしました。選別はどのようにしましょう?」

「先に募ってみてくれ。それで人手が足りなければ、新人を中心に回していく」

「募らなくても、きっと言って来るでしょうけどね」


みんなこの街を愛しているのだから、と続けるエクトルにジェラールも目を細めた。


「この件で地方から手伝いも出て来るだろうな。治安も気にかけて行くぞ」

「はい。巡回の範囲も広げて、のちほど計画書をお持ちいたします」

「頼んだ」


これからもっと忙しくなるな、とジェラールは呟いてエクトルも同意するように頷く。ジェラールの視界の端で、白いローブと銀糸の髪が揺れるのを見ながら大きな溜め息を吐いた。暫くは家にも帰れなさそうだ。ああ、騎士団の寮にある部屋の掃除を頼んでおかなければならないだろうな。



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