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第8話

清々しい青空というのは、どこの国も一緒なのだなあとネージュは思いながら宿を出る。今日は花を貰わずに、王都を探索する予定だ。ヴェーガも来るかと問えば、宿で眠るというから留守を頼みネージュはキラキラと輝く指輪をはめて、街へ繰り出す。


さまざまな恰好をした民たちが行き交う道中で、ネージュは花配りの乙女が寄って来るのを手で往なすも、寄って来た少女に苦笑いを零す。


「お姉さん、お花はいかが?」

「今日は花を持たないのよ」

「えっ、そうなんですか?」

「そうなの」

「それでは、また機会があったら声を掛けてくださいね」

「ありがとう」


花籠を持った少女たちが楽しそうに駆けて行くその背景が、青くて時々ふわふわとした雲が浮かぶ空で、なんとも言えない気持ちになった。豊かで、国内情勢も安定しているからこそ。この王都に来て何度も思ったことを、また繰り返し思う。


生まれ故郷とこの国を比べたって仕方ないのに。治癒魔術師の仲間たちが残る国を思うと少しだけ、寂しさを感じた。資源を得るための戦いばかり。戦いに明け暮れて、貧しさばかりだった故郷の国。けれど、それは抱いていても仕方がない感情だ。国を追われた身で、一体何が出来ようか。それに、もう月日は流れている。


ネージュは目を閉じて、外に追い出すように溜め息を吐いた。


露店を巡りながら、様々な人と立ち話を交わす。情報交換と言うほどでもないけれど、交わされるそれはネージュにとって有益なものであった。あの町しか知らなかったネージュにとって、真新しいものばかりで。特に薬草の仕入れ値については、勉強になるほどでもあった。


「なるほど、地産地消ね。だから、どこの薬草も比較的安いのね」

「そうさ!うちの国は、気候にも恵まれているからね。大体の薬草は作れるんだよ。お嬢ちゃん、どんな過酷な場所に居たんだい?どの薬草も随分と高値を言っていたけれど」

「ははは…。私も帰ったら、新しい薬草を植えてみるとします。でも、乙女たちが配ってる花は、この街以外に根付かないと聞いたんですが」

「そうさ。それだけはどうも不思議でね。あぁ、お嬢さん。新しいものを植えてみるなら、これを植えてみるといい」

「あら、何の薬草ですか?」

「美容の薬さ!」

「まあ」

「お嬢ちゃんだろう、昨日美容の相談に乗ってたのは」


見ていたよと笑う商人に、ネージュもくすりと笑った。見られていたとは。いや、あれだけの人だかりだったものね、何もおかしいことではない。商人から、そっと差し出された種子の入った袋を受け取る。ずっしりと重みがあって、結構な量が入っていることに驚いていると、商人はネージュの後ろを指差す。


「今日も君が居ないかと、探している婦人たちもいるよ」

「まあ」

「今日は花を持っていないから。ほら、後ろを見てごらん」


商人の指先を目で追うと、ネージュを見てヒソヒソと話をしている婦人たちの姿が見えた。あの橙の花を持っていれば、確実に声をかけられていただろう。橙の花を持っていないから、声を掛けられていないだけで。おそらくきちんとした規則があるからこそ、この花祭りが長続きするのだとネージュは思う。


「お嬢ちゃん、気を付けて戻るんだよ」

「え?」

「まれに強引な人がいるからね。そう言う時は、遠慮なく声を上げるといい」

「わ、分かりました」

「それじゃあ、薬草育てるの頑張って」

「はい、ありがとうございます。え、待って、お代!」

「かまわんさ!ワシに何かあったら助けてくれたらそれでいい!」


ひらりと手を振って去っていく商人の背を見送って、ネージュは婦人たちの目から逃れるように人混みに身を滑り込ませた。街並みを見ながら、出ている店に顔を覗かせていると、不意に空が大きく影を作った。


見上げれば、大きな翼が羽ばたいていて。それは、群れを引き連れているようにも見えた。


「うわあ」


まるで観劇を見たような歓声じみた声が上がって、誰もが空を見上げる。ネージュもそれに釣られて空を見上げた。そこには、おびただしいほどの竜翼種が空を駆けていて、青空だった空がどんどんが薄暗くなっていく。


「ね、ねえ、なんか降りてきてない?」

「えっ、あ。本当だ…」


土埃を上げながら、竜翼種たちが降りて来た。ネージュの前方から、人が折り返してくる。ざわめきだったものが、叫びに変わって、やがて怒号になる。逃げろと、走れと、叫ぶ声。ドンッと肩が当たったことで、ネージュはその事態が不味いものだと悟った。楽しく賑やかで温かだった花祭りが、地獄絵図に変わるのはそれからすぐのことだった。


「走れ走れ!」

「止まるな!」

「ママっ、パパっ!!どこぉ!?」


悲鳴に混じる子供の叫び声。ネージュは、立ち尽くす。足が動かないわけではない。けれど、それ以外を知らないかのように。空を見上げて、逡巡。視界の先で転んで泣き始めた子供を見て。


「っ、ママとパパは?!」

「分かんない!」

「いい!?この人の流れに沿って走りなさい、きっとママとパパもそこに居るから!」

「うんっ」


子供に駆け寄って、ネージュは抱き起こして声をかけた。きっと、人の流れの先にこの子供の親はいるはずだ。子供が人の流れに乗って走り出したことを確認したネージュも、人混みに紛れて逃げた。どこへ逃げるというのか、それすらも分からないまま。


燃える臭いが鼻腔をくすぐっていく。ネージュは、人混みの中振り返って街を見た。美しい景観を誇っていた街が、落とされていく。肌を撫でていくのは、ただただ純粋な殺意。いつの間にか、騎士団の誘導が始まっていて、それに沿って逃げる。ただ、竜翼種が降り立った場所から離れるために。


「こっちもダメだ!ワイバーンが降りてきた!」

「なんだと!団長は!?」

「一番前だ!押されているらしい」


悲鳴悲鳴悲鳴。そして、慟哭。街が落ちる慟哭。友が家族が死んでいく慟哭。ネージュの耳に届くのは、嘆き悲しむ慟哭ばかり。足を止めて、ネージュはつま先を見下ろした。ネージュの肩にぶつかりながら逃げていく人々の背を尻目に考える。


ーー私にも、出来ることはあるだろうか。


戦場を前に、いつも居たから。今の状況であるそこにひとつの恐怖心もなくて。ネージュは、息を吐く。決心はついた。ここで、大々的に魔術を使って故郷に強制送還とかあるかしら、まで考えて止めた。


「すみません!クロヴィス団長は前にいらっしゃるんですね!?」

「はい!」


騎士の咄嗟のうなづきに、ネージュは人混みに逆らっていた。人を避けながら、前に進む。竜翼種――ワイバーンの影が地面に映り込んで、まるでネージュの前に立ちはだかるように降り立った。どこからともなく騎士たちが集まってきて、魔術を放ち、剣を構えながらネージュを見る。


「逃げてください!早く!!」

「私もお手伝いします、前を向いてください!」


両手を前に出して、ネージュは詠唱を始める。大地に魔術陣が広がって、淡い緑の光がネージュの元に降り注ぐ。この魔術を使うのは、本当に久しぶりで。最前線の戦場に居て、時々使うだけだったそれは、身体能力の向上魔術だ。


「一時的に皆さんの身体機能を上げます!」

「えっ」

「この魔術の持続時間は最大十分です!」

「身体が軽い…!」

「今のうちに、やれば勝てる!」


騎士たちが顔を見合わせた後、後方で立っているネージュを見やる。そこで、一人がアッという表情をすると、わなわなとネージュを指さした。


「まさか、うちの若いやつを助けてくれたネージュさんって方じゃないですか?!長い銀髪に青い目の女性って言ってた!」

「え、あ、はい。ネージュ・アルナルディと申します」

「噂の天使が来たぞ!!ネージュさん、このまま応援に加勢してくれるんですか!?」


天使…?ネージュは小首を傾げるも一瞬で、すぐさま騎士の言葉に頷いた。戦える力はないけれど、ずっと前線に居たから過ごし方は分かっている。


「はい、そのつもりで来ました。ですが私自身に戦う力はありません。ですので、救護班等の手伝いが出来ればと思いまして」

「分かりました!」

「可能であれば前線に寄れますか?皆さんに掛けた魔術を前線の方々にも使いますので」

「では、ついて来てください!ここは、最終防衛線であのワイバーンさえ撃破できればあとは充分ですから」

「はい!」


ひとりの騎士が編成から外れて、ネージュの側に立って足早に歩き始める。


「護衛させていただきます」

「よろしくお願いします」

「では、行きましょう!」


時々振り返り、ネージュがついて来るのを確認しながら先頭に立った。


崩れた瓦礫を避けながら、道中すれ違う騎士たちと情報を交換しながら向かう。救護班の本部は高台に作られているらしい。一先ずの目的地をそこにして動き始める。


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