一泡吹かされたってこのこと言うんだろうなあ。ネージュは、荷物を持つと差し出された手にバッグを渡して、青年――アランの横に並ぶ。
「ネージュさんは、確か王都は初めてなんですよね」
「はい。観光もしたらとベラさんに、宿まで見つけていただいたんです。けど、結局観光地を探すこともできてなくて」
「花祭りのことは聞きました?」
「それは、聞きました。国を挙げてのお祭りなんですよね?」
「そうなんです。他国からも花祭りを見たいという観光客が増えるんです」
「そんなに大きなお祭りなんですね。いつからですか?」
「明日から五日間です」
「五日間も。長いんですね」
子供たちがネージュたちの横を駆け抜けていく。その手には、赤や青、黄なのど色鮮やかな花を持っている。どこからその花を持ってきているのかと、視線を走らせれば花を配っている少女が何人も居るのが見えた。
「観光客呼ばなきゃならないので、祭りの期間は長めにって決まってるんです」
「へえ。あの、花を配っている少女たちは?」
「あぁ、彼女たちは花配りの乙女と呼ばれている少女たちで、今日から六日間あぁやって花を配る務めがあるんです」
「その、色とりどりですけど花には意味があるんですか?」
「はい。平和を願うものだったり、商売繁盛を願うもの、あとは恋人募集とか、いろんな意味がありますね。それなりに色も豊富なんです」
恋人募集まであるのか。あのピンク色の花がそうなのかしら。少女たちが楽しそうに交わすピンク色の花を見ながら、ネージュは舗装されて綺麗な道を歩く。心の奥底で、自分が少女だった時代と比べてしまいそうな気持ちになりながら、ネージュは少女たちから目を逸らした。
生と死のやり取りだけを中心に過ごした少女時代。いや、比べるのは間違っている。だって、治癒魔術師になったのは自分の夢だったから。
「僕は実行委員に入ってるので、ご案内が出来ないのが申し訳ないです」
「いえ、お構いなく。それで、お父様のご容体の方は…?」
「それが、あまり良くなくて」
此処です、とアランが指さした屋敷を見上げる。貴族が住む屋敷という印象のままの屋敷で、なんとなくベラが屋敷を出たのも分かる気がした。控えめにも言うことが出来ないその屋敷のさま――まるで成金のような意匠が気になってしまう。
「成金みたいな意匠をしているでしょう」
「えっ」
「はは、よく言われるんです。父は先祖の遺したものだからと変えたがらないんですけど、僕が跡を継いだ暁には、作り替えようと思っているんです」
顔に出ていたのかしら。でも、作り替えるならその方が良いと思う、とは言えずにネージュは苦笑いを零す。成金のような意匠ではあるけれど、その屋敷の古さからして、爵位を賜ってから長いのだろうと推測できた。それでいて御者のまねごとをする、この青年は一体。
「アランさん、ご兄弟は?」
「兄が居るんですけど、騎士団で文官をしています。仕事中毒者なので、僕が跡継ぎになったんです」
「そうだったんですね」
「ネージュさんは、ご兄弟やご家族は?」
「一人っ子です。もう昔に、両親は流行り病で」
「それは、失礼しました」
「いえ、もうずっと昔のことなので」
ネージュは気にしていないのだとアランに笑って見せる。アランも、そんなネージュに少し笑みを浮かべて話を変えるために、屋敷を指さした。
「父が待ってますから、行きましょうか」
「はい」
屋敷までの道を歩きながら、花配りの乙女たちが配っていた花が植わっている花壇を見た。
「あの花って、一般的なのですか?」
「そうですね。この国の固有種で、王都の土地が育つのには一番最適だと言われています。あの町には一本もなかったでしょう?」
「はい、見たことがなかったので」
「おばも帰って来るたびにあの花を何本か持ち帰るんですけど、根が付かないと言って嘆いてました」
「一本も?」
「一本も」
それはちょっと気になるかもしれない。植物の生態も気になるし、王都の土壌も気になる。ネージュが考え込んでいると、視界の端っこで玄関前で立っていた執事がネージュとアレンの姿を捉えて、頭を下げたのが見えた。
「戻ったよ。前に言っていた、彼女がベラおばさんの薬師さん。父上は執務室かな?」
「ようこそいらっしゃいました、薬師様。ベルター様は執務室にいらっしゃいますよ」
「そう。母上はお茶会に出たまま?」
「はい」
「そっか。じゃあ、ネージュさん父上に会いに行こうか」
「分かりました」
玄関を潜って、アランに誘導されながら屋敷内を見る。外から見ると、成金の風貌があったけれど、内側は普通の屋敷のようで、若干のちぐはぐさを抱えていた。内装に揃えた造りをしていないという不安定さに、ネージュは真新しいものを見た目で周りを見渡す。
「父上、アランです。ベラおばさんの薬師さんを連れて来ました」
三度扉を叩いたあと『入れ』という低い声が扉の向こう側から聞こえて、ネージュとアランは顔を見合わせて頷いた。声に覇気があるかと問われれば、否である。実際に診察しなければ、どういった症状があるのか分からないけれど。
ネージュはアランに誘導されるままに、その執務室に入った。机に肘をついて、項垂れるように俯いている男性は、ネージュから見ても瘦せ細っているように見えた。
「はじめまして、ネージュと申します」
「ん、ああ、ベルターだ」
「ベルター様、早速ですが少しお側に寄らせていただいても良いでしょうか?」
「かまわんよ」
気怠そうに顔を上げたベルターに、ネージュは眉をしかめる。頬がこけていて、目には気力がない。そして、ベルターから深みのある泥の臭いがした。
深みのある泥の匂いは、昔嗅いだことがある。その時の臭いとよく似ていて、ネージュは眉をひそめる。
足早にベルターの足元に膝を着いて、ベルターを見上げるネージュ。冷え切った手首を取って、少し早い脈を測る。治癒魔術師と医者は別物だ。そして、薬師と医者も同列に語られることもあるが、この大陸の薬師と言えば薬を煎じて出す人の総称である。その薬師ご時に何が出来るのかと問われれば、本来なら否、なにも出来ない。しかし、此処に居るのは治癒魔術師で薬師のネージュだ。
「ネージュさん?」
「お医者様はなんと言っているんですか?」
「内臓の調子が悪いだけだと」
「いつから?」
「調子が悪くなったのは昨年で、内臓の調子が悪いと言われたのは丁度半年前です」
「それで、医者の出した投薬だけを?」
「はい」
一瞬の逡巡のちネージュは、ベルターの手のひらに視線を落とす。冷たくなった手に、温もりを分け与えるように包み込む。それでも、温もりが移る気配はなかった。
「治癒魔術師にはかからなかったんですか?」
「兄の勧めで一度だけかかったのですが、治癒魔術師からは医者の方が良いと言われまして。あの、ネージュさん。何か、分かったんですか?」
「分かったというよりまだ推測なのですが、ベルター様の症状は投薬で治していくよりも、治癒魔術師による施術の方が良いかもしれません。内臓の調子が悪いと診断されたのは、間違いないかと思うのですが」
ネージュは一度、言葉を区切る。慎重に考えながら、ベルターの顔色の悪い顔を見やって視線を手のひらに戻す。こちらから魔力を薄っすらと流してやっても、ベルターの身体に入り込む様子が見られない。つまりこれは――
「恐らく、魔力回路の詰まりのせいによる循環不全だと思うのです。今、私からベルター様に魔力を流しているのですが、入り込む様子がないので」
「魔力回路の詰まりと循環不全?」
「はい。魔力を使わない人でまれに、そういった病を引き起こすことがあるんですよ。本来なら、魔力は体内で循環するんですが、それが出来ていなくて魔力が詰まっているんです」
「そんなこと、治癒魔術師は一言も言いませんでした」
「医者では当然ですが気付かないです。それに、症例が本当に少ないので治癒魔術師でも気付くのはごく一部かと思います」
「どうやったら、治るんですか?治る方法は」
口早なアランの問いかけに、ネージュはベルターの足元から立ち上がって膝元の汚れを払った。これからのことを考えながら、まずはと口を開く。
「まずは、ベルター様を寝かせましょう。よく一年も耐えましたね、応急処置ですが施術を行います」
「え?君はだって、薬師じゃ」
「生まれ故郷では治癒魔術師を生業にしていました」
「治癒魔術師を」
「はい。アラン様、早くベルター様を寝台に。一年も気付かなかったこともあるので、早めに対処したいです」
「あっ、はい!」
アランに支えられながら、ベルターが歩き出す。よたよたと、支えられていても足取りがおぼつかない。寝室に向かうのを後ろから追い駆けながら、ネージュは思考を回す。
魔力の詰まりのせいによる循環不全。ネージュが治癒魔術師となって、最初に診た元騎士が魔力の詰まりのせいによる循環不全を起こしていた。あの時は、問題なく回復に向かった。治せたのだ。だから、問題なく回復するだろう。その確証はあった。