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第4話

ネージュが王都に行くことになったのは、それからすぐ気温が上がり始める季節に入る前のことだった。ベラが折角だからと王都までの馬車や宿を予約してくれて、ネージュは荷造りをして行くだけの形となった。薬師としての道具を含めた荷物は、少しだけ大きくなったが。ベラの弟の所を訪ねた後は、宿に置いておくだけでいいから。


更に花祭りというお祭りを見学できるようにと、七泊も出来るように手配をしてくれたのだ。初めての王都遠征が七泊八日ということもあって、ネージュの胸を多方面でドキドキさせた。


「ねえ、ヴェーガ」


青空の下で洗濯を干し終えたネージュは、庭の丸太に腰をかけながらヴェーガを呼んだ。どこからともなくするりと姿を見せたヴェーガが、ネージュの正面に座り込み首を傾げる。


「王都に行くのって、いよいよ明日じゃない?」


そうだね、と同意するかのように鳴いてネージュの言葉を待つ。ヴェーガは、ネージュと過ごして長い。治癒魔術師として最前線に配属された十六の時に、教官の指示のもとで召喚魔術を行った。そうして出会ったのが美しい銀色の毛並みを持つ狼であるヴェーガだった。もう七年目の付き合いになる。苦楽を共にしてきたヴェーガ相手なら、ネージュは何でも吐き出すことが出来た。


ヴェーガは両親が早くに亡くなったネージュの、一番の拠り所でもあった。


「あのね、ちょっとだけ緊張してる」


こてりと首を傾げるヴェーガに、ネージュは苦笑いをして目を伏せた。王都は、人が多い。誰もを受け入れるフォルモンド国に、もしかするとネージュを知る人がいるかもしれない。かもしれない、というその想像がネージュのドキドキする緊張へと繋がった。


柔らかな日差しが降り注ぐなかで、ネージュはぼんやりと考える。


「次の家を探すのは、ちょっと、ううん、とても寂しいと思うんだよね」


住み慣れてしまった町を、国を離れるのは惜しい。謂れもない罪で、治癒魔術師としての資格を剥奪され、そして国を追われた身であるけれど。この町の住人たちや騎士団の彼らは、そのことを知らないけれど。いつかは、知られる時が来るだろう。そうなった時、ネージュはこの国を出て行くしかないと思っている。


冷たい目に晒され、尾びれ背びれのついた陰口を囁かれる前に。


「はー…。手、冷えて来ちゃった。考えすぎも良くないね」


日差しが辺りを照らし温もりを分けているというのに、ネージュの手は冷たくなっていた。こすり合わせながら、血行を良くするために軽く揉む。不安そうに見上げてくるヴェーガの頭を撫でるために、手を伸ばす。もふもふとした手触りの良い毛並みと、陽だまりで温まった時のような温かさ。こすり合わせて揉むよりも、ヴェーガの毛皮に手を入れた方が、早く温まりそうだわ。


「ヴェーガ、今夜は一緒に寝てくれる?」


きらきらとしたヴェーガの青灰目が、ネージュの顔を見る。一瞬の間をおいて、ネージュの脇に顔を突っ込んだ。それは了承の意味である。ネージュもそれを察して、ヴェーガの頭をわしわしと撫でた。


「ふふ、大好きよヴェーガ」


ネージュとヴェーガの繋がりが、より深まった昼下がり。


――翌朝、真っ青な空がどこまでも続くほどの晴天。ネージュは目を細めながら、その空を見上げた。これからベラが用意してくれた馬車に乗って、五時間ほどの時間をかけて王都へ向かう。家のことは近所の人に任せる手配を済ませて、馬車が来る約束のところまで歩いて向かう。


「あら、ネージュちゃん。大きな荷物だけど、どこかへお出掛け?」


通りがかった住民に声を掛けられ、ネージュは下げていた顔を上げる。野菜の入ったカゴを片手にした婦人が、ネージュを見て微笑んでいた。その婦人は一昨日、喉が痛いと言ってネージュの煎じた薬を依頼していた夫人だった。元気そうな姿に、ネージュの笑みも深まる。


「はい。ベラさんのご用事で王都へ」

「あら、そうなの!そういえば、今の王都は花祭りの時期だし楽しんできてね」

「はい。そんなに花祭りって有名なんですか?」

「ええ、フォルモンド国の花祭りといえば有名も有名よ。他国からも花祭りに参加する人が来るぐらいなの」

「へえ、そうだったんですね。あまり調べないまま行くので…」

「ネージュちゃん、騎士の方々とも仲が良いんだから、休暇の人に頼ると良いわ」

「そうですね、その時は頼ろうと思います」

「気を付けていってらっしゃいね」

「ありがとうございます、いってきます」


ネージュは、帽子をかぶって頭を下げる。馬車が来たからだ。去っていく夫人の背を見送った後、乗り合いの馬車に乗り込む。ネージュ以外誰も乗っていなかったが、王都まで続く道々で乗る人を拾っていくのだろう。


「あの」

「はい?」

「お連れ様もいらっしゃるとお伺いしたのですが」

「連れ…?」

「はい、白銀の狼が」

「え」


御者の言葉に、ネージュは固まる。まさか、ヴェーガを馬車に乗せれるように交渉したのだろうか。脳裏でベラがパチリとウィンクする。王都に着いたら、召喚魔術を行って家から王都に呼び出そうと思っていたのだが、しなくていいのなら、それに越したことはない。御者がにこにこと待っているから、首から下げている笛を口元に運ぶ。


甲高くも綺麗な澄んだ音を出す笛は、ネージュがヴェーガの呼び笛にと初給料で作ったものだ。するりと姿を見せたヴェーガは、ネージュを見て予定が変わったのかと首を傾げてみせた。それを見た御者はうっとりとした風に恭しく頭を下げる。


「予定は変わってないのよ。ヴェーガも乗って良いんですって」

「どうぞ、美しいお嬢様」

「…まあ」


のちに、この御者はベラの親族で、更に動物好きだとネージュに語ったのだった。無事に関門を超えることが出来た馬車は、ネージュとヴェーガを降ろしたあと、まっすぐ帰途につくのだと言って去って行った。


晴天のなか、五時間かけてたどり着いた王都はネージュがこれまで渡って見て来た国のどこよりも、賑やかで明るくて、活気づいていることにネージュの開いた口が塞がらない。荷物を片手に、呆然とあちこちを見渡す。ヴェーガはするりとネージュに擦り寄った後、近くにある建物の影の中に潜り込んだのを視界の端で捉えながら、ネージュはぽつりと呟く。


「すごい」


言葉少なに立ち尽くすネージュの横を、着飾ったワンピースの少女たちが駆けて行く。貴族も平民も分からない。ただ、みんなが楽しそうに花束を抱えて居た。ネージュが知る王都のなかで、最も王都という言葉が似合うところだと舗装された地を踏みしめながら思う。

すべては、その資源の豊かさがゆえに。


常に、飢えと隣り合わせに居たネージュの生まれ育った国とは正反対だった。渡って来た国の王都を見ても、ここまで活気づいていなかった。やっぱり、資源の豊かさの違いってこんなところに余裕が出るんだなあ。


「あの、ネージュさん」

「はいっ!?」


ぼんやりと考えていたせいで、ネージュは背後から掛けられた声にびくりと肩を震わせた。恐る恐ると振り返れば、先ほど別れた筈の御者の青年が帽子を取って軽く頭を下げていた。


「え?あの私、何か忘れ物を…?」

「いえ、父が待っていると呼びに来たんです」

「父」

「はい、ベラおばさんの弟です」

「あっ。え?」


先ほどよりもしっかりと整えられた身なりに、ネージュは困惑しながら首を傾げる。だって、さっき御者だったじゃない。それが、貴族のような格好で…。まさか、とネージュは口を開く。


「あの、まさか貴族だったとかいう…?」

「はい!ベラおばさんは煩わしい社交界と生まれた家に嫌気がさして、全てを父に投げつけてあの町で隠居してるんです」


そのまさかだった。ベラさん、町の婦人にしては風格があったけど、まさか貴婦人だったなんて。あらかじめ教えてくれていても良い気がする。けど、ベラの性格からして貴婦人であるからといって、区切りをつけられるのは嫌だったのかもしれない。って言ったって…。


ネージュは呆然と御者だった青年を見た。親族って、そんな近しい血族を指す言葉じゃないと思うの。言葉的に遠い血族を指す言葉だって私は思ってるの。


それがまさか、ベラさんの甥っ子だなんて。まじまじと青年を見れば、確かにベラと似通った面影があった。言われなきゃ気付かない。

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