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第3話

 それから連日の雨の数日間、俺はてんやわんやしていた。空席が嘘のように全て埋まっている。


「マスター。春の緑祭り一つ」


 普段、店の片隅で黙々と一人で飲んでいる常連のじいさんが珍しく向こうから話しかけてきた。気難しく関わり合いになりたくないタイプの男で寡黙。ビールしか頼まず、飲み始めからずっと物静かだから、こいつ喋れたのかと思った。


「あんた、ビールしか注文しないと思ってたよ」


「雨の中、来てやったんだ。少しくらい感謝したらどうじゃ」


 この老人を雨の中駆り立てたものは何なのか。俺はここは一つ、ラム酒を勧めてみる。


「これが自慢じゃないが、ラム酒と合わせて飲むと美味いんだ」


「ほぉ、じゃあラムも一杯」


「あいよ」


 あ、老人には硬いかもしれない。よく煮込んだとはいえ。要注意の文字はメニュー表にも記載していたはずだが。


「じいさん、硬いから気をつけてな」


 とは言え、煮込みは三時間以上だ。


「ほっ、うむ!」


 ほくほくと息継ぎしながら肉がじいさんの喉ぼとけを揺らしていく。


 喉を詰めたとかやめてくれよ?


「美味い。こんな肉厚な皮はほかに食べたことがないのぉ。噛めば噛むほどジューシーな脂が出る。ドラゴンの尾など、生涯なかなか食べられるものではない。よくそんなところをつまみにしようと思ったな」


「じいさん。ほかにも、変な肉は任せてくれ。必ず酒と合うようにして提供してやる」


 俺が意気込むと、じいさんは言い過ぎたと顔を赤らめてまた黙々と食しはじめた。長年お互いに話す機会がなかったじいさんと話せたことが嬉しかった。じいさんを見つめ続けていると、睨まれたので別のテーブルに移る。ちょうどほかの客に呼ばれた。


「マスター、あんたこっちもコカトリスの卵煮み頼むよ。あれ、ここの名物なんだってね? それと、ドラゴンのテールの皮鍋も! こう雨に打たれちゃたまらないよ」と、ご新規さまの女性がノリよく注文してくれた。


 名物にした覚えはないが、まあそうなんだと断言する。客足の多さにめまいがしたが、これがあの勇者の絵の効果なのだとしたら大したものだ。だが、感謝の意を表すにも肝心のあいつは飲みに来ていない。猫の手も借りたいぐらいの忙しさだったので、勇者のことは次第に頭の隅に追いやってしまった。


「雨でも来たかいがあったわ。鍋は温まるわー。しかも、皮なのに腹持ちがいいのよマスター。塩とだしと皮のハーモニーね。ちょっと緑色なのにすごくクリーミー。お肌にもよさそう」


「おお、そうかいっ。明日になりゃ若返るかもな?」


「もうっ。マスターったら」


 満足げに客が帰ったのは深夜も過ぎて空が白み始めたころ。丸一日営業するような店じゃないのに、延長してこの時間まで店を開けたのは半年ぶりだった。と、そこへ裏口の方からどさりという音が聞こえた。けっこう大きな物音だ。裏のゴミ捨て場に誰かがゴミでも置いていったんだろうかと思った。人様のゴミをいっしょに捨ててやるほど俺は優しくない。なので、その犯人を捕まえようと急いで裏口に回った。


「なんじゃこりゃ!」


 裏口に置かれていたのは大きな積み荷だ。台車に乗せられているが人一人で運んだとは思えないほどの大きさのキメラの死骸が乗っていた。キメラは足がドラゴン、胴がクロヒョウ、頭がワシ、尾がヘビといういでたちの魔物だ。何のために生まれて何を食っているのかも分からない化け物を、なんだって俺の店の裏口に置いていったんだ。そして、このキメラの最大の謎は、皮が全て剥がれていたこと。


「まさか不要だからか」


 一人ごちた。しかし、奇妙なことに気づく。魔物の討伐ならば傷があるはずだ。あちこち切り傷、刺し傷、刀傷、殴打した形跡や弾痕も一切ない。そして、皮だけが剥がれて桃色の肉は新鮮そのもの。


 ま、まさか! そんな馬鹿なことがあるはずがない。


 慌てて俺はキメラの後ろ側に回る。あった傷が、肛門に。ということは、裏返せばこいつの腹はすでに縦にさばかれているということになる。


「なんてこった。こいつは、血抜きされてやがる」

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