「さてと、まずはどこから調べようか……? そういえば、まだこのあたりの本棚には、全然手を付けていなかったな……」
リーヴと一緒に資料室に足を運んだハルは、彼女から聞かされたある文字列を手がかりにしながら、本棚に並べられた大量の冊子の山を眺めていた。
この文字列が示すものを突き止めることが、あるいは今の自分たちの状況を打開する切り札になるかも知れない。そんな望みを抱きながら、ハルは本棚の冊子を一冊ずつ取り出していった。
「うぅん……。この本は、あまり関係なさそうだな……。じゃあ、こっちの本は、どうかな……?」
ハルは、ひとまず極端に厚くない冊子から手に取り、そのページを広げていった。そこに記載されている内容を直接理解することはできないとしても、リーヴからの文字列と照合することで、なにか見えなかった手がかりを発見することができるかも知れない。
「そういえば、アイラさんたちの方はどうなっているんだろう……? どうして、政府のコンピューターシステムにログインすることができたんだろう……?」
冊子を一冊ずつ手に取って、各ページの内容とりーヴの文字列を照合していく。その中で、ハルはふとアイラたちの様子が気になっていた。
アイラ自身も言っていた。彼女の個人情報で政府のコンピューターシステムにログインすることができた、その事実に対する検証が必要であると。
「……ひょっとして、またリーヴの『願いを現実にする力』のおかげ、なのかな……? でも、そのことを迂闊に他人に話すわけにもいかないだろうしな……」
ハルは、心のどこかで、リーヴがこの場面におけるどこかのタイミングで、『願いを現実にする力』を発動したのかも知れないと、ふとそんな予感をよぎらせていた。
ただ、これは現状ハルしか知り得ない情報であるし、その情報自体も、今だ十分な検証がなされているとは到底言い難い。
「この文字列も、もしかしたら……? って、いくらなんでも、それは話が飛躍し過ぎだろうな……」
だからこそ、ハルはこのリーヴの文字列に対しても、そうした『願いを現実にする力』の可能性を否定していなかった。とはいえ、確証もなにもないのでは、それは論理の飛躍だと指摘されても、反論することはできなかった。
「こっちもなし。これにもなし、か……。やっぱり、そう簡単には、情報は手に入りそうにないか……」
そんな思いを抱きながら、ハルは本棚の冊子をしらみつぶしに調べていった。しかし、どの冊子にもリーヴの文字列と照合することができると思われる内容は含まれていなかった。
元々、天空から垂れ落ちる一本の細いクモの糸を掴もうとするに等しい行為なのだ。であれば、それほど簡単に事態が進展することを望んではいけない。
「……あとは、この分厚い本たちだけだな……。こりゃ、かなり骨が折れる作業になりそうだぞ……」
それに、こうして実際に調べることによって、情報が見つからなかった、というのも立派な調査結果になる。それは、他の場所に該当する情報が隠れている可能性を示唆するという意味において、決して無視することはできないものになるからだ。
そして、比較的厚くない冊子を一通り調査し終わったハルは、残った分厚い冊子たちを前にしながら、思わずめまいがする感覚を禁じ得なかった。
「……ハル……、疲れ、ちゃった……? ちょっと、だけ、休む……?」
ハルの状態に異変が起きたことを、リーヴが見逃すはずもなかった。このままではハルが疲れて倒れてしまうと思ったのだろう、リーヴはハルに一旦休憩を取ることを進言した。
「ありがとう、リーヴ。俺なら大丈夫だから」
「……ダメ……。ハル、ちゃんと、休む、の……」
ハルは自分を心配してくれているリーヴにお礼を言いながら、大丈夫だと返事をして調査を続行しようとした。しかし、リーヴは若干口調を強める形でハルに再度休憩を進言した。
そして、今すぐ休憩を取るように、という意思を伝えようとするかのように、リーヴは両腕に力を込め、ハルの首を若干強く挟み込んでいった。
「ゴメン、ゴメン。分かったよ、リーヴ。それじゃ、一旦休憩にしようか」
「……そう、なの……。休むの、大事、なの……」
これ以上リーヴに逆らっていると、本当に彼女を怒らせてしまうかも知れない。そういうことは恐らくないだろうとはいえ、万が一の事態は常に考えておかなければならない。
ハルは本棚から離れ、リーヴを背中から下ろしながら近くにある椅子に腰掛けた。なんだかリーヴが保護者になったような心境だな、と思いながら、ハルは自分の膝の上でリーヴをそっと乗せた。
「フゥ……。なんだか、急に疲れがドッと込み上げてきたな……。知らないうちに、俺の身体に疲れが溜まっていた、ってことなのかな……」
ハルが大きく息を吐くと、途端に自分の身体に疲労感が襲ってくるのを自覚した。そういえば、この地下シェルターに来てから、心が休まる瞬間があまりにも少なかったような気がする。
あの『エデン』の暴走事故といい、政府のコンピューターシステムの件といい、気が落ち着く時間をほとんど持つことができなかった。
もしかしたら、そうした中でハルの心身がストレスなどに苛まれているのを、リーヴは感じ取ったのかも知れない。それを思うと、リーヴがそばにいてくれてよかったと、ハルは感謝の念を向けずにはいられなかった。
「ありがとう、リーヴ。キミのおかげで、こうしてちょっとだけ休むことができたしね」
「……エヘヘ……。ワタシ、ハルに、褒められた……。嬉しい、の……」
ハルは自分の膝の上に座っているリーヴの頭を優しく撫でながら、改めてリーヴに向けて感謝の意を示した。ハルに頭を撫でられるリーヴは、誰が見ても嬉しそうな表情を見せていた。
こうして見ると、リーヴは本当に普通の女の子のようにしか思えない。『願いを現実にする力』のことを考えなければ、今頃自分はリーヴの親代わりとして、新しい人生を見出していたのかも知れない。
「……ちょっとマズイな……。座っていたら、なんだか眠くなってきたぞ……」
そうしてリーヴと一緒に座っているうちに、ハルは次第に自分の身体に眠気が襲い掛かってくるのを感じていた。
しかし、アイラたちが今も調査を続けてくれているであろうこの状況において、自分だけのんきに寝るような行為が許されるはずもない。
「ダメだ。そろそろ調査を再開しないと、本当に眠くなってしまう。リーヴ、リーヴ。そろそろ立つよ」
ハルは、このまま座り続けていたら、本当に眠ってしまうと思っていた。ならば、眠気を少しでも吹き飛ばすためには、調査を再開するのが現状において最善の判断になる。
そこで、ハルは今も自分の膝の上に座っているリーヴに声を掛けた。しかし、いつもであればすぐに返事をしてくれるはずのリーヴが、何故か返事をしてくれなかった。
「リーヴ? リーヴ? どうしたの、大丈夫……」
まさか、リーヴの身に、なにか大変なことが起こったのか。急に不安を覚えたハルが斜め上からリーヴの顔を覗き込んだ。すると、確かにそこではある意味において大変なことが起こっていた。
「……リーヴ、もしかして、寝ちゃった、のか……?」
リーヴは、ハルの膝の上で、目を閉じながら小さな寝息を立てていた。そんなリーヴの、穏やかな表情を目の当たりにしたハルは、そういうことかと得心した表情を浮かべていた。
「なんだ、リーヴも疲れていたのか。まぁ、無理もないよな。あんなことが立て続けに起こって、リーヴが疲れていないなんてわけがないもんな」
要するに、リーヴも休みたかったのだ。ただ、自分が休みたいと言い出すとわがままに聞こえてしまうかも知れないと、リーヴは思ったのだろう。
そこで、ハルが疲れたような素振りを見せたのをこれ幸いと言わんばかりに、ハルに休憩を取ることを進言する形で自分も便乗して休もうとしていたのだ、と。
「しばらく、リーヴはこのまま寝かせておくか。とはいえ、調査を再開しないわけにはいかないし……」
ここで何事もなければ、このままリーヴと一緒に眠りの世界に誘われても問題はないところだった。しかし、今のハルは、そうするわけにはいかない事情を抱えていた。
「ゴメンよ、リーヴ。ちょっと下が固いけど、我慢していていね」
ハルは一旦リーヴを自分の膝の上から離し、目の前にある机の上に横たわらせた。そして、自分が着ている防寒着を脱ぐと、それを寝袋代わりにする形でリーヴの全身にくるんでいった。
「これでなんとかなるかな。おっと、携帯端末も、っと。さて、もうひと頑張りするか」
ハルが着ている防寒着は、さすがに成人男性向けということもあり、そのサイズはリーヴの身体をほぼ丸ごと包み込むことができるほど大きかった。ハルは、これで万が一の事態に見舞われても、なんとか大丈夫だろうと思い、本棚の調査を再開した。
ほんの束の間ではあったが、身体を休ませたおかげで、ハルは少しだけではあるが身体が軽くなったような感覚を抱いていた。リーヴの思惑がどのようなものであれ、こうして休息を取らせてくれたことに、ハルは改めて感謝の念を向けるのだった。
「これは……、うーん、さすがに、なにもなさそうだな……。よし、次はこっちだな」
分厚い冊子というのは、当たり前の話としてページ数も多くなる。ページ数の多さは使用されている紙の量の多さとなり、それは冊子の重量にも大きな影響を与える。
そこで、ハルは冊子を手に取るたびに、それを机の上に置き、調査がしやすいように脇に携帯端末を置きながら一枚一枚ページをめくっていった。
「うん、リーヴも今のところは大丈夫そうだな。さぁ、俺の方も、少しはいいところを見せてあげないとな」
もちろん、そうして分厚い冊子を机の上で広げているのは、単に調査をやりやすくするためだけではなかった。机の上でハルの防寒着にくるまれて眠っているリーヴを、常に自分の視界に入れておけるようにするためでもあった。
それは、リーヴを護る役目をアイラたちから任じられているというものだけではなく、なにがあってもリーヴに美しい地上の姿を見せてあげるという、ハル自身の約束がそうさせている部分の方が大きかった。
「それにしても、これはやっぱり大変な作業になりそうだな。アイラさんたちの様子も気になるけど、しばらくはここにこもることになりそうか」
調査を続けながら、ハルはこの調査が容易に完了するものではないということを、改めて思い知らされていた。ならば、と言わんばかりに、ハルは腰を据えてしっかりと調査する意思を固めた。
冊子のページを一枚ずつめくりながら、ハルは時折自分のそばで今も小さな寝息を立てているリーヴに視線を移し、彼女の身に異変が起こっていないことを確かめていた。
「リーヴは、一体どんな夢を見ているんだろうな……。やっぱり、元に戻った地上で、俺と遊んでいる夢、なのかな……?」
ハルは、リーヴが夢の世界でどんなことを楽しんでいるのか、想像を巡らせていた。美しさを取り戻した地上で、ハルと一緒に遊んでいる夢か。それともどこか見知らぬ土地で、二人静かに暮らしている夢か。
「……俺の夢は、もうすっかりリーヴのものになってしまったな。でも、もしかしたら、これでよかったのかも知れない、のか……」
地上の秘密を解き明かし、雪と氷に閉ざされた、この世界を終わらせる。そんな思いを抱いて始まったハルの旅は、いつの間にかリーヴという一人の少女の存在によって、思いもよらない展開に転がっていた。
だが、それもまた人生の一つの形であるのかも知れない。ハルは自分に託された使命の大きさを感じながら、その先にある未来への展望を切り開こうとしていた。