ハルたちは、一旦政府のコンピューターシステムを調べる作業を中断し、これまで入手した情報とそれに付随する状況を整理しながら、改めて打開策を議論することにした。
そのわずかな隙間時間を使い、巨大なコントロールパネルに視線を向けると、『エデン』の再起動率は「92%」まで進捗していることが明らかになった。
進捗速度こそ遅いものの、確実に進んでいるのであれば、再起動完了を待って改めて調査を進めることも不可能ではない。その意味では、彼らはまだ完全に八方塞がりになったというわけではなかった。
「さて、どこから手を付けるのがよいか……。まずは、ここまでの経緯を、今一度振り返ってみることにしようか」
ガルディンが議論を切り出したが、情報整理とはいっても、実際にはほとんど雲を掴むような話に等しい。『エデン』の暴走事故を筆頭に、あまりにも予想外の出来事が連続的に発生していることが、その最大の要因だった。
「アタシは、そもそも政府のコンピューターシステムにアクセスできたことが、まだ信じられないんだよ」
そこへ、アイラが当初から抱いていた疑問を口にした。元政府の科学者というアイラの立場を考慮すれば、それも実に当然の話だった。
「言われてみれば、確かにそうですね。政府の管理ミス、というのはあまり考えられないでしょうし、かといって、それ以外に説明する手段もありませんし……」
アッシュが腕組みをしながら、アイラの意見に同意する気配を示した。その謎を解き明かすことが、他の疑問に対する回答にもつながってくる可能性は、十分に高いといえるだろう。
そんな彼らの議論を、ハルはリーヴと一緒にずっと見守っていた。情報を整理することをアイラに提案したのは確かに自分であるが、それも、アイラと同様の疑問をハルもまた抱いていたからであった。
コンピューターシステムにあまり精通していないハルであっても、アクセス権限の問題はある程度理解することができる。まして、アイラほどの人物がそれを疑問に思わない理由など、どこにあるのだろうか。
「……ねぇ、ハル……」
と、そこへ、リーヴが何事か話したい風合いを覗かせながら、ハルに小さく声を掛けた。
「んっ? どうしたんだい、リーヴ? もしかして、疲れちゃったかな?」
「……うぅん……。あのね、ハル……」
ハルがもしかして疲れたのだろうかとリーヴに尋ねると、リーヴは小さく首を左右に振ってこれを否定した。そして、続けてハルに向かってあることを耳打ちしていった。
「……えっ? それって、どういうことなんだい、リーヴ……?」
「……ちょっと、だけ……、頭に、浮かんだ、ことが、あるの……。ねぇ、それ、やってみても、いい……?」
その内容を聞いたハルは、思わず驚いたような表情を浮かべながら、リーヴに問い返した。すると、リーヴはなにかを閃いたと言いながら、ハルにそれを試す許可を求めてきた。
ハルは少し考えた後、ある方法を思い付いた。ただ、それを実行に移すためには、自分の側でもちょっとした準備が必要になるだろうと、ハルは判断していた。
「あの、アイラさん。リーヴと一緒に、向こうの資料室に行ってもいいですか? ちょっと、気になることがあるので……」
「んっ? あぁ、分かったよ。こっちのことは、アタシたちに任せておいて」
ハルは、一度リーヴを連れて資料室に移動することにした。念のためにアイラにその旨を告げると、アイラも情報整理は自分たちに任せてほしいと言って、ハルたちを一旦自由にさせてあげることにした。
そして、ハルはリーヴを抱き締めた態勢のまま、隣の資料室に移動した。ハルが資料室に入ると、人感センサーによって天井の照明が一斉に点灯していくのが見て取れた。
「よし、ここなら誰にも聞かれる心配はないだろう」
ハルは、とりあえず手近にある椅子にリーヴを座らせながら、自分もすぐ近くの椅子を動かし、リーヴの隣に位置する格好で腰掛けた。
「さて、リーヴ。それで、さっき俺に言っていたこと、もう一度話してもらえるかな?」
ハルは懐から自分が使っている携帯端末を取り出し、それをテキスト入力モードにした。そして、リーヴに先程言っていたことを復唱するように指示を出した。
「……うん……。あのね……」
リーヴはハルが携帯端末に間違いなく書き止めることができるよう、ゆっくりとした口調で話していった。元々あまり早口で喋ることをしないリーヴだったが、この時はさらに意識的に口調を緩やかにしている印象が浮き上がっていた。
「ふむふむ、なるほど……。ねぇ、リーヴ。これって、なにかの暗号なのかい?」
「……えぇと……。ゴメン、なさい……。ワタシ、よく、分からない、の……」
リーヴが言っていたことを一通り書き止めたハルは、その内容をこうして文字にしてみたことで、改めて不可解な部分を浮き彫りにすることができた。
ハルはリーヴに、これはなにかの暗号なのかと尋ねたが、リーヴは困惑と申し訳なさが同時に募るのを覚え、うつむきながらハルに謝る言葉を向けた。
「あぁ、ゴメン、リーヴ。そうだよね、暗号なのかって聞かれて、すぐに答えられるわけないよね。でも、これは一体どういう意味なんだろう……?」
ハルはとっさに、リーヴの頭を撫でながら、混乱に陥ってしまおうとしているリーヴの心を落ち着かせることに努めていった。確かにいきなり暗号なのかと聞かれて、今のリーヴがすぐに答えられるはずもない。
そうしてハルに頭を撫でられたことで、リーヴは安心感を取り戻したのだろう、表情にもいつもの穏やかな印象が戻っていくのが見て取れた。
とはいえ、それでこの文字列の意味が判明したわけではなかった。あまりにも不可解すぎるその文字列。先程アイラが政府のコンピューターシステムにログインする時に入力したセキュリテイコードのようにも見えるが、その真相はなおも深い闇に覆われたままである。
「アイラさんたちに見せたところで、意味が理解できるとも思えないしな……。もしかしたら、この資料室に、なにか手がかりがあるかも知れない」
ハルは、その文字列を表示させたまま携帯端末を手に取り、資料室の奥にある本棚へと移動しようとした。しかし、そこでハルはすぐにある忘れ物をしようとしていることを思い出した。
「あっ、ゴメン、リーヴ。もちろん、キミも一緒に連れていくからね」
「……エヘヘ……。ハル、忘れちゃ、ダメ、なの……」
ハルがそちらに視線を向けた時、リーヴの表情にはほんのわずかではあるが不満の色が浮かんでいるのを見て取ることができた。ハルが申し訳ないと思いながら両腕を広げて、おいで、と指し示すと、リーヴの表情は一気に笑顔に包まれていった。
そして、リーヴが自分の胸元を抱き締めると、ハルはそのままリーヴを抱き上げつつ、背中を何度か優しく撫でた。今でも、リーヴにはハルの存在が大きな支えになっているのだ。こうして背中を撫でていると、そんなリーヴの思いがハルにも伝わってくるような気がしていた。
「……ねぇ、ハル……。ワタシ、それ、持って、あげる……」
奥の本棚に移動している最中、リーヴがハルが持っている携帯端末を代わりに持ってあげると進言してきた。
「えっ? これを? でも、これは……」
「……ワタシ、大丈夫、だから……、ねっ……?」
一瞬ためらう様子を見せるハルに対し、リーヴは大丈夫だと言いながら、ハルが携帯端末を差し出すのを待っていた。強引に取ろうとしないところに、リーヴの心優しい性情を垣間見ることができる。
「分かったよ。それじゃ、お願いしようかな」
「……ありがとう……。ハル、もっと、ワタシ、頼って……、いいよ……」
一見おとなしそうに見えて、リーヴは意外に頑固な一面を見せることがある。こうして今もハルと行動を共にしているのも、そうしたリーヴの頑固者としての一面がそうさせているのかも知れない。
ハルは、そんなリーヴの願いに応えようと思い、携帯端末を差し出した。リーヴはそれを嬉しそうに受け取ると、ハルを抱き締めながら両手でその携帯端末をしっかりと握っていた。
「それじゃ、もう一度あの本棚を調べてみようか。リーヴ、その携帯端末の画面、俺の方に見せてくれるかな……?」
ハルは、再度この資料室を調べるにあたって、先程リーヴから聞いたあの文字列の情報が必要になると考えていた。だからこそ、ハルは最初に携帯端末を持ったまま奥の本棚に移動しようとしていたのである。
リーヴは、ハルにもよく見えるように、その携帯端末の画面を差し出しそうとした。抱き合ったままでは上手くいかないとハルはすぐに気付き、リーヴを背中で「おんぶ」する態勢に切り替えた。
「……うん……。これで、いいの……?」
「うん、よく見えるよ。ありがとう」
リーヴが両腕の位置を調節し、ちょうど左右からハルの首を挟み込むようにしながら、器用に携帯端末をハルの前に差し出した。
ハルは、この態勢であれば自分も画面を見ながら調査を進めることができると判断した。リーヴはハルの首を自分の両腕で軽く挟み、落下してしまわないように支えていた。
若干不安定な態勢ではあるが、そこは自分が注意すればなんとかなるだろう。ハルはアイラたちに新たな情報を届けるべく、資料室の調査を開始した。