一同の前に突如表示された、政府のコンピューターシステムのログイン画面。アイラがこれは本物に間違いないと説明する一方、彼女の心中には複雑な思いが去来していた。
「アイラさん。奇妙な話って、一体どういうことなんですか?」
ハルがリーヴを抱き直しながら、アイラが感じた奇妙な思いの正体を問い質した。この状況に関して一番答えに近いものを持っているのは、恐らくアイラの他にはいないだろうからだ。
「アタシの個人情報は、とっくの昔に政府のデータベースから削除されているはずなんだ。政府はアタシを裏切り者扱いしているから、そんなヤツの個人情報なんて、危なっかしくて持っていられないだろうしね」
アイラが間髪入れず、ハルの問いに返事をした。それを聞いたハルは、以前アイラが言っていた、自分は政府を裏切った扱いにされている、ということを思い出していた。
それが事実であるとすれば、政府がアイラの個人情報をいつまでも登録しておく正当な理由が存在しない。だからこそ、アイラには余計に信じられなかった。
「その個人情報が、このログイン画面を表示させるカギになっているんですか? それって、もしかして単に政府がアイラさんの個人情報を削除し忘れているってだけなんじゃないですか?」
ハルはリーヴをしっかりと抱き締めながら、アイラに別の疑問をぶつけてみた。そのリーヴは、すでにあの画面に対する興味を失っているのだろう、ハルに抱かれたまま顔を彼の胸元にうずめている様子だった。
このあたりは、やはり好奇心がうつろいやすい年頃の女の子らしい反応だなと、ハルは密かに思っていた。もしかしたら、あの『願いを現実にする力』がまた発動した可能性もゼロではないが、今だ憶測の域を出ていない以上、不用意に詮索することが得策になるとは思えなかった。
「いや、それは考えられぬ。政府ほどの巨大組織が、情報管理をほんのわずかでも怠ることは、時に致命的なエラーを引き起こしてしまうことになる」
そこに、ガルディンがハルの推測を否定する言葉を投げかけた。政府が世界最大規模の組織であることをよく知っているガルディンにとっては、そのような凡ミスを政府が犯してしまうとは考えられなかった。
「僕もそう思います。でも、だとすると、このログイン画面は、一体誰の個人情報を元に表示されているんでしょうね……?」
アッシュもガルディンの意見に同意する態度を示しながら、一方で別の疑問をよぎらせていた。アイラの個人情報ではないとしたら、このログイン画面が表示されている理由は一体なんなのだろう。
「とりあえず、アタシが政府にいた時に使っていたナンバーコードとセキュリテイコードを使ってログインしてみるよ。それではっきりするだろうさ」
アイラが端末を操作し、ログイン画面と思われるところの、ナンバーコードとセキュリテイコードを入力する部分に、それぞれ自分に割り当てられていたコードを入力していった。
政府と無関係になった今でも、こうした一連のコードを覚えているところを見るに、アイラもかつては政府側の人間として、それなりの仕事をしていたのだろうか、とハルは思いをよぎらせていた。
「よし、これで、ログイン、と……。さて、どうなる……?」
そして、ナンバーコードとセキュリテイコードの入力を完了した後、アイラはおもむろに「ログイン」と表示された画面上のボタンの部分に触れた。
すると、そのボタンが濃い青色から灰色へと一瞬にして変わっていった。入力を受け付けたのだろうか。だが、もしコードを識別することができなければ、それを示すメッセージが表示されるはずである。
「……あっ、なにか出てきましたよ。……ひょっとして、これって……?」
結果はものの数秒を待つことなく、アイラたちの前に示された。変化した画面の内容に対し、アッシュは食い入るような視線を向けながら、これはなにかとアイラに尋ねてみた。
「……そ、そんな、バカな……。これは、政府のコンピューターシステムのメイン画面じゃないか……」
アイラはその画面が、間違いなく政府のコンピューターシステムのメイン画面であると答えた。その事実を目の当たりにされたアイラは、信じられないといった面持ちを浮かべながら息を呑む心境だった。
「なんだと? アイラ、これが政府のコンピューターシステムのメイン画面だというのかね?」
「はい、その通りです。アタシが政府に在籍していた時とは、かなりレイアウトが変わっているようですが、これは確かに政府のコンピューターシステムのメイン画面に間違いありません」
ガルディンが念を押すように問いかけると、アイラは間違いないと返事をしながら、なおも不可解な思いが心中に渦巻いていた。
これは一体どういうことなのか。何故、自分のナンバーコードとセキュリテイコードでこのメイン画面にアクセスすることができたのだろうか。
「そうなんですね。でも、これが本当にメイン画面なんだとしたら、やっぱり、政府がなんらかのミスをして、アイラさんの個人情報を削除し忘れたってことなんじゃないですか?」
「そんなことはあり得ないよ。いや、あってはならないことなんだ。まかりなりにも、今のこの世界を管理しているのは、この政府なんだからね。個人情報の管理だって、相当厳格に行われていなくちゃ、そもそも辻褄が合わない」
ハルが政府の手落ちの可能性を指摘するが、アイラはそれを頑なに否定した。元政府の科学者でもあるアイラにとって、政府の組織力とそれを運営管理する能力は桁外れであるという認識だった。
その政府が、ただの一個人であればともかく、自分たちが裏切り者扱いしている人間の個人情報を削除し忘れるなどのような、初歩的なミスを犯すとは到底考えられない。
「まぁ、事情はともかく、これはチャンスですよ。アイラさん、ここからどの程度の情報にアクセスできますかね?」
「さぁ、どうだろうね。ただ、アタシは単なる科学者だったから、それほど高いレベルのアクセス権限は与えられていなかったはずだよ」
解けない謎は残っていたが、それよりも、今は他に優先すべきことがある。アッシュが指摘した通り、このメイン画面が表示されたということは、政府の内部情報にアクセスすることができる可能性がある、ということを意味する。
アイラは小さく首を振って、それに応えていた。ただの一科学者に過ぎなかった自分に、そこまで機密性の高い情報へのアクセス権限が付与されているとは考え難い。
「だが、やってみるだけの価値はあるだろう。まずは試してみて、その結果から次の策を練る。科学者というのは、本来そういう人種ではなかったのかね?」
そこへ、ガルディンがアイラの背中を押すように言葉を返していった。疑問に対する仮説と実験、そして導き出された結果から検証を行い、本来の目的達成へと歩を進めていく。
「……そうですね、リーダー。せっかくのチャンスを、ここでフイにするようなことになったら、それこそ、アタシは大バカ者ですからね」
アイラはガルディンの言葉を背に受けながら、改めてメイン画面に視線を向けた。以前とはレイアウトが大幅に変更されているとはいえ、機能そのものに大きな違いはないはずである。
「……ねぇ、ハル……。あれ、なぁに……?」
その時だった。途中からハルの胸元に顔をうずめていたリーヴが、ふと顔を起こし、アイラたちが見つめているメイン画面を指差しながら、その詳細をハルに尋ねてきた。
「んっ? あれは、俺たちが探している情報の入口になるかも知れないものだよ。それより、もう起きて大丈夫なのかい?」
「……ワタシ、別に、寝ていない、よ……。でも、あれ、とっても、大事な、もの……、なんだ、よね……?」
ハルは状況を簡潔に説明しながら、リーヴにもう起きても大丈夫なのかと尋ね返した。すると、自分は寝ていないと言いながら、そのように問いかけてくるハルのことを奇妙に感じていた。
とはいえ、それは決してハルをバカにするであるとか、そのような意図が隠されているわけではなかった。その証拠に、リーヴもそのメイン画面がなにかしら重要な意味を持つものであることを、すでに理解している様子だったからだ。
「まぁ、そうだね。ただ、問題はここから先の情報にアクセスすることができるか、なんだけどね……」
ハルはリーヴにその通りだと変事をしながら、果たしてアイラたちは上手くいくのか、その様子を固唾を呑んで見守っていた。この結果によって、入手することができる情報の重要性が大きく左右されることは言うまでもない話だったからだ。
「……そのさき、に……、大切な、もの……、ある、の……?」
「うん、そうだよ。……あっ、ひょっとして、やっちゃダメなやつ、だったかな……?」
続けてリーヴから向けられた疑問に答えた時、ハルはふとある思いが脳裏をよぎった。他人のものを勝手に取ってはいけない。それは、もしかしたら情報に対しても適用されるものであるかも知れない。
「……うぅん、いいの……。ワタシ、は、なにも、見て、いない……、よ……?」
ここでまたリーヴにたしなめられてしまう、と思ったハルだったが、そんな予感に反して、リーヴの返事は意外にも穏やかなものだった。
突然頑固になったかと思えば、なんの前触れもなくいきなり物分かりが良い仕草をしてみせたりする。これもまた、これぐらいの年頃の女の子特有の、うつろいやすい心の成せる業なのだろうかと、ハルは小さく微笑むのだった。
「どうですか、アイラさん? なにか、情報にアクセスできそうですか?」
ハルはリーヴを優しく抱き締め直しながら、アイラに状況確認を求めた。すでにアイラの個人情報によって、このメイン画面にアクセスすることが可能であることは判明している。
となれば、この後の問題は、そこから先、どの程度の情報にアクセスすることができるかどうか、である。それは先程アッシュが指摘したことと、それほど乖離しているものではなかった。
「ちょっと待って。今、それができるかどうか、試しているところだよ。……えぇと、確かこの先の情報にアクセスするには、このコードをここに入力して、と……」
アイラは今その作業中であるとハルに返事をしながら、目的の情報に辿り着くために自分の記憶を手繰り寄せていた。
恐らく自分のアクセス権限が当時のまま変わっていないとすれば、ここから先にアクセスすることはできないはずであるが、それでも自分が覚えているアクセスコードを入力しないことには、それを確かめることはできない。
「……んっ? な、なんだって……? こ、これは……?」
その時。作業を進めていたアイラの手が、ある画面が表示されようとしているところで突然止まった。そして、画面が切り替わっていく様子を凝視しながら、先程以上に信じられない、という印象をあらわにしていた。