アッシュを中心に、アイラとガルディンが加勢する形で、政府のコンピューターシステムへのクラッキングを試み始めた一同。
さすがに彼らほどコンピューターシステムのことに通じていないハルは、ここで自分ができることはあまりないだろうと思い、リーヴと一緒にその様子を見守ることにした。
「……ねぇ、ハル……。みんな、どうしちゃった、の……?」
リーヴが、急に様子が変わったように動き出したアイラたちを見て、一体なにがあったのかとハルに尋ねた。
現状を打開しようとしている、ということはなんとなく理解できるが、具体的にどのような方策を取ろうとしているのか、という部分については、ハルと同様理解の及ばない領域であるようだった。
「んっ? あぁ、そうだね……。みんなで手分けして、今まで手に入れた情報を整理しようとしているんだよ」
ハルは、またリーヴを困らせてしまうことを避けるため、事実と嘘を適当に織り交ぜる形で答えた。全くの事実ではないが、かといって完全に嘘を言っている、というわけでもない。
「……ねぇ、ハル……。向こう、どうなって、いるの、かな……?」
ふと、リーヴはコントロールパネルのディスプレイに視線を向けながら、ハルに疑問を投げかけるような言葉を発した。
ハルにとっては、アイラたちがしようとしていることについて、リーヴが深堀りしようとしないのは幸いだった。だが、それとは別に、リーヴには気になることがあるようだった。
「んっ? ……あぁ、あれか。うーん、今のところ「85%」になっているみたいだね」
そのディスプレイには、『エデン』の再起動状況として、進捗率「85%」と表示されていた。あと少しで再起動が完了するということになるのだが、あの暴走事故のことを考えると、決して安心することはできない。
「……うん……、分かった……。じゃあ、今度は、こっち、なの……」
リーヴも、その数字の意味するところはすでに理解しているらしく、まだ自分たちが手を出すことができる状況にない、と察知したようだった。
そして、リーヴは再度アイラたちの様子に視線を移しながら、同時にアッシュが操作している高性能端末のディスプレイも視界に映していた。
「……アッシュ、リーヴが見ているんだ。言葉遣いには気を付けるんだよ」
「分かっていますって、アイラさん。さぁて、まずはこの情報とこの情報を突き合わせてみようかな、と……」
リーヴの視線に気が付いたアイラが、後ろに声が漏れることのないよう、小声でアッシュに注意を促した。ここでまたリーヴにたしなめられてしまうようでは、大人としてあまりにも情けない話になってしまう。
アッシュもそのことは重々承知していたようで、政府のコンピューターシステムにクラッキングを試みながら、あたかもそれとは別の操作をしているように振舞っていた。
「うぅむ……。これは実に、膨大な数の情報を、我々は入手してきたものであるな……。特に、この環境浄化ナノマシンに関する情報などは、まさに大収穫と呼ぶべきものであろう」
ガルディンも、アイラが言わんとしていることをすぐに理解し、適当に言葉を連ねてそれとなく別の作業をしていることを示そうとしていた。
もしかしたら、この程度の即興的な芝居など、今のリーヴには通用しないのかも知れなかった。それでも、地上の秘密を解き明かすという自分たちの大事な使命を最後まで果たさない限り、リーヴの願いも永遠に叶うことはない。
「……んっ? どうしたんだい、リーヴ……?」
「……あの画面……、なんだか、ちょっと、面白い、の……」
ふと、ハルがリーヴの方に視線を向けると、リーヴの目線が高性能端末のディスプレイに釘付けになっている様子を目の当たりにすることになった。
ハルがどうしたのかと尋ねると、リーヴはそのディスプレイに表示されているものに、相当の興味を示している旨の返答をしてきた。
「んっ? あの画面……? あぁ、なんだか、物凄い数の文字が映っているみたいだね。でも、あれのどこが面白いんだい?」
「……あのね……、なんだか、雨が、降っている……、みたい、なの……」
一見してただの無意味な文字の羅列にか見えない、その文字の洪水。ただ、リーヴにとってはそれが面白いものとして見えているらしい。
そういえば、『エデン』の前でアッシュとガルディンが高性能端末を使ってキーファイルの検索をしていた時も、ディスプレイには似たような画面が表示されていた。
「えっ? 雨に、見える……?」
「……うん……。お空、から、お水が、降って、くる、アレ……。前に、ハルに、見せて、もらった、よ……?」
リーヴに指摘され、ハルはあることを思い出していた。あの集落跡で発見したメモリーチップに収録されていた、今の極寒の大地になる前の地上の様子。
あの中に、大量の水が空から降り注ぐ森の中の様子を撮影した映像があった。その映像では、これが「雨」というものだと説明されており、ハルもその存在自体はすでに知っていた。
「あぁ、そういえば、そんな映像もあったね。……でも、これがアレに似ているかな……? どちらかというと、雪が降っているように見えたりしない、かな……?」
「……これは、お空、から、お水、降って、いる、の……。ワタシ、その、お水、お空、から……、浴びて、みたい、の……」
ハルにとっては、どちらかといえば、その画面の様子は雨というより、大量の雪が降っているように見えていた。地上の現状を知らされているハルにとっては、そちらの方が自然な形だった。
しかし、リーヴはこれは雨だと言って譲ろうとしなかった。そして、続けてリーヴはこの雨というものを、一度でいいから体験してみたい、とも言っていた。
「……雨を、浴びてみたい、か……。じゃあ、そのためには、なんとしても地上を元に戻さないといけないね」
「……そう、なの……。だから、ワタシ……、いっぱい、頑張る、の……」
今も地上は極低温の閉ざされた空間となっており、それを支配しているのは雨でもなければ太陽でもない。大量の雪と氷が、人間の存在を拒むかのように吹き荒れ続けている。
それを元に戻さないことには、リーヴの願いを叶えることはできない。自分の願いを実現するために、これからも頑張ることを、リーヴは改めて表明した。
「そうだね。俺も頑張るから、これからも一緒に頼んだよ、リーヴ」
「……エヘヘ……。ありがとう、ハル……、」
とはいえ、実際に頑張るのはリーヴではなくハルの役目である。それでも、リーヴがこうしてやる気を示してくれている以上、それに応えなければ自分はリーヴのそばにいる資格はない。
ハルは優しくリーヴを抱き締め、彼女の意思に必ず応えてみせる、という思いを伝えた。リーヴもそんなハルの思いを感じ取ったのだろう、はにかみながらハルに感謝の言葉を向けるのだった。
「雨、か……。そういえば、僕たちも本物の雨なんて、一度も見たことありませんからね」
「まぁ、そうだね。アタシたちも一度でいいから、その本物の雨っていうのを、この身体に浴びてみたいものさ」
自分たちの後ろでそのようなやり取りを交わしているのを聞きながら、アッシュとアイラはそれぞれに思うところを述べていった。
シャワーの噴水などのような機械的な水の粒子ではない、自然の力によって生み出された大いなる営みとしての雨。
これから待ち受けているかも知れない数々の危険。それを乗り越えた先に、果たしてその未来はあるのだろうか。
「うむ。我々にとっても、この件は極めて重大なものである。諦めることなく、最後まで臨み続けなければならぬであろうな」
そして、その思いはガルディンにとっても全く同様だった。本来であれば、自分はあの集落跡で命を落としていたはずだったのだ。
政府の追っ手からアイラたちを逃がすために、レジスタンスのリーダーとして最後の責任を果たす。そのつもりで事に向かったにも関わらず、自分は今もこうして生きている。
あの真相は今も明らかになっていないが、自分はもしかしたら、目に見えない大いなる力によって「生かされている」のかも知れない。
「うーん、なかなか厳しいですね。この情報、たくさんあるのはいいんですけど、どれとどれが整合しているのか、簡単には分かりそうにないですねぇ」
「そうなのかい? でも、こことここをこうやって突き合せたら……、ホラ、ここがこうなるだろう?」
アッシュが作業が上手くいかず悩んでいるところに、アイラが助言する形で端末を操作した。すると、それまでバラバラだった文字列が、まるでジグソーパズルのピースを合わせるように組み合わさっていくのが見て取れた。
もちろん、実際に行っているのは政府のコンピューターシステムにクラッキングを試みていることであり、情報の整合性を確認する、というのはリーヴにたしなめられないためのカモフラージュ工作だった。
「なるほど、さすがはアイラ。こういう場面では、やはり頼りになるな」
ガルディンも、上手にアッシュとアイラに調子を合わせて話を進めてくれていた。
もっとも、カモフラージュ工作というと悪い印象を与えてしまうかも知れないが、リーヴの純粋な思いに報いるためには、自分たちが泥に浸かることも必要だと、ガルディンは考えていた。
とはいえ、現状大した進展を見て取ることができないのは、ハルの目にも明らかだった。やはり、政府のコンピューターシステムに搭載されたセキュリティーシステムは、かなり厳重なものなのだろう。
「これは、もうしばらく時間が掛かりそうだな……。向こうも、もう少しで終わりそうなんだけどな……」
ハルはアイラたちの作業の様子を見ながら、コントロールパネルのディスプレイにも視線を向けていた。「90%」と表示されたその数字。あと少しなのだが、本当にあと少しなのだろうか。
「……んっ? なんだ、これ……? 急に、画面がおかしくなってきたな……?」
その時だった。高性能端末のディスプレイに、今まで現れなかった画面が表示された。その画面の表示内容を確認した時、アッシュは思わず目を丸くした。
「どうしたんだい、アッシュ? なにか、変なことでも起こったのかい?」
「いや、変なことっていいますか、急になにも操作を受け付けなくなって……」
アイラがどうしたのかと尋ねると、アッシュはその画面を元に戻そうと端末を操作した。しかし、画面はその操作に対して、なにも反応を示すことはなかった。
アッシュにとっても、こうした状況に遭遇することは初めてだった。今の時代の最新技術をもって作られた高性能端末が、これほど簡単に動かなくなることがあるのだろうか。
「何事かね? なにも操作を受け付けないというのも、実に不可解なことであるな……」
ガルディンは、一般のコンピューターシステムでいうところの「フリーズ」あるいは「ハングアップ」に該当する現象かも知れないと、当初は考えていた。
しかし、この時代のコンピューターシステムは、そうしたシステムに致命的なエラーが発生した場合は、自動的にシステムを強制終了し、システムそのものが壊れてしまうことを回避している。
あの『エデン』が再起動しているのも、まさにそうしたシステムエラーの最終的な対策であり、その意味では、まだ『エデン』に致命的なエラーが発生しているわけではない。
「どうしたんですか? ……あれ? ここ、ちょっと見てください。なんだか、変な表示がありませんか?」
アイラたちが困っているところに、ハルがディスプレイを覗き込み、様子を確認しようとした。すると、ハルはその視線の先に、見たこともないものを発見した。