自分たちの今後の身の振り方を話し合うため、リーヴと一緒に資料室の奥へと向かったハル。そこで、改めてリーヴと顔を合わせたものの、話の切り出し方をいかにすべきか、どうにも妙案が浮かばなかった。
「……ハル……。ワタシ、の、こと、なら……、平気、だよ……?」
そこに、リーヴが自分のことは気にしなくてもよい、という意味合いの言葉をハルに投げかけた。リーヴにとっては、どのような理由があったとしても、ハルが困っているのを見過ごすことはできない。
「そうか……。それじゃ、聞くけど、リーヴは、これから、どうしたいんだい……?」
そこで、ハルはあまりリーヴに気を遣わせるのも申し訳ないと思い、まずはリーヴ自身の思いを聞き出してみることにした。
リーヴの世話を一手に引き受けているハルにとっては、なにはなくとも彼女の思いを確かめないことには話の進展を望むことはできない。
「……ワタシ、は……。えぇと……。なに、が、したい、の、かな……?」
しかし、リーヴは少し考え込むような表情を見せた後、次第にその表情が困惑の色に変わっていくのを、ハルはその目に捉えていた。
言われてみれば、リーヴは今までずっと、ハルのそばにいる時間が圧倒的に多かった。自分が本当は何者なのか、そのことで思い悩んでいた時も、ハルが励ましたことで自分を取り戻したという経緯がある。
「……まぁ、そうだよね。いきなりなにがしたいのか、って聞かれても、そうすぐには答えられないよね」
「……ゴメン、なさい……。ワタシ……」
リーヴにとっては、ハルと一緒にいることが、自分が自分でいられる一番の理由なのだ。そんなリーヴに突然一人で行動をすることを求めるのは、さすがに酷に過ぎるというものだろう。
なにも答えられない事実を前に、リーヴは申し訳なさそうにうつむいた。まだ、リーヴは本当の自分が分かっていないのだ。ならば、とハルは質問のベクトルを変えてみた。
「ううん、いいよ。それじゃ、リーヴは、これからも俺と一緒にいたい?」
これは、もはや聞かなくても明らかな質問になるだろう。ただ、自分たちのこれからの身の振り方を決めるためには、今一度リーヴの思いを確かめておく必要があると、ハルは考えていた。
「……うん……。ワタシ、約束、した、から……」
これは、リーヴもはっきり返答することができた。今でも、リーヴはハルと一緒にいることに相応の喜びと安心感を見出しているのだ。
その思いを改めて知ることができたのは、ハルにとって間違いのない確かな収穫だった。リーヴの思いが今でも変わっていないのであれば、ここから先の話に関しても、方向性を決めやすくなる。
「そうか。じゃあ、もし俺が、アイラさんたちと別れて、どこか別のシェルターでのんびり過ごしたいって言ったら、リーヴはどうする?」
ハルは、自分でも全く望んでいないことを、敢えてリーヴにもぶつけてみた。ハルと一緒にいたいというリーヴの願い。それは、彼女にとって実際のところ、どのような形として心に宿っているのだろうか。
この回答如何によっては、ハルの身の振り方にも大きな影響を与えることになるだろう、リーヴを護り、リーヴと一緒に元の地上を取り戻す。その使命をどうするか、ということにも関係するからだ。
「……えっ……? は、ハル……。そ、それって……?」
「大丈夫。あくまでそうしなくちゃいけなくなったら、の話だから。どうしても、アイラさんたちと離れて暮らさなくちゃならなくなったとして、リーヴは俺とアイラさん、どっちに付いていく?」
ただ、この質問はリーヴにとっては全く想像していないものだったようである。一体どういうことなのかと問い質すような表情をハルに向けながら、すぐには答えることができない様相も示していた。
ハルはあくまで仮定の話だと前置きしながら、それが現実になった時に、どちらに付いていくのか、再度リーヴに尋ねた。出会った当初と比べて、女の子然とした部分を見せるようになっている今のリーヴであれば、恐らく少し考えただけで答えは出てくるだろう。
「……もちろん、ハルと、一緒……。それ、もう、聞く、必要……。ない、から……」
リーヴが小さく不満を表明するような口調で答えた。自分がハルと別れるということなど、どうしてあり得ると思うのだろうか。
ハルが美しい地上を自分に見せてあげると約束したのと同様、リーヴもまたハルのそばから離れないという約束を守らないのは、ハルの心に深い傷をもたらしてしまう。そう考えている節があった。
「うん、そうだったね。……それで、もう一つ聞きたいんだけど、リーヴはこのまま寒い世界で住み続けたいかい?」
「……うぅん……。ワタシ、ハルと、お外で、遊びたい、の……」
ハルはリーヴをなだめつつ、一つ一つ丁寧に質問をしながら、彼女の心に秘められている思いを少しずつ引き出そうとしていた。
こうしてリーヴの思いを確かめていくこと。その先に自分たちが歩むべき未来への道程が隠されているに違いない。それは、恐らくアイラたちにとっても見過ごすことができないものになるはずだ。
「そうだね。俺も、リーヴと外でいっぱい遊びたいよ。でも、そのためには、これからもっと色々なことを知らなくちゃならない」
「……いろいろな、こと、を……?」
リーヴが望む、地上でハルと過ごす未来の姿。しかし、それを実現するためには、これからさらなる情報を入手し、地上の秘密を解き明かさなければならない。
「うん。それは、とっても大変な旅になるだろう。もしかしたら、今までよりも危険なことが待っているかも知れない」
「……今まで、より、も……、危険、な、こと……?」
アイラたちと共に続けてきた、地上の秘密を解き明かす旅。すでに何度も危険な事態に遭遇しているとはいえ、これが最大の危険であるとは思えなかった。
あの『エデン』の暴走事故でさえ、これから自分たちを待ち受けているさらなる危険と比較すれば、単なる序の口レベルに過ぎないかも知れないのだ。そのような危険なことにリーヴを直面させることは、ハルにとっても心が痛んでしまう。
「だから、リーヴ。もしキミがもう危険なことはイヤだっていうなら、俺もこれ以上無理なことはしない。どこか静かな場所で、二人一緒に穏やかに暮らしていこう」
「……ハル、と……、ワタシ……、ふたり、で……?」
「うん。でも、キミが美しい地上を取り戻したいっていうのなら、俺はその約束を果たすために、これからも頑張っていくよ。もちろん、リーヴ、キミを護ることも忘れないから」
ハルはこの時点で覚悟を決めていた。もし、リーヴがこれ以上危険な目に遭いたくないというのであれば、自分もこの件からは手を引くつもりだ。
だけど、リーヴが自分との約束を大事にしたいということであれば、ハルにとってもそれに応える義務を失うことはない。たとえその先に恐ろしい事実が待ち受けているとしても、リーヴを護り抜くという、もう一つの約束があるのだから。
「……わ、ワタシ……、ワタシ、は……」
リーヴは言葉に詰まったように困惑した表情を見せた。恐らくリーヴも理解しているのだ。ここで自分がどのような決断をするかによって、ハルの運命も大きく左右される、ということを。
このような状況で、まさかこうした大きな決断を迫られることになるとは、リーヴも思っていなかったのだろう。ただ、ハルと別れるような選択肢は、リーヴには全くあり得ない話だった。
自分はこれからもハルと一緒にいたい。でも、それはハルに危険な思いをさせてしまう可能性もある。だからといって、ハルの本来の目的を、ここで捨てさせることが正しいとも思えない。
「……ワタシ、は……、ハル、に……、願い、叶えて、ほしい、の……」
そして、しばらく思案した末、リーヴは一つの結論に辿り着いた。自分にとって、ハルの願いはハルだけの願いではない。自分にとっても、大切な願いそのものである。
「俺の、願い、を……? でも、それだと、リーヴ、キミが……」
「……うぅん、いいの……。ワタシ、は……、ハル、と、ただ、一緒に、いたい、わけじゃ……、ない、の……」
ハルはその返事を聞いて、思わず聞き返さずにはいられなかった。リーヴが自分の願いを優先してくれるのは嬉しい話であるが、それはハルだけでなく、リーヴにとっても身の安全の保証ができない、ということを意味するものだからだ。
「えっ……? ただ、一緒にいたい、わけじゃない……?」
「……ワタシ、の、ため、に……、ハル、が、ダメに、なる、の……、イヤ、だから……。それに……、ワタシ、ハルと、一緒、なら……、どこでも、平気……」
確かに自分はずっとハルのそばにいたい。でも、そのためにハルが犠牲になることを望んではいない。
ハルと一緒に、彼の願いを追い続け、その先にある未来の光を一緒に掴み取る。それを実現するためであれば、自分はどんな苦労もいとわない。
ハルが自分を護ってくれるのであれば、自分もハルを護れるように、そばに居続ける決意を示そう。この段階で、リーヴの心は一つに固まった。
「……分かったよ、リーヴ。キミがそう言うのなら、俺ももうこれ以上はなにも言わない。これからも、俺のそばにいてくれるかい?」
「……うん……。これからも、よろしく、なの……」
ハルが改めてリーヴの意思を確認すると、リーヴはその意思を伝えようとするかのように椅子の上に立ち、その小さな手でハルの頭を撫でていった。
大人の男性であるハルが、まだ年端も至らない少女であるリーヴに頭を撫でられるというのは、ある意味滑稽にも映る光景だった。しかし、これがリーヴなりの決意表明であるのならば、ハルにそれを受け取らない理由は全くなかった。
「じゃあ、行こうか、リーヴ。アイラさんに、俺たちが出した結論を伝えないといけないからね。……あっ、よかったら、また抱っこしてあげようか?」
「……エヘヘ……。ありがとう、ハル……」
ハルが両手を広げて抱き上げる態勢に入ると、リーヴは嬉しそうに微笑みながら、ハルの胸元に寄り添うように抱き付いた。ハルはそんなリーヴを抱き止めながら、その小さな身体に秘めた、強い願いを心で感じ取っていた。