「アイラさん。一体どういうことなんですか? リーヴの一体なにが心配なんですか? もしかして、俺じゃリーヴの世話を見切れない、なんて思っているんですか?」
アイラにリーヴのことが心配だと言われたハルは、敢えて意識的に口調を強めてアイラにその真意を問い質した。
これまで、自分は誰よりも強くリーヴのことを大事に思ってきた。最初は言葉を話すこともままならなかった彼女に「リーヴ」という名前を付けたのも自分であるし、アイラが用意してくれた睡眠学習プログラムによって一定程度の言語理解能力を身に付けた後、ハルは彼女の名付け親として、リーヴを護る使命を果たし続けてきた。
もしそんな自分の務めにどこか不備があったのだとすれば、ハル本人に直接指摘すればよいことではないか。それを、わざわざりーヴのことが心配だと言ってくるとは。ハルはアイラの思惑が今一つ図りかねていた。
「もちろん、そんなことは思っていないよ。アンタにリーヴの世話を頼んだのはアタシたちだし、リーヴの身になにかあったら、それはアンタだけじゃなくて、アタシたちの責任でもあるからね」
「じゃあ、どうしてリーヴのことが心配だっていうんですか? もし俺になにかしてほしいことがあるんでしたら、ここで話してくれませんか?」
アイラもリーヴの世話をハルに一任していることは事実として、その責任をハル一人に押し付けるつもりはない、と付け加えた。
そういうことであれば、アイラがリーヴのことを心配する、一定の理由にはなるだろう。とはいえ、恐らくアイラの本当の思惑は、その部分にはないはずである。
「……ハル。アンタだって、もう気が付いているんだろう? その子が、リーヴがただの女の子じゃないってことがさ……」
アイラは、一瞬言葉をためらうような態度を示した。表情も果たしてこのことをハルに伝えるのが本当に正しいことなのか、判断に迷っている気配を感じ取ることができた。
しかし、今このタイミングでこのことを話しておかなければ、この先話す機会はなくなってしまうだろう。アイラは意を決し、いつになく低い声色でハルに自分の真意を伝えた。
「……えっ? り、リーヴが、ただの、女の子じゃ、ない……?」
その言葉は、ハルにとってあまりに予想外のものだった。リーヴもさすがに今の言葉には少なからずショックを受けているのだろう、表情が途端にこわばっていくのがはっきりと見て取れた。
「あぁ。アタシは、ずっと考えていたんだ。リーヴがどうしてアタシたちの前に現れたのか。そして、どうしてハルにばかり懐くようになったのか」
「どうしてって、そんなの、俺にも分かりませんよ。むしろ、俺の方が知りたいぐらいなんですから。そんなことを、アイラさんが気にして、どういうつもりなんですか?」
ハルとリーヴの出会い。それは一見して偶発的な、突然の出会いであることは、あの状況を知る者であれば一切の疑念を抱くことはないだろう。
しかし、だからこそアイラはその部分に対して今一度疑念の目を向ける必要があると思っていた。もしかしたら、そこに自分たちが見落としていた、重大な事実が隠されているかも知れないからだ。
「……この際だから、正直に言おうか。アタシは今までの出来事が、ただの偶然とは思えないんだよ」
「偶然じゃないって、どういうことですか……?」
「正確に言うと、アンタがリーヴを助けてから、って言った方が分かりやすいだろうね。それまで思うように進んでいなかったアタシたちの調査が、リーヴが現れてから、急に色々と進展し始めた」
アイラは、これまでの経緯を振り返りながら、自分たちにとって分岐点となったところはどこか考えていた。そして、その結論はすぐに導き出された。
ハルがリーヴを助け、自分たちと一緒に行動するようになってから、事態は急激に進展を見せるようになっている。
「それは、前にも聞いたことがありますけど、どうしてこんな時に、その話をまた持ち出すんですか? しかも、今度は俺に自分たちから手を引けだなんて」
「あの集落跡のセキュリティロックを解除することができたのも、環境浄化ナノマシンに関する情報を入手することができたのも、考えてみれば、リーヴがいたからできたことだしね」
アイラの言うことに嘘はなかった。あの集落跡の旧式のセキュリティロックを解除したのは確かにリーヴのおかげであるし、その後に環境浄化ナノマシンに関する情報を発見することができたのも、リーヴがセキュリティロックを解除しなければ実現できなかったことである。
「ですけど、それとリーヴのことが心配だっていうことと、どういう関係があるんですか……?」
「その後、政府の追っ手に捕まりそうになった時、本当であればリーダーが犠牲になってアタシたちを逃がすつもりだったんだ。でも、リーダーは無事だった」
そこまで話を続けた時、ハルはあることに思い当たった。恐らく、アイラはこの段階でなにかがおかしい、事態が自分たちにとってあまりにも都合良く進み過ぎている、と考え始めたのだろう。
そこで、元政府の科学者としての明晰な頭脳で状況を分析した時、リーヴの存在がカギを握っている可能性があると、アイラは推測したに違いない。
「今回の『エデン』の暴走にしたって、普通のプログラムエラーじゃ、あんなことは起こらない。なにかもっと深刻なイレギュラーが発生していると、『エデン』が判断したのかも知れない」
「……そのイレギュラーが、リーヴだって言うんですか? 冗談にもならない話をしないでください。リーヴがそんなイレギュラーだなんて、その証拠がどこにあるっていうんですか?」
アイラがそこまで説明をしたところで、ハルは思わず語気を強めて反論した。すぐそばにいるリーヴを変に刺激してしまうことのないよう、努めて冷静に振舞おうとしていた。
しかし、アイラの話が全くの支離滅裂な内容であるとも、ハルには思えなかった。あの巨獣の動きが突然止まった件を含め、これまでの出来事にリーヴが全くの無関係であると明言することができなかったからだ。
「確かに証拠はないよ。でも、よく考えてごらん。昔のアンタにとって、地上の秘密を解き明かすことは、確かに大切なことだったかも知れない。でも、今はもう違うんじゃないのかい?」
アイラの言葉が、ハルの心に予期せぬ思いをよぎらせることになった。あの地下シェルターを飛び出したのも、全ては美しい地上を取り戻すため。その願いを実現するために、アイラたちと行動を共にしてきた。
でも、今は確かにそれだけではない。リーヴとの約束。リーヴに元の地上の姿を見せてあげること。映像だけではない、本来の地上の生の姿を、いつかリーヴに見せてあげると約束した。
「……確かに、その通りです。今はリーヴのために、リーヴとの約束を果たすために、こうしてアイラさんたちと一緒にいるんです……」
「だったら、なおさらアンタはこの件から手を引いた方がいいよ。なにより、リーヴがアンタのことを一番必要としてくれているんだ。これ以上アンタに無理をさせるのは、アタシたちにとっても忍びないんでね」
これ以上ハルたちを危険な目に遭わせるのは本意ではない。そんなアイラの言葉を聞いたハルは、改めてこれからの身の振り方を考えなければならない状況に立たされていた。
自分は今まで、リーヴを護り、リーヴとの約束を果たすために地上の秘密を解き明かそうとしてきた。
しかし、ここまでの経緯を振り返ってみれば、地上の秘密が少しずつ明らかになっていく一方、リーヴにもなにか秘密が隠されているのではないか、という思いも渦巻いていく。
「……分かりました。ですが、少しリーヴと話し合う時間をくれませんか? 俺だけの一存で、リーヴを振り回すことはできませんので……」
「あぁ、もちろん、いいよ。別にアタシも、今すぐ結論を出してくれ、と言っているわけじゃない。リーヴと二人で、納得のいく結論を出しな」
もしかしたら、アイラは詳しいところまでは気付いていないのかも知れないが、これ以上この件にリーヴを関わらせることは、いずれとんでもない事態を招くことになると思っている可能性もある。
とはいえ、ハル一人の判断でリーヴの今後を決めてしまうわけにはいかない。ハルはアイラに断りを入れた上で、一度リーヴと話し合う時間を設けることにした。
「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと向こうに行こうか、リーヴ」
「……うん……、いいよ、ハル……」
リーヴはハルに抱き締められたまま、資料室の奥の方に移動した。アイラは付いていく気配を見せることはない。ここはハルとリーヴの二人で、しっかりと話し合ってほしいと思っているのだろう。
「それじゃ、リーヴ。ちょっとの間、そこに座ってくれるかな?」
「……うん……、分かった……」
ハルが椅子を用意すると、リーヴは素直にその椅子に腰掛けた。相変わらず小さいリーヴの身体は、その椅子にきちんと収まる格好になった。
そんなリーヴと向かい合うように、ハルも椅子を用意し、それに腰掛けた。一見して落ち着いた表情に見えるが、リーヴもリーヴなりに、自分の今後がかかっている話になるということを理解しているのだろう。
「えぇと、リーヴ。さっきのアイラさんの話、聞いていたかな……?」
「……うん……。ワタシの、こと、なんとなく、だよね……?」
「そうだよ。やっぱり、リーヴは賢い女の子だね。さて、まず、なにから聞いた方がいいかな……?」
ハルが先程のアイラの話を理解しているかリーヴに尋ねると、リーヴは小さく頷いてこれに返事をした。あれほどすぐそばで聞いていたのだ。たとえ自分に関係のない話だったとしても、それをある程度でも覚えていない方が、むしろおかしいというものである。
ハルにとっては、最初から本題を切り出す準備が整っていることは好都合だった。しかし、いざリーヴとの話し合いをしようとすると、どのように話せばよいのか、どうにも思案にあぐねてしまうのだった。