コントロールパネルのある部屋に戻ってきた一行は、それぞれ別々の椅子に腰掛け、目の前にあるコントロールパネルを見つめていた。
その表情は、誰も決して明るさを印象付けるようなものではなかった。あの地球環境制御システム、通称『エデン』に隠された問題は、今だ明らかになっていないも同然なのであるから。
「さぁ、リーヴ。俺たちもどこかに座ろうか。それとも、キミはもう少しこのままの方がいいかな?」
「……うん……。ワタシ、ハル、と、一緒が、いい……」
一番最後に部屋に入っていったハルは、先行していた三人に従い、自分たちもどこかに座ろうと思った。ただ、リーヴはハルを抱き締めたまま離れる気配がなかったため、そのままにしておくのが良いとも考えていた。
実際、ハルがどうするのかと尋ねると、リーヴはこのまま一緒にいてほしい、と返事をした。自分自身のことがよく分からなくなっていることが、リーヴにとってはまだ不安なのだろう。
「……さて、これからどうするか……? ひとまず、ここで入手した情報を整理してみるか……」
ガルディンが一つ息を吐きながら、これまでの情報を整理してみようと言い出した。とはいえ、その情報は恐らく、あの地球環境制御システムのことに集約されるのだろう。
「そうですね、リーダー。とはいっても、あの妙なコンピューターシステム、『エデン』とか言っていましたけど、なんで急にあんなことになったんでしょうかね……?」
話の切り口を示すかのように、アッシュが言葉を連ねていった。『エデン』が突然システムエラーを起こした。あの現象を説明するには、今のところそれ以外には考えられない。
「さぁ、ねぇ……。もし、あれが本当にプログラムのバグなんだとしたら、このコントロールパネルの画面にも、そのことが表示されてよさそうものなんだけどねぇ……」
アイラが返答しながら、巨大なコントロールパネルに視線を向けた。そのディスプレイには、一際大きなフォントで『システムを再起動しています』と表示されていた。
その直下には、再起動の進捗度合いを示すパーセンテージが数字で表示されていた。ただ、彼らがこの部屋に入った時に表示されていた「30%」から、全く数字がカウントアップされていなかった。
「このままでは、システムが再起動を完了するまで、まだかなりの時間が必要であろうな。どうする? 一度アジトに引き返すか? それとも、もう少し、ここを調査してみるか?」
「僕は、もう少し調査を進めるべきだと思いますね。あくまで多分ですけど、あの『エデン』とやらのバグを突き止めることが、地上の秘密を知る手がかりになると思うんですよ」
ガルディンは他のメンバーに、この後の行動方針に関して相談を持ち掛けた。ただ、このままアジトに戻ったとしても、『エデン』の暴走の原因を突き止めることはできないだろう。
それはアッシュも同様の考えだったらしく、『エデン』が暴走したことが、地上の今の状態を引き起こした可能性さえ、彼は指摘しようとしていた。
「……なぁ、ハル。ちょっと、向こうの部屋に行かないかい?」
ふと、アイラが立ち上がり、別の椅子に座って様子を見ているハルに声を掛けてきた。ハルはリーヴを護ることを優先するため、敢えて彼らの話には参加していなかった。
「アイラさん、急に、どうしたんですか?」
「いや、ちょっと、アンタに話しておきたいことがあってさ。できれば、リーダーとアッシュには聞かれたくないことなんだけど、いいかい?」
ハルが何事かと尋ねると、アイラは周囲に漏れないよう、ハルの耳元で小さくつぶやいた。どうやら、かなり大事な話を、アイラはしようとしているらしい。
「はい、分かりました。それじゃ、向こうの資料室に行きましょうか。あっ、リーヴも一緒に行ってもいいですか?」
「あぁ、もちろんだよ。というか、リーヴにとっても、もしかしたら大事な話になるかも知れないからね」
ハルは念のため、リーヴも一緒に行くことに問題ないかアイラに尋ねた。すると、アイラはそれを了承するどころか、むしろリーヴにも聞いてほしい話だと告げた。
それを聞いた瞬間、ハルは直感した。これは、間違いなく重大な内容になるだろう、ということを。それも、ハル自身だけでなく、リーヴの今後にも影響する話になるかも知れない。
「リーダー。ちょっと、ハルと一緒に向こうの資料室に行ってきます」
「んっ? あぁ、分かった。なにかあったら、すぐに知らせるように」
アイラはガルディンに資料室に行く旨を告げながら、ハルに視線を移した。ハルと一緒にいるリーヴは相変わらず彼をしっかりと抱き締め、なにがあっても決して離さない、という意思を明確に示していた。
「じゃあ、リーヴ、ちょっとだけ移動するけど、大丈夫かい?」
「……うん……。平気、だから……」
リーヴも先程までと比較して、若干ではあるが落ち着きを取り戻している様子だった。静かな返事の声ではあるが、自分は大丈夫だということを、懸命にハルに伝えようとしているようだった。
そして、アイラを先頭に、ハルとリーヴがそれに続く形でコントロールパネルのある部屋を出た。資料室まではそれほど遠い場所にあるわけではなく、少し廊下を歩くだけで辿り着くことができた。
「うん。ここなら、ひとまず誰にも聞かれる心配はなさそうだね」
アイラが資料室に入ると、自動的に中の照明が次々と点灯していった。『エデン』が暴走したとはいえ、この資料室の人感センサーは正常に機能しているらしい。
ハルがリーヴを抱き締めながらアイラに続くように資料室に入りながら、入口のドアを閉めた。相変わらずこの資料室には大量の冊子が格納されている。
もしかしたら、この冊子のどこかに、まだ自分たちが知らない情報が隠されているかも知れない。アイラはそれを探すために、こうしてハルと共にこの資料室に足を運んだのだろうか。
「そうですね。ところで、アイラさん。俺に話しておきたいことって、一体なんですか?」
とりあえず、アイラがどのような思惑をもって自分たちをここに連れてきたのかを確認する必要がある。ハルが用件を尋ねると、アイラは少し言い難そうな態度を示しながら、静かに口を開いた。
「そうだね……。ハル、アンタ、もうこの件から手を引いた方がいいよ」
その言葉を聞いたハルは、突然の事態に思わず目を丸くした。一体この人は急になにを言い出すのか。この件から手を引けとは、一体どういうことなのだろうか。
「あ、アイラさん。いきなり、なにを言うんですか? 俺に、この件から手を引けだなんて……」
「そりゃ、驚くだろうね。なにしろ、アンタを助けた上に、このレジスタンスに勧誘したのはアタシだから、アンタにとっては納得がいかない話だろうね」
ハルが困惑の表情を浮かべながら事情を問い質すと、アイラは続けてハルが納得していないことを理解しているように答えた。確かに、これまでこのレジスタンスに協力することになったのも、全てはアイラとの出会いがきっかけになっている。
「そうですよ。そのアイラさんが、どうして俺をレジスタンスから外すようなことを言うんですか?」
「……アタシはね、このままアタシたちとこの一件に関わり続けたら、そのうち大変なことになるって思っているんだよ」
ハルがそのことを指摘すると、アイラは一瞬言葉に詰まったような態度を示した。アイラにとっても、ハルの指摘は至極真っ当なことだと思っているのだろう。
それでも、ハルをこれ以上自分たちに関わらせるわけにはいかない、と思わせてしまうほどの事情がアイラにはあった。それは、恐らく彼女しか気付いていないことでもあった。
「大変なことって、どういうことですか? 大変なことだったら、もう何度も経験していますし、これから先、また大変なことが起こったって、今さらなんとも思いませんよ」
「なんとも頼もしい言葉だね。アンタも、知らないうちに度胸が据わってきた、ということなのかね。いや、もしかしたら、リーヴのおかげ、ってこともあるのかね」
その力強いハルの言葉を聞いたアイラは、最初に出会った時とは色々と変わったな、ということを実感していた。
それは、自分自身の使命というより、リーヴという護るべき存在ができたことの方がより大きく影響しているのかも知れなかった。
「俺も、多分そうだと思っています。俺がここまで来れたのは、間違いなくリーヴのおかげですし、俺だって、なにも考えなしにアイラさんたちと一緒にいるわけじゃありませんから」
「なるほどね。でも、だったらなおさら、アンタはこの一件にこれ以上関わるべきじゃないよ」
しかし、アイラはそれでもハルにこの一件から手を引いた方が良いと言って、ハルを説得する手を緩めようとしなかった。一体アイラは、なにをそれほどに不安に思っているのだろうか。ハルにはどうしても理解することができなかった。
「どうしてですか? 俺がいたら、この先足手まといになるって言うんですか?」
「いや、そういうことじゃないんだ。アタシはアンタのことも心配なんだけど、むしろ、リーヴのことがもっと心配なんだ」
アイラにどんな事情があるのかは分からないが、それでも地上の秘密を解き明かすためにあの地下シェルターを出た以上、今さら手ぶらで帰るわけにはいかない。
もとより、もはや帰る手段もないのであれば、このままアイラたちと行動を共にする以外の選択肢は、ハルには存在していなかった。
しかし、アイラの心配事は、ハルのことだけではなかった。むしろ、ハルと一緒にいるリーヴに対しての方が、よほど大きな心配事となっていた。
「えっ……? リーヴのことが、心配……?」
あまりに不意打ち的に浴びせられた言葉を前に、ハルは思わずリーヴの顔に視線を移した。リーヴはハルを抱き締めたまま、二人の会話に割り込むことなくその様子を見守っている。
ただ、先程のアイラの返事を聞いて、リーヴも自分のことを言われている、と気が付いたのだろう。その表情に、わずかばかりの不安が覗き出すのを、ハルは見逃していなかった。