目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第51話

 ガルディンたち一行は、突然様子が急変した大部屋とエデンに危機感を覚えた。そして、このままでは危険だと判断し、部屋を出る判断を下した。

「それにしても、一体なにがあったんでしょうか? 急にあんな警告を発するなんて……」

「そんなのは後だよ! とりあえず、あのコントロールパネルのある部屋に戻るんだ!」

 ハルは一瞬脳裏に疑問をよぎらせたが、アイラはそれは後回しだと言って、できる限りあの部屋から遠ざかるように指示を出した。

『……オネガイ……。ミンナヲ……、タスケテ……』

 あの部屋から遠ざかり、さらに扉に自動的に閉められたおかげで、あのサイレン音はもはや聞こえなくなっていた。しかし、ハルの頭には、今でもリーヴの透き通った声が休むことなく届けられていた。

「一体、どうなっているんだ……? とにかく、リーヴだけは、俺がなんとか護ってあげないと……!」

 このような状況になっても、なお止まることのないリーヴの透き通った声。ハルはこの状況を切り抜けると同時に、リーヴの意識を落ち着かせる方法についても対策を練り上げなければならなかった。

 リーヴと唯一心を通わせることができるのがハルしかいない現状では、リーヴを護ってあげられるのも、またハルしかいないという現実があるのだ。

「走れ! とにかく走れ! ほんの少しでもスピードを緩めるな!」

「分かっていますよ! この階段がエスカレーターじゃなかったのは、逆に幸いでしたけどね……!」

 最後尾から全力疾走を促してくるガルディン。それに対して一番近いところにいるアッシュが、若干のぼやきを交えながら返事をしていた。

 サイレン音が聞こえなくなるほど、あの大部屋からかなり遠ざかっていることは事実である。とはいえ、それで危険から逃れることができた、という保証はどこにもない。

 だからこそ、アッシュはこれが普通の階段だったことに、皮肉交じりの言葉を発していた。これがエスカレーターだったとしたら、その段差の高さに、思うように登れない可能性もあったからだ。

「よし、見えた! あそこまで行ければ……!」

 アイラの視界に、最下層に続く階段通路の出口が見えてきた。それは、自分たちが最初に入ってきた浅い階層の大部屋に戻ってきたことを示すものだった。

「全員飛び込んで! すぐに扉を閉めるよ!」

 アイラがいの一番に出口に飛び込むと、ハルもそれに続くように出口に飛び込んでいった。リーヴに余計な衝撃を与えてしまうことのないよう、しっかりとリーブを抱き締め、背中から着地する態勢を取った。

 その後、アイラとハルがその場から離れるのとほぼ同時に、アッシュとガルディンが同じように大部屋に飛び込んでいった。そして、二人が飛び込んだのを確認したアイラは、すかさず扉のセキュリティロックを操作し、扉を閉めていった。

「フゥ……。これで、大丈夫、かな……? みんなも、大丈夫かい……?」

 扉が完全に閉まったのを確認したアイラは、大きく息を吐きながら、ハルたちの様子を確かめようとした。アッシュとガルディンはともかくとして、リーヴを抱き締めながらあの長い階段を登ってきたハルにとっては、予想だにしない負担だったに違いないからだ。

「え、えぇ……。なんとか、大丈夫、ですかね……。でも、まさか、ここでこんな運動をさせられるとは、思ってもみませんでしたねぇ……」

「それは仕方があるまい。我々が地上の秘密を突き止めようとしている以上、こうした事態も常に予想しておかねばならぬ」

 呼吸を荒げながら返事をするアッシュとガルディン。二人とも突然かつ急激な運動を強いられたことに身体は大きな疲労を覚えていたが、ひとまず危機を脱したことに対する安堵感も、同時に漂わせていた。

「アッシュとリーダーは大丈夫そうだね。ハルの方は、どうだい……?」

「あっ、はい。俺も、どうにかギリギリ、って感じですね。あとは、リーヴの様子が気になりますが……」

 続けてアイラはハルの無事を確認した。やはり呼吸を荒げながら返事をするハルだったが、それはハルの身体に特別異変が発生していないことを示唆するものでもあった。

 それよりも、ハルには気になることがあった。リーヴは無事なのだろうか。あの透き通った声は、いつの間にか聞こえなくなっていたが、本当にリーヴの意識が元に戻ったのかを、ここで確かめておく必要がある。

「リーヴ、リーヴ。起きて、起きて……」

 ハルは大きく深呼吸した後、自分を抱き締めているリーヴの背中を優しく叩きながら、彼女に声を掛けた。ハルのぬくもりを感じ取ることができれば、リーヴも目を覚ましてくれるはずである。

「……ウッ、プハァッ! ハァ、ハァ、ハァ……」

 すると、リーヴはそれまで体内に溜まっていた空気を一気に吐き出すかのように大きく口を開けた。大きく、とはいっても、まだ幼い少女であるリーヴに、それほど大きく口を開けることができるはずもなかった。

 ハルは、そのリーヴの反応を見て、どうやら意識が元に戻ったらしいことを知り、ひとまず胸を撫で下ろした。ただ、この反応は巨獣の動きを止めた後とほとんど同じだったため、本当に大丈夫なのか、改めて確かめる必要があるとも思っていた。

「リーヴ、大丈夫かい? どこか、具合が悪くなっていたりしない?」

「……あっ、は、ハル……。わ、ワタシ、ど、どうしちゃった、の……?」

 容態を確認するハルの声に応えながら、リーヴはまだ混乱から抜け出せていない様子だった。自分がどういう状態だったのかすらも、記憶から抜け落ちてしまっているらしいことが、ハルを見つめるその不安を色濃くした表情からも読み取ることができた。

「よかった、大丈夫みたいだね。急に震え出したものだから、どうなっちゃんだろうって、俺、心配しちゃったよ」

「……わ、ワタシ、震えていた、の……? ハル、心配、させちゃった、の……?」

 ハルが改めて安堵の表情を浮かべながら、リーヴに優しく声を掛けた。しかし、それを聞いたリーヴは自分の覚えていないところでハルに心配をかけてしまったことに対して、申し訳ない思いでいっぱいだった。

「そんなことはないよ。今の俺には、キミを最後まで護り抜く義務があるからね。それに、キミに元に戻った地上を見せてあげる約束も、まだ果たしていないだろう?」

 そう応えながら、ハルはリーヴの頭を優しく撫で回した。詳細な原因は不明であるにせよ、あのリーヴの透き通った声がなんらかの引き金になったことは間違いない。

 それは、リーヴが持っていると思われる『願いを現実にする力』に、あの地球環境制御システムが反応したせいであるのかも知れないし、それとはまた別の要因により、システムが自分たちを侵入者と判断したせいなのかも知れない。

「……エヘヘ……。ありがとう、ハル……」

 ハルに頭を撫でられたリーヴは、恥ずかしそうにはにかみながらハルをそっと抱き締めた。ハルもリーヴにより安心感を与えようと、強い力を与え過ぎないように抱き締め返した。

「全く、やれやれですよ。こんなところでも、しっかり見せつけてくれちゃって。まぁ、なんというか、ねぇ、リーダー?」

「よいではないか、アッシュ。二人があのようにしていられるのも、状況がひとまず落ち着いている証であるからな」

 若干バツが悪そうにハルとリーヴを見つめるアッシュに対し、ガルディンはこれも自分たちが望み求めているものの一つである、と思っていた。

 自分たちは確かにレジスタンスとして、地上の秘密を突き止めることを使命とした集団である。しかし、だからといって常に気を張っておかなければならないかと言われると、決してそのようなことはない。

 地球環境制御システムが突然暴走……実際に暴走と呼ぶべきなのかは不明であるが……しかけた原因など、解決すべき問題は山積しているが、今回の事件でまた、自分たちは新たな情報を入手することができた。

「でも、これであの地球環境制御システムになんらかの問題があることが決定的になりましたね。その原因が分からないのが、なんとも口惜しい話ですが」

 アイラがこの場を引き締めるように他の全員に告げた。確かにアイラが指摘した通り、『エデン』と銘打たれた地球環境制御システムには、なにかしらの深刻なバグが潜んでいる。

 それが、現在の地上の状況に影響を及ぼしているかどうかは、さらに調査を進める必要があるだろう。とはいえ、そのバグの正体を暴き出すことができれば、問題の解決に向けて大きく前進することは間違いない。

「アイラの言う通りであるな。さて、これからどうするか……」

「とりあえず、さっきアイラさんが言っていた通り、例のコントロールパネルがある部屋に戻りましょう。あのシステムに異変が起こったんでしたら、コントロールパネルにもなにか表示されているはずですし」

 ガルディンが腕組みをしながらこれからのことを思案していると、アッシュが先程のアイラの話に乗るような格好で返事をした。

「うむ、それが一番であろうな。よし、行くか」

 アッシュの提案に応じる形で、ガルディンが立ち上がりながら大部屋を出ていこうとした。アッシュもこれに続く形を取りながら、やはり大部屋を後にする態勢を取っていた。

「それじゃ、アタシたちも行こうか。さすがにいきなり走って、ちょっと疲れちゃったし、アジトに戻る前に、調べておきたいこともあるしね」

 ガルディンとアッシュが移動し始めたのを受けて、アイラもコントロールパネルのある部屋に行こうと思い立った。そして、ハルにその旨を告げながら、階段を走り登った疲れが残っている表情を見せていた。

「はい、そうですね。じゃあ、リーヴ、行くよ」

「……うん……。あっ、ハル……」

 ハルはアイラに返事をしながら、リーヴを抱いた状態で立ち上がった。そして、リーヴに部屋を移動することを告げると、リーヴが返事をしながらハルになにかを訴えようとしている素振りを示した。

「んっ? どうしたんだい、リーヴ? やっぱり、どこか具合が悪いのかい?」

「……うぅん……。そうじゃ、なくて……。もうちょっと、だけ、このまま、で……」

 ハルは、やはりリーヴの身体に異変があったのかと心配になったが、それに返答をするリーヴの表情に、不安を覗かせる要素は一つも認められなかった。

 むしろ、ハルと一緒にいることで、自分は大切に護られているという安心感さえ、リーヴは抱いていた。そして、そのことに感謝の意を示そうとするかのように、リーヴはハルにより身体を密着させてきた。

「そうか、そうだよね。あんなことがあった後だから、怖いのは仕方がないよね。じゃあ、このまま一緒に行こうか」

「……うん……。ハル、やっぱり、優しい、の……」

 ハルは、自分の記憶が途切れている状態で、なにが起こったのか分からないことに対してリーヴが不安を抱いていると直感していた。

 『願いを現実にする力』の真相はなおも深い闇の中にあることは事実であるが、それでもリーヴを必要以上に不安な思いをさせてはならない、という思いが変わることはないのだった。

「ありがとう、リーヴ。それじゃ、行こうか」

 ハルは、リーヴが自分に向けている感謝の言葉を、謙遜という建前により無闇に否定してはならないと思い、ここは素直に返事をしておこうと思った。

 これでリーヴが喜んでくれるのであれば、それがハルにとって一番望むところになるだろう。ハルはアイラに遅れてしまわないよう、若干走るような速度でその後を追いかけていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?