「アイラさん! そっちの様子はどうですか?」
リーヴの身体に起こった異変。ガルディンとアッシュに降りかかった事態。そこでハルはアイラの状況が気になり、それを確かめるべくアイラの元に向かった。
「あっ、ハルか。……んっ? どうしたんだい、リーヴは……?」
「それが、急に震え出してしまって……。その後、ガルディンさんたちの様子も、なんだかおかしくなって……」
リーヴを抱き締めながら近づいてきたハルに対し、アイラは何事か尋ねた。ハルは事情を簡潔に説明しながら、なおも震えているリーヴを決して離してはならない覚悟を宿していた。
「様子がおかしくなった?」
「はい。それで、アイラさんの方はどうなったんだろうって思いまして。なにか、情報は引き出せましたか?」
怪訝な表情を浮かべるアイラに対し、ハルはさらなる状況確認を求めてきた。今までエデンから情報を引き出そうとしていたアイラであれば、なんらかの手がかりが得られていてもおかしな話ではない。
「あぁ。それが、こっちの方も、少し面倒な事になってね……」
しかし、返事をするアイラの口調は、どうにも歯切れが悪い印象を拭えないものだった。もしかして、アイラの方でも、なにか問題が発生したのだろうか。
「面倒な事? どういうことなんですか?」
「面倒というか、アタシにもよく分からなくてね。エデンが、急になにも答えてくれなくなってしまったんだよ」
ハルが詳しい状況を問い質すと、アイラは明らかに困った表情を浮かべながら返事をした。エデンがなにも答えなくなってしまった。それは、先程までハルも聞いていた質問の意味不明、という回答とはまた異なる意味を帯びるものであるからだ。
「エデンがなにも答えなくなった?」
「まぁ、口であれこれ説明するより、実際に見てもらった方が分かりやすいだろうね。エデン、セルフチェックプログラムの結果を見せることができない理由を教えてください」
【……】
アイラは状況を的確に伝えるべく、エデンに先程していたのと同じ質問をしてみた。ハルも一度聞いていたその質問の内容。回答は【質問の意味が分かりません。再度質問してください】に決まっている、はずだった。
しかし、エデンからは一切の返答がもたらされてこなかった。アイラの質問の意味が理解できない、いや、そもそも質問の言葉が聞こえていないかのように、全くの無反応だった。
「こ、これは……?」
「なっ? これで分かっただろう? 急にこんな具合になってしまったものだから、アタシも正直訳が分からなくてね」
一切の無反応状態になってしまったエデン。ハルが疑問に首を傾げる一方、アイラは正直お手上げ状態、といった雰囲気を出していた。
もしかしたら、これもリーヴの力なのだろうか。『願いを現実にする力』が、今まさに発動しようとしている。その発端を、自分たちは見せられている、ということなのか。
しかし、だとしたらこの状況は明らかに矛盾している。エデンがなにも回答しなくなってしまったのも、ガルディンたちの様子がおかしくなったのも、自分たちの願いに対する正当な反応とは到底思えない。
「確かに、これは困りましたね。となると、ガルディンさんたちの方も気になるな……」
エデンから情報を引き出すことが絶望的な状況である今、頼みの綱はガルディンとアッシュによるプログラムアクセスの結果しかない。
ハルは、アイラを伴って再度ガルディンとアッシュの元に引き返した。リーヴを抱き締める両腕を気遣うことももちろん忘れることはない。
「リーダー、アッシュ。そっちの方はどうですか? なにか分かりましたか?」
「おぉ、アイラか。いや、実は、我々の方も、なかなかに大変なことになってな……」
アイラが状況確認を求めると、ガルディンは先程よりもさらに困惑の色を強く浮かべながら返事をした。どうやら、あれからさらに事態が動き出していたようである。
「これ、見てくださいよ、アイラさん。もう、僕にも全然意味が分からなくて。アイラさん、どういうことか分かります?」
その状況を補完するように、アッシュが高性能端末のディスプレイをアイラに向けて示した。アイラがその画面を覗き込むと、そこには大量の文字の羅列が、上から下にスクロールしていく様子が映し出されていた。
「先程から、ずっとこの調子なのだ。我々の操作も、一切受け付けなくなってしまって、正直手に負えん」
ガルディンが肩をすくめながらアイラに助言を求めるように言葉を続けた。無数の文字が流れてくる光景。それはすぐ後ろにいたハルの目にも、しっかりと捉えられていた。
そのハルに抱き締められているリーヴは、今もなお身体を震わせながら、ハルのそばから離れる気配を一切見せようとしなかった。
間違いなく、この大部屋でなにか大変なことが起ころうとしている。これまで目の当たりにしてきた一連の異変は、あるいはその前兆である可能性も指摘することができるだろう。
「これは……。なにかの暗号か、そうでなければ、プログラムのコンパイルコードをそのまま表示しているようにも見えますね……」
アイラは繰り返し流れてくる文字列の羅列に対し、慌てることなく冷静に内容を分析しようとしていた。
このあたりは、やはり元政府の科学者、という肩書を持つアイラならではの洞察力の成せる業なのだろう。とはいえ、それが事実だっとしても、今度はそれをどのように分析するか、という問題が残されている。
「うーん、どっちなんでしょうね……。このデータを持ち帰ることができれば、そこで詳しく分析することもできると思うんですけどね」
「いや、それは期待しない方がいいだろうね。データのコピーにも恐らくセキュリティが掛かっているだろうし、ここで調べるしかないはずだけど……」
アッシュがデータを持ち帰ることができないかと言ったが、それが実に淡い期待であることは彼もよく承知していた。
アイラがそれは期待できないと返答したことが、それを明確に裏付けていた。そもそも、これが本当に地球環境制御システムなのか、ということも、今となっては実に疑いの目を向けざるを得ない。
「うぅむ、なにか良い方法はないのか? ようやくここまで辿り着いたというのに、このままではどうにもならん」
ガルディンが焦燥感を抱くのも、至極当然の話だった。レジスタンスのリーダーとして、地上の秘密を解き明かす先導役を務めてきたガルディン。
その彼が、最大級の手がかりを目の前にして引き下がらなければならない状況に追い込まれてしまうのは、まさしく地上の現状以上に耐え難い現実そのものだった。
『……タスケテ……。ミンナヲ……、タスケテ……。オネガイ……』
「リーヴ……。大丈夫、大丈夫だよ……」
ハルの頭には、今でもリーヴの透き通った声が何度も響き渡ってきていた。ハル以外の誰にも聞き取ることができない、文字通りリーヴの強い意思が込められた不思議な声。
もしかしたら、リーヴは自分たちが気付いていない、なんらかの危険を察知しているのだろうか。それを回避しようとして、先程からみんなを助けて、と訴えかけているのかも知れない。
「……んっ? なんだ、このサイレン音は……?」
その時だった。大部屋中に、突然けたたましいサイレン音が響き渡ってきた。あまりに大きな音だったため、その場にいた全員が一斉にそのサイレン音に対して意識を向けざるを得ない状態だった。
「この音、嫌な感じですねぇ。明らかに、なにかの警告音にしか聞こえないんですけど」
ガルディンが周囲を見渡すのに応じるように、アッシュが険しい表情を浮かべながら同じく部屋全体を見渡した。一切の意識をそこに集中させることを意図した音の響きは、どう聞いても警告音の類であるとしか受け取れないものだった。
「急に一体、どうしたんだい? まさか、アタシたちのことを侵入者だと判断したんじゃないだろうね……?」
「可能性はあると思います。ですが、エデンがなにも回答をしなくなったのと、なにか関係があるんでしょうか……?」
アイラは自分たちが外部からの侵入者であるとシステムに判断されたのではないかと疑っていた。ハルもその可能性を考慮しながら、一方でエデンが無言を貫いていることとの関連性はあるのか、という疑問にも目を向けようとしていた。
荒々しく響き渡るサイレン音。しかし、何度も耳の奥にまで突き刺さるほどのサイレン音にも関わらず、リーヴは一切反応しようとしない。それどころか、全身を震わせたまま、ハルをずっと抱き締め続けている。
「リーヴには、このサイレン音が聞こえていないのか……? でも、いくら意識を別のところに集中させていたとしても、少しぐらいは反応してもいいはずだけど……」
自分たちとは明らかに異なる反応を示しているリーヴを見ながら、ハルは本当に彼女は大丈夫なのかと、目の前の現象とはまた別の不安を募らせていた。
その証拠に、ハルの頭の中では、今もリーヴの透き通った声が止むことなく反響している。一体、リーヴはなにに対して助けを求めているのだうか。ハルが様々に疑問をよぎらせていた、その時だった。
【ケイコク! ケイコク! ケイコク! ケイコク!】
途中から沈黙を貫いてきたエデンが、突然堰を切ったように電子音声を発してきた。しかも、それはアイラと会話をしていた時の比較的落ち着いた印象とは全く正反対の、明確に注意喚起を知らせるものであった。
「な、なんだい、急に! エデンが、また喋り出した?」
【イレギュラー、カクニン! イレギュラー、カクニン! キケンレベル、ソクテイフノウ! キケンレベル、ソクテイフノウ!】
アイラが驚く様子を見せるのも構わず、エデンはさらに彼らに対して警告を発してきた。直前に鳴り響いてきたサイレン音と混ざり合い、大部屋全体の空気が見る間に緊張感を帯びていくのが見て取れる。
「イレギュラーだと? 我々のことを言っているのか?」
「分かりません。でも、これは、明らかにマズイですよ! 僕たちを敵と判断したのかも知れませんし!」
ガルディンとアッシュも、すでにその表情は強い危機感を発していた。自分たちをイレギュラーだと言っているのか、と疑問を投げかけるガルディンに対し、アッシュは詳細は不明ながら、この状況は決して良い結果をもたらすものではないと察知していた。
「こ、これ、なんなんですか! アイラさん、なにがあったのか、エデンに聞いてみてください!」
「あぁ、分かった! エデン、この部屋に、なにか異変が起こったのか?」
ハルは、この部屋で発生している異変の原因を突き止めることを優先すべきだと判断した。そして、この部屋でなにが起こっているのか、エデンに質問するようアイラに進言した。
とはいえ、アイラも有益な回答がエデンから返ってくることは全く期待していなかった。恐らく、エデンにとってもこの状況は想定外であるに違いないからだ。
【システムエラー! システムエラー! タダチニサイキドウシテクダサイ! タダチニサイキドウシテクダサイ!】
案の定、エデンからはアイラの期待に沿った回答を得ることはできなかった。それどころか、さらに状況が悪化したことを告げるメッセージさえ聞こえてくる始末だった。
「再起動しろっていっても、そんなの、アタシたちが知るわけないだろうに。コイツ、本当にどうしちまったんだ……?」
アイラは、エデンが言いたいことは理解できるものの、実際に再起動する方法が分からないと言って、なかば匙を投げる状態だった。
エデンに一体なにが起きているのか。システムエラーとはどういうことなのか。そして、それより前に言ったイレギュラーとは、なにを指しているのだろうか。
「な、なんだ? こ、今度はなにが起こったんだ?」
そこへさらに彼らを驚愕させる事態が襲い掛かった。部屋全体が一瞬暗くなったかと思ったその直後、真っ赤な照明が部屋全体を繰り返し点滅させていったのである。
それは、けたたましいサイレン音と折り重なることで、まるで大昔の緊急車両に搭載されていたパトランプを彷彿とさせる印象を映し出していた。それが意味するものは、もはやただの一つしかあり得ない。
【キケンレベル、ジョウショウチュウ! キケンレベル、ジョウショウチュウ! システムエラー! システムエラー! タダチニサイキドウシテクダサイ! タダチニサイキドウシテクダサイ!】
「むうぅ、これはいよいよ危険だ! 全員、この部屋から脱出しろ!」
そのことに対する答えを示すかのように、エデンが繰り返し警告を発してくる。ただならない事態の予感をいち早く察知したガルディンは、全員に大部屋から退避するよう指示を出した。
「分かりました! ほら、ハル、行くよ!」
「あっ、はい、アイラさん! よし、リーヴ! しっかり俺に捕まっていて!」
アイラがハルと共に先行して大部屋からの脱出を試みた。ハルもリーヴを抱き締める力を一切緩めないように気を付けながら、アイラの後に従って部屋の入口へと走っていった。
「リーダー、僕たちも行きましょう! このままじゃ、僕たちも巻き込まれてしまうかも知れません!」
「よし! 行くぞ、アッシュ!」
アッシュはすでに高性能端末を片付け、脱出する用意を整えていた。ガルディンはレジスタンスのリーダーとして、他のメンバーを無事に脱出させる責任を負いながら、隊列の最後尾に位置していた。
「どうやら、この扉は問題なさそうだね。よし、すぐに出るよ!」
「はい! アッシュさん! ガルディンさん! 急いでください!」
アイラが扉のセキュリティロックを操作し、こちらには問題が発生していないことを確認した。ハルはアイラと共に部屋を出ながら、後続のアッシュとガルディンに向けて急ぐように促した。