ハルたちは、地球環境制御システムに発生しているエラーの原因を突き止めるべく、その本体があると言われている地下シェルターの最下層に向かっていた。
「それにしても、さっきからずっと階段ばかりですね。入口みたいにエスカレーターがあったら、少しは楽だったかも知れないんですが」
無機質な足音が響く中、ハルが小さな不満を口にした。電力系統が機能している今であれば、エスカレーターも稼働するようになるはずなのに。何故、ここに限って階段ばかりなのだろうか。
「そんなことを言うものじゃないよ、ハル。それに、アンタだって、そうやってリーヴを抱いていた方が、色々都合がいいんだろう?」
アイラがハルを励ます言葉を掛けた。長い階段を降りさせられ続けていることにストレスを覚えるのは無理もない。とはいえ、決して悪いことばかりでもないだろう。アイラはそう言いたげだった。
実際、アイラが指摘した通り、リーヴはハルの首の後ろに両腕を回し、彼にしっかりと抱き付いていた。その光景は、もはやアイラたちにとっては見慣れたものであった。
「……うん……。ハル、ワタシ、こうしている、の、好き……」
そこへ、リーヴから抱き付いた状態のままでいたいという言葉を向けられてしまっては、ハルにそれを断る理由などなかった。
この階段は、どこまで続いているのだろう。自分たちはどこまで地下深く向かっているのだろう。それを考えると、まだ幼いリーヴに余計な負担を掛けさせるわけにはいかない。それも、ハルの正直な思いだった。
「そうか、リーヴ。じゃあ、向こうに着くまで、このままでいていいよ」
「……うん……。ありがとう、ハル……」
ハルが自分に抱き付いているリーヴの背中を優しく数回叩くと、リーヴは嬉しそうな表情でこれに応じた。
この先にどのような事態が待ち受けているか分からない。それはリーヴも理解しているのだろう。だからこそ、リーヴは一秒でも長く、ハルのそばにいたいと思っているのかも知れなかった。
「それにしても、この階段、随分長いですね、リーダー」
「うむ、そうであるな。大昔の地下鉄、とかいうものよりもはるかに長いであろうな。ということは、我々はさらに地下深くに足を踏み入れている、ということになるであろう」
先頭を行くアッシュとガルディンは、果てしなく続くような印象を匂わせる下り階段を前に、どことなくぼやきを吐き出している感じを見て取ることができた。
電力系統が回復したおかげで、十分な照明は確保されている。そのため、暗闇の中でうっかり足を踏み外してケガをしてしまう、という心配をすることはなかった。
ただ、やはり終わりが見えないというのは、それだけで心理的に不安を抱かせる要因の一つとなり得る。この先に、本当に地球環境制御システムの本体はあるのだろうか。
「ところで、アイラさん。一つ、聞きたいことがあるんですけど」
「んっ? どうしたんだい、ハル。こんな時に」
ふと、ハルはアイラに聞きたいことがある、ということを思い立った。地上の秘密の核心に迫っているかも知れない。そんな状況だからこそ、ハルは聞いておく必要があると思っていた。
「アイラさんは、地上が元に戻ったら、どうするつもりなんでしょうか?」
ハルは、アイラにその疑問を投げかけてみた。それは、あの資料室を調べていた時にハルがリーヴに言われた疑問でもあった。
「うーん……、地上が元に戻ったら、ねぇ……」
アイラは、しばらく考え込む態度を見せていた。恐らく、地上を元に戻すためにはいくつもの課題をクリアしなければならないと、アイラは考えているのだろう。
それは、ハルもリーヴに返事をした通りであり、仮に猛吹雪が止んだとしても、すぐに人間たちが地上に帰れるというわけではない。
「まぁ、当分はみんな地下に住み続けることになるだろうね。焦って地上に戻ろうとして、また猛吹雪に襲われでもしたら、多分ひとたまりもないだろうからね」
アイラの答えは、ハルが考えていたこととさほど外れる要素はなかった。むしろ、元政府の科学者という肩書が、彼女をより論理的な思考に導いているような印象だった。
確実に地上に帰ることができる、その保証ができない限り、地下から出るべきではない。そのためには、猛吹雪が止んだ後も、引き続き地上の気候状況を観察する必要がある。
「そうですか。まぁ、そうですよね」
「そりゃ、そうだろうさ。でも、なんだって急にそんなことを聞くんだい?」
頷いて同意を示すハルに対し、アイラは質問の意図をハルに尋ねてきた。確かに、アイラにとってはハルが抱いた疑問は至極真っ当なものであると同時に、アイラ自身の身の振り方にも影響することであったからだ。
「あっ、実は……」
ハルは、そこで事情を説明した。あの資料室でリーヴに尋ねられ、すぐに地上に戻るのは難しいと返答したこと。それを聞いたリーヴが、一瞬不安な表情を見せたこと。
「……なるほど。結局は、リーヴのためってことか。ハル、アンタも随分保護者の顔になってきたねぇ」
「そ、そんなことはありませんよ。俺は、ただ、リーヴのことが……」
アイラに突然保護者と言われ、ハルは慌ててその言葉を否定しようとした。しかし、続けて口にしようとした言葉を、ハルはとっさに飲み込んだ。
自分は本当はリーヴの保護者などではない。自分はもっと別の思いを抱いて、リーヴと行動を共にしている。
しかし、今はその思いを外に出す時ではない。リーヴを護り、美しさを取り戻した地上を彼女に見せてあげること。それを果たすまで、この思いは自分の胸の内にしまっておかなければならない。
「……どうしたの、ハル……。具合、よくない、の……?」
そこへ、ハルの様子が変わったのを間近に目撃したリーヴが、心配そうな表情で彼の顔を覗き込んできた。
「んっ? あぁ、俺なら大丈夫だよ。ちょっと、考え事ををしていだけだから」
ハルは、リーヴを心配させまいと、そこで思考を切り替えた。リーヴの背中を再度優しく叩くと、彼女の小さな背中から柔らかなぬくもりが伝わってくる。
もしかしたら、リーヴはハルの思いにすでに気が付いているのかも知れない。それでも、今はお互いその思いを胸に秘め、果たすべき使命に向かって進んでいかなければならない。
「まぁ、いいさ。結局はアンタとリーヴの問題だからね。さて、リーダー。最下層まで、あとどのぐらいですか?」
「そうだな。今少し降りれば、そろそろ辿り着くと思うのだが」
アイラはそこでハルとの話を切り上げると、思考の矛先を先頭にいるガルディンに対して向けた。自分たちの目下の課題をクリアするためには、なにはなくとも地下の最下層に辿り着かなければならない。
「……あっ。リーダー、あれ、扉じゃないですかね?」
その時。アッシュが階段の先を指差しながらガルディンたちに声を掛けてきた。その声に気付いた一同が一斉に視線を移すと、そこには確かにアッシュが指摘した通り、一枚の扉が設置されているのが見えた。
「うむ。ようやく、最下層に辿り着いたようであるな」
「とかなんとか思わせておいて、この扉の先にまた階段がある、なんてオチじゃなければいいんですけど」
一行は長い、というにはあまりにも長すぎる階段を降り切った後、揃って目の前にある扉の前に立っていた。
この扉の向こうに、自分たちが目的としている地球環境制御システムの本体があるかも知れない。しかし、アッシュが冗談混じりで言ったことも、簡単に否定することはできない。
「この扉のセキュリティロック、電力系統が回復したおかげで、ちゃんと機能しているようです。ちょっと僕が調べてみますね。どれどれ……?」
アッシュが用意していた鞄から携帯端末を取り出し、扉の脇にあるセキュリティロックと接続した。果たしてアクセスできるのか、という疑問はあったが、今はアッシュに任せるより他にはない。
「……うん、これなら、僕でもなんとかなりそうだ。ちょっと待っていてください。今、ちょいっとロック解除しますんで」
そう言うと、アッシュは携帯端末とセキュリティロックの両方を操作し始めた。恐らく、解除コードを探し出し、それを入力しようとしているのだろう。
しばらくすると、セキュリティロックからよく響く電子音が聞こえてきた。それは、紛れもなくセキュリティロックの解除コードが正常に入力されたことを示すものだった。
「どうやら、上手くいったようだな、アッシュ」
「そうみたいですね。……おっ、扉が開きますよ」
ガルディンとアッシュが短いやり取りを交わした直後、目の前の扉が小さな駆動音と伴いながらゆっくりと開かれていくのが見えた。
果たして、この先に自分たちが望んでいるものはあるのだろうか。すぐそばで様子を見つめていたアイラとハル、そしてリーヴもまた、それぞれに緊張感を漂わせていた。