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第45話

「……ねぇ、ハル……。あれ、ワタシ、ちょっと、怖い、の……」

 コントロールパネルの上に設置された巨大なディスプレイに映し出されていく、膨大な量のプログラムコード。一体いつ終わるのか、と一行がその様子に視線を集中させていた時、ハルの胸元に抱かれていたリーヴが、若干震えるような声でハルに告げた。

「んっ? どうしたの、リーヴ? 怖いって、なにかあったのかい?」

「……うぅん……、違うの……。ワタシ、また、いけないこと、しちゃったの、かな……?」

 ハルが何事かとリーヴに尋ねると、リーヴはハルを抱き締めたまま、自分が抱いている不安を口にした。自分が余計なことを言ってしまったばっかりに、またハルたちに大変な思いをさせてしまうことになるかも知れない。それがリーヴにとってはなにより辛いことだった。

「それは、まだ分からないよ。もしかしたら、俺たちが知りたかった地上の秘密が、また一つ明らかになるかも知れないからね」

 ハルは、とっさにリーヴを慰める言葉を掛けた。たとえ実際に大変なことが起こったとしても、それは決してリーヴの責任ではない。

 もし責任の所在を明らかにする必要があるのだとすれば、それはリーヴ自身ではなく、リーヴの世話を引き受け続けている自分にこそあるべきだ。そのようにさえ、ハルは考えていた。

「……地上の、秘密……?」

「うん、そうだよ。元々、俺たちはそのためにこうして色々調べているわけだし、今回また新しい情報が入手できたら、それは紛れもなくリーヴの手柄になるだろうからね」

 今だ流れ続けている大量のプログラムコード。一体いつ終わるのかとやきもきするような心持ちを抱かないわけではなかったが、それよりもハルにとってはリーヴの心を少しでも落ち着かせることの方が重要だった。

 そして、この先に自分たちが知りたいと願っている地上の秘密につながる情報が隠されているのであれば、それを発見した最大の功労者がリーヴであることは、ここまでの経緯を振り返るまでもない。

「……ううん……。ワタシ、なにも、していない、の……。そういうこと、言われる、の……、ワタシ、苦手、なの……」

 リーヴは自分の手柄などではないと言って、ハルの言葉をやんわりとお返しする態度を示した。そこまで謙遜する必要などないのに、とハルは思ったが、リーヴにとってはそれが偽らざる本心なのだろう。

「苦手に思うことなんてないよ。褒められたら、ちゃんとありがとうって返す。いつものリーヴだったら、普通にできていることだと思うけどな」

「……ありがとう、ハル……。やっぱり、ハル、優しい、の……」

 ハルの言葉に応えるリーヴの態度には、今までとどこか違うものを感じる。今でもリーヴの心は、微妙に変化し続けているのだろうか。ハルはなんとなくではあるが、そのように思い始めていた。

 あの時、自分が抱えていた思いを涙と共に吐き出した。恐らくはそれがきっかけになっているのであろうが、リーヴは精神的に確実な変化を遂げ続けている。

 しかし、その先にどのようなことが待ち受けていようとも、ハルはそれを全て受け止める覚悟だった。それが、リーヴを幸せにすると誓った彼なりの意思表示の仕方であるに他ならないのだから。

「あっ、どうやら終わったみたいですね」

「うむ。今ので、恐らくプログラムコードの入力が終わったのであろうな。さて、この後なにが出てくるか……?」

 さらに少し経過すると、それまで大量に流れていたプログラムコードが終了するのが見て取れた。これを入力完了と判断したガルディンは、これでプログラムが起動するのだろうと、その瞬間を見守っていた。

「……おっ、なにか表示されたみたいですね……。なになに……? んっ? な、なんなんですか、これ……?」

 その時。巨大なディスプレイに先程とは違った文字列が表示された。アッシュがその内容を読み取ろうとした時、そこに書かれていた内容に、彼は思わず眉をひそめた。

「これは……、『地球環境制御システム』……? 一体、どういうものなんでしょうか、リーダー?」

「うむ。額面通りに受け取るならば、まさに読んで字の如くであろうな。だが、もしこれが本当だとすれば、何故今の地上があのようなことになってしまっているのだ……?」

 そこに表示された内容は、誰がどう読んでも地球環境を適切な状態にコントロールするためのシステムであるとしか受け取ることができないものだった。

 しかし、それならば、何故今の地上があのような極寒の大地になってしまっているのか。その疑問はガルディンだけでなく、他のメンバーたちにとっても全く同様だった。

「ちょっと調べてみる必要がありそうですね。これで、このコントロールパネルも使えるようになりましたし」

 アイラがコントロールパネルの前に立ち、目に入っキーボードを叩いて操作し始めた。詳しい仕組みがまだよく分かっていないとはいえ、動かしてみないことには話の進展を望むことはできない。

「えぇと……? どうやら今はメインメニュー画面のようだね……。これがコマンド入力画面で、こっちは現在のステータスを表示する画面か……」

 実際にキーボードを叩いていくうちに、アイラは少しずつではあるがコントロールパネルの操作方法を身に付けていった様子だった。

 やはり、ここは元政府の科学者というキャリアとそれに裏打ちされたコンピュータースキルが、非常に頼りになる側面を見せていた。

「ははぁん。なるほど、確かに地上はどこもかしこも雪と氷に覆われてしまっているようだね。……さて、お次はこのシステムの状態が見られればいいんだけど……」

 ディスプレイに表示された内容から、アイラは改めて地上の全土が極寒の大地になってしまっていることを確認した。もっとも、これはすでに共通した認識であったため、システムの動作を確認するという程度の意味あいしか持っていなかった。

「……どうやら、この画面がシステムのステータスを表示する画面のようだね……。んっ? なんだい、ここだけ表示が赤いね……」

 そして、問題となるシステムのステータス画面に辿り着いたアイラは、その表示内容に目を凝らし始めた。すると、一箇所だけステータスが赤く表示されている箇所があることが判明した。

「アイラさん、なにか分かったんですか?」

「あぁ、ハルかい。ちょっと、ここを見てほしいんだけど。ホラ、ここだけステータスが赤く表示されているだろう?」

 アイラがなにを発見したのか気になったハルは、自分もリーヴと一緒にコントロールパネルの前に近づき、様子を確かめようとした。

 そして、アイラが指差した部分を見てみると、確かにステータスが赤く表示されているようだった。一般的な問題として、赤は危険、あるいは警告を示す色として使われることが多い。

 大昔に交通整理のために使われたと言われている信号機も、青が進んでよい、黄色が注意、そして赤は止まれ、という意味で使われていたというのを、なにかの文献で見たことがある。

「あっ、本当だ。確かに、ここだけ赤く表示されていますね。ということは、この部分でエラーが発生しているということなんでしょうか?」

「そういうことだろうね。それで、問題はこの部分がなにを指しているか、ということなんだけど……」

 ハルとアイラが一緒にエラーが発生しているステータスの部分を改めて見てみた。すると、そこには『地球環境正常化プログラムエラー』と表示されていた。

「……これって、どういうことなんでしょうか、アイラさん……?」

「うーん、なんだろうね……? なにかのプログラムエラーだってことは分かるけど、この『地球環境正常化プログラム』っていうのは、一体どういうことなんだい……?」

 ハルがアイラに確認を求めたが、アイラからの返事は今一つ要領を得ない内容であることを印象付けるものでしかなかった。

 かつてあの集落跡で入手した、環境浄化ナノマシンに関する情報。この地球が一度大規模な環境危機に見舞われ、それを解決するために開発されたのが、あの環境浄化ナノマシンである、ということはすでに理解の及ぶところとなっている。

 この地球環境制御システムは、もしかしたらそのナノマシンとは別の形で地球環境を改善するために開発されたものなのだろうか。あのナノマシンで浄化した地球環境を適切な状態に保つ。そのためにこのシステムが開発されたとしても、それほど驚くにはあたらない。

「リーヴ、聞いていて分かるかい? ひょっとして、ちょっと退屈しちゃった?」

「……ううん……。これ、大事な、話、なんだ、よね……? ワタシも、それぐらい、分かる、の……」

 ここまで少々難しい話題が続いたことにより、そばにいるリーヴの理解が追い付いていないかも知れないと思ったハルだったが、リーヴからの返事は、彼の予想に反して比較的しっかりとした口調だった。

 詳細は理解できないとしても、これが重要な情報への手がかりになるということは、リーヴもすでに把握しているようだった。となれば、ここから先もリーヴを同行させることに関して、ハルに不安材料はなかった。

「アイラ、なにか分かったかね?」

「あっ、リーダー、アッシュ。そうですね、これを見てください」

 そこに、ガルディンとアッシュが状況確認を求めるように近づいてきた。アイラが状況を理解してもらうために、二人に赤く光っているステータス画面を見せた。

「……なるほど……。地球環境制御システム、ねぇ……。いかにもそれっぽいネーミングですけど、プログラムエラーって、どこがエラーなんでしょうかね……?」

「うむ、さすがにそれを今すぐ調べるのは困難であろう。だが、そのプログラムのエラーが原因で地上があのような状態になってしまった可能性は、十分に考えられる」

 アッシュとガルディンは、そのエラー表示に対して、それぞれの見解を述べていた。とはいえ、エラーの原因がすぐには分からない以上、下手な憶測は事態を好転させる材料にはなり得ない。

「ちょっと、アタシが調べてみますよ。もしかしたら、ここでそのプログラムエラーを直すことができるかも知れませんし」

 そう言いながら、アイラはコントロールパネルの操作を再開した。果たしてアイラに大昔のプログラミング言語を読むことができるのか、という疑問はあったが、それでも今はアイラを頼る以外に方法はなかった。

 アイラはコントロールパネルを操作し、どうにかしてエラーの原因を特定することができないか考えていた。

 とはいえ、適当な方法でエラーの原因を特定することができるとも思えない。ハルはこの段階で、そのシステム本体を探す必要があると思い始めていた。

「それにしても、ハル。今回は実にキミの手柄ばかりであるな。やはり、キミを連れてきたのは正解だったようであるな」

「そんなことはありませんよ。あの端末を見つけたのも、リーヴがその本が気になって、俺に教えてくれたというだけの話ですから」

 ガルディンがハルの働きぶりに感謝の念を向けると、ハルはそんなことはないと言いながら、ガルディンが向けてきた称賛の言葉をそっと返す動作をしてみせた。

 ガルディンたちが真相を知る由などなかったにせよ、実際にリーヴが発見したようなものであるし、その言葉は自分ではなくリーヴに対して向けてほしい。ハルはそう思っていた。

「……違うよ、ハル……。ワタシの、おかげ、じゃないの……。みんな、ハルの、おかげ、なの……」

 しかし、リーヴがそのようなハルの言葉を明確に否定した。それは、ハルに手柄を譲るなどというものではなく、ハルが功績を挙げることで自分も嬉しくなるという、リーヴなりの感情共有であるに他ならなかった。

「そうかい? でも、リーヴがそう思ってくれているんだったら、俺もその通りに受け取らなくちゃいけないな。ありがとう、リーヴ」

「……エヘヘ……。ハルの、手、優しくて、あったかい、の……」

 ハルが若干照れながらリーヴに感謝の意思を示した。そしてハルがその思いをしっかりと伝えようとしてリーヴの頭を撫でると、リーヴは笑顔を向けながら、その表情もやはりまんざらでもない印象だった。

 自分はそれほど優しい男などではない。しかし、リーヴが自分の優しさに期待しているのであれば、その期待に応え続けることで、きっと自分たちはより良好な関係を構築することができる。ハルはそう確信していた。

「なぁ、ハル君。リーヴちゃんと仲が良いのはいいんだけど、もうちょっと控えめにしてくれるか、僕たちの見ていないところでやってほしいんだけどなぁ」

 その時。アッシュがハルとリーヴをたしなめる言葉を二人に向けてきた。ただ、それはアッシュがハルたちの関係に嫉妬しているというより、このような世界で互いに相手を信じ合う関係を成立させることができている二人がうらやましいと思うからこそだった。

「あっ、すみません、アッシュさん。俺、リーヴに褒められて、つい、調子に乗っちゃって……」

「そんなに謝る必要ないでしょう。むしろ今のリーヴちゃんのままの方が、僕たちとしても役割分担がはっきりするんでね」

 ハルは自分が浮かれていたことを指摘されたと思い、とっさの判断で謝った。しかし、アッシュは今のハルとリーヴの関係に口出しをするつもりなど毛頭なかった。

 どのような思惑が背後に潜んでいるにせよ、リーヴがハルに対してよく懐いていることは明確な事実であり、その関係が最大限利用しない理由など、アッシュの側には全く存在していなかった。

「……うーん、このままじゃ、どうにもデバッグができないねぇ。こうなったら、そのシステムの本体を直接調べてみるしかないかね」

 そこへ、アイラが困ったような口調でハルたちに問題点を告げた。それは実に端的な説明であったが、それだけでも状況がまだ好転していないことを示唆するには十分だった。

「直接調べる、か……。だが、そのシステムの本体は一体どこにあるか分かるかね?」

「えぇと、どうやらこの地下シェルターの最下層にあるようですね。そこに行けば、多分エラーの原因も分かると思いますし」

 ガルディンとアイラのやり取りから、地球環境制御システムの本体がこの地下シェルターの一番下の層にあるということが明らかになった。

 ということは、ここからはひたすら地下に向かい、目的のシステムの本体を探し出す、ということが始まるのだろう。なかなか遠回りをさせられている、という思いはあったものの、一歩一歩確実に真相に近づこうとしている、という実感はあった。

「地下の最下層か……。よし、すぐにその最下層に行くとしよう。そこに重要な情報が隠されている可能性は高い。各自、心して臨むように」

 ガルディンはそう言いながら、自身も最下層に向かうべく準備を始めた。とはいっても、防寒着を一旦脱いでストレッチ運動を行う程度のもので、ハルもまたリーヴを抱き上げた状態で問題なくこなすことができた。

 アイラとアッシュも、すでに地下の最下層に向かう準備をしていた。ここまで事態が進捗した以上、もはやその先を見たくないと言い出す者など、一人も現れなかった。

「では、全員準備はできたようであるな。では、行くぞ」

 そして、準備を終えたハルたちを見ながら、ガルディンは地球環境制御システムの本体があると言われている、この地下シェルターの最下層を目指して部屋を後にした。

 リーヴを抱き上げながら、ガルディンたちに続くように部屋を後にするハル。これから先は、決して心に安らぎをもたらしてくれる事態にはならない。その先に、思いもよらない結末が待ち構えていることも、十分覚悟しなければならなかった。

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