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第44話

「あっ、ハル、戻ってきたんだね。……って、またリーヴを抱っこしているのかい?」

 コントロールパネルの調査を続けていたアイラの元に、リーヴを抱いたハルが戻ってきた。その手にはリーヴと共に、先程発見した分厚い冊子が抱えられていた。

「あっ、アイラさん。そっちの様子はどうですか?」

「あぁ、こっちはどうにも上手くいかなくてねぇ。やっぱり、昔の機械となると、さすがのアタシにもなかなかすぐに分かることはなくてさ……」

 ハルがコントロールパネルの調査状況を尋ねると、アイラは幾分か暗い表情を覗かせながら返事をした。どうやら、アイラたちの調査は難航しているらしい。

 元政府の科学者であり、コンピューターに関することならハル以上の知識を持っているはずのアイラでさえも手を焼いてしまうということは、このコントロールパネルは相当に高度な仕組みをもって造られているのかも知れない。

「ところで、ハル。リーヴはどうしたんだい? もしかして、向こうの部屋でなにかあったのかい?」

「あっ、いえ。ただ眠っているだけですよ。途中で疲れちゃったって言ってきたから、こうやって俺が休ませてあげているんです」

 ふとリーヴの様子が気になったアイラは、ハルに彼女の様子を尋ねてみた。ハルはそれに返事をしながら、今もハルに抱き上げられているリーヴの背中を小さく何度か叩いて示した。

 実際ハルの言う通り、ハルが抱き上げているうちに、リーヴはいつの間にか眠ってしまっていた。彼の胸元に抱き寄せられているという安心感と、実際に溜まっていた疲労感が重なり、リーヴの身体に瞬間的な眠気をもたらしていったのだろう。

「そうかい。まぁ、何事もなければ、アタシは別に文句は言わないさ。ところで、ハル。向こうで、なにか見つけたのかい?」

 リーヴの様子がひとまず落ち着いているのを聞いて安心したアイラは、本来の目的を果たすため、ハルに資料室の調査状況の報告を求めた。

「あっ、はい。そのことで、ちょっとアイラさんたちに見てほしいものがあるんですけど、いいでしょうか?」

 そう言いながら、ハルは近くの机に例の分厚い冊子を置いた。頑丈な構造体を持つハードカバーの表紙は、それだけでこの冊子がただの本ではなさそうだという印象をアイラに与えるには十分だった。

「んっ? なんだい、こりゃあ……? 随分と分厚い本だねぇ」

「えぇ、確かにかなり分厚い本なんですが、どうも、これ、ただの本じゃないみたいなんですよ」

 アイラは一目見てその冊子の異様とも思える分厚さに目を見張っていたが、ハルはこの冊子がただの冊子ではないと応えて、アイラに調査の引継ぎを促した。

「ただの本じゃない? うーん、分かったよ、ハル。アッシュ、リーダー。ちょっとこっち来てくれない?」

 アイラは少し考えた後、アッシュとガルディンにも意見を求めた方がよいと判断した。そして、今もコントロールパネルの調査を続けている二人に向けて、自分たちのところに来るよう声を掛けた。

「どうしたんですか、アイラさん? ……あれっ? ハル君、またリーヴちゃんをそんなに甘やかしているんですか?」

 一足先にやってきたアッシュが、リーヴを抱き上げているハルを見るなり、若干呆れたような声を上げた。

「まぁ、いいじゃないか、アッシュ。それが、ハルの役目なのであるし、我々も基本的にリーヴのことはハルに一任してあるからな。余計な口出しはしないことだ」

 そこへ、少し遅れてやってきたガルディンが、アッシュをたしなめる言葉を向けた。自分たちではリーヴの世話を十分にしてあげることはできない。

 リーヴがハルに対してのみ心を開いている状態であることに変わりはない以上、ハルとリーヴの関係に自分たちが不用意に割り込むべきではない。それで、彼らの関係に悪影響が発生してしまうようなことになっては元も子もないからだ。

「別に、僕はいいんですけどね。ハル君がそれで納得しているんだったら、僕もあまり変なことは言いませんけど。……それで、アイラさん、僕たちになにか話があるんですか?」

 アッシュはハルとリーヴの関係に今なお不可解な部分があることを感じながら、これ以上この件について余計な詮索をするのは得策ではない、とも判断していた。

 自分たちには地上の秘密を解き明かすという大事な使命がある。ハルがリーヴの面倒を一手に引き受けているからこそ、自分たちは自分たちの務めに集中することができる、ともいえるのだ。

「あぁ、そうだったね。これ、ハルたちがさっき隣の資料室で見つけてきた本らしいんだけど、どうも、ただの本じゃないみたいなんだよね」

 アッシュとガルディンが合流してきたのを受けて、アイラがその分厚い冊子を示しながら二人に状況を説明した。

「うむ。確かに随分分厚い本のようだが、一体、これになにが書かれているのだろうか……。よし、ここは私が見てみよう」

 ガルディンが一行を代表する形でその冊子の表紙を広げてみせた。未知の存在というのは、それだけで危険性を容易に予測することができないという側面を持っている。そうしたリスクの矢面に立つことも、リーダーとして果たすべき大切な務めである。

「……んっ? なんだ、これは……?」

「これって、なにかの携帯端末、ですかね……? でも、僕たちが使っているものとは、だいぶ形が違うみたいですけど……」

 表紙を広げたガルディンは、そこに映り込んだ光景に、思わず目を丸くした。その分厚い冊子に隠されていたのが、まさか携帯端末のようなものだったとは、全く思ってもみなかったからだ。

 それは、アッシュも概ね同じ思いを抱いていたらしく、冷静な表情の影で若干驚いている様子を覗かせていた。

「なんだい、これ? 中のページをくり抜いてまで、こんな端末を隠していたなんて。カモフラージュにしては、ちょっと大胆なやり方にも思えるねぇ」

 アイラも、やはりその分厚い冊子にそのような仕掛けが施されていたとは思わなかったのだろう、突如として目の前に現れた端末に対して、視線を凝らさずにはいられなかった。

「アイラ、ハルはこれを隣の資料室で発見したのだな? そして、その資料室には、あのメモリーチップも隠されていた……」

 ガルディンがアイラに情報の確認を求めながら、これまでの経緯を振り返る形である推論を立てようとしていた。

 別々の本棚に隠されていたであろうとはいえ、先程のメモリーチップとこの端末は、共に同じ資料室で発見されている。

 しかも、この端末はこの本の中身をくり抜くような格好で隠されていた。となると、もしかしたらこの端末を使えば、先程のメモリーチップの中身にアクセスすることができるかも知れない。

「やっぱり、リーダーもそう考えますよね? そう思って、はい、メモリーチップ、持ってきましたよ」

 アッシュがまさに予見していた通りのタイミングで、ガルディンに例のメモリーチップを手渡した。目の前に手がかりがあるのかも知れないという状況を、みすみす見逃すわけにはいかない。

「おっ、すまんな、アッシュ。よし、早速やってみよう。とはいえ、まずはこの端末の電源が入るかどうか確認しなければならぬか……」

 アッシュからメモリーチップを受け取ったガルディンだったが、すぐに別の問題があることに思い当たった。この端末が故障していないかどうか、電源を入れることができれば確かめることができるだろう。

 とはいえ、この時代で広く使われている携帯端末とはかなり異なった外観をしていることもあり、電源スイッチの場所を特定することもやはり難しいものだった。

「ですけど、これ、バッテリーの状態はどうなっているんでしょうか? この地下シェルターが放棄されてかなり経っているんだとしたら、この端末も、これ自体は壊れていなくても、バッテリーがダメになっている可能性もありますし」

 その時、アイラが誰もが見逃しているであろうことを指摘した。さすがに元政府の科学者というだけのことはある。その端末の特性を素早く見抜き、今でも稼働させることができるのか、という疑問を投げかけていた。

 これが本当に過去の時代に開発された携帯端末であるとしたら、この地下シェルターに保管されていた理由も気になるところだった。しかし、今はこの端末に答えを見つけ出すカギが隠されていると信じるしかない。

「うむ、それもその通りであるな。となると、この端末はなにか別の方法で稼働させる必要がある、ということか……」

 ガルディンがアイラの言う通りだと思いながら、首を傾げてその端末の使用方法を思案していた。この端末単独で調べることができないとしても、なんらかの方法で電力を供給することができれば、まだなんとかなるかも知れない。

「……あの、すみません。一つ、俺からもいいでしょうか……?」

 その時だった。リーヴを抱き上げながら彼女を寝かし付けていたハルが、そのままの状態で静かに手を挙げた。今までのやり取りを振り返った時、ハルにはどうしても気になることがあった。

「んっ? どうしたんだい、ハル? なにか、思い付いたことでもあるのかい?」

「いえ、そこまでのものではないんですが、この端末、もしかしたら単独で使うものではないのかも知れません」

 アイラが問いかけると、ハルは今しがた思い付いたことを説明し始めた。ハルにとっては全くの完全な思い付きであり、これで事態を打開することができるという確信があるわけではなかった。

「単独で使うものではない? では、どのように使うべきだと、ハルは考えているのかね?」

「そうですね。例えば、あそこにあるコントロールパネルのどこかに挿し込んで、そこから電力を供給してもらうことで使用できるようになる、ということは考えられませんでしょうか?」

 続けてガルディンが問いかけると、ハルはガルディンに向けて説明を続けた。コンピューターのことに関してあまり通じていないハルにとっては、この程度の意見を述べるのが精一杯だった。

「……ねぇ、ハル……。どうした、の……?」

 その時だった。それまでハルの胸元に抱かれながら眠っていたリーヴが、小さな声を上げながら目を覚ました。自分のすぐ近くで話し合いが繰り広げられている。その声が直接リーヴの耳に届いたか、あるいは彼らの思いがリーヴにも伝わったのかも知れない。

「あっ、リーヴ。ゴメン、起こしちゃったかな?」

「……うぅん……。ワタシ、なら、平気、だよ……。それでね、さっき、ハルが、言っていた……、こと、だけど……」

 ハルはせっかくリーヴが気持ちよさそうに眠っていたところを起こしてしまったことに対し、申し訳ない思いが募っていった。とっさにリーヴに謝るハルだったが、それよりもリーヴには他に言いたいことがあるようだった。

「んっ? どうしたんだい、リーヴ? 俺が、さっき言っていたことって……」

「……うん……。ワタシ、思い出した、の……。あそこの、下……。なにか、穴の、ような、もの、あった……」

 ハルがどうしたのかと問いかけると、リーヴはコントロールパネルのある一部分を指差しながら答えた。そこは、前にリーヴが示した、この地下シェルターを電力系統を再稼働させるためのスイッチがある場所だった。

「穴のようなもの? それって、もしかして……」

「試してみる価値はありそうですね。アイラさん、その端末、僕に貸してもらえませんか?」

 ハルがそのような穴などあっただろうかと、その時の記憶を脳裏に蘇らせようとした、その時。事実関係を確かめるのが先だと言わんばかりに、アッシュが先んじて動き出した。

 アッシュはアイラからその端末を受け取ると、一目散にリーヴが示した箇所に向かっていった。このあたりの判断力の速さと行動に転じることができる臨機応変な対応力は、今のハルには持ち得ないものだった。

「……あっ、どうやら、この穴のようですね。おあつらえ向きに、端子のようなものもありますよ」

 コントロールパネルの下を調べていたアッシュが、思っていた通りのものを発見したのだろう、若干声が上ずりながら状況を伝えている様子を聞き取ることができた。

「本当かね? それで、その端子とその端末は適合しそうかね?」

「そこまでは、実際にやってみないと分かりません。まぁ、もちろん、これからそれを試すんですけどね」

 ガルディンが声を掛けると、アッシュは返事をしながら持ってきた端末を再度確認した。すると、確かにその端末にも挿し込むための端子部分があることが判明した。

 樹脂製のキャップで覆われていたため、最初は気が付かなかったが、それを取り外してみると、まさし狙いすました通りに金メッキが施された端子部分が露出した。

「なるほど、そこに端子が隠れていたってわけかい。じゃあ、この端子とコイツの端子を接続すれば……」

「どうなるかは分かりませんけど、やってみないと始まりませんからね。それじゃ、いきますよ、っと……」

 アイラが若干息を呑むように言葉を紡いでいる。やはり、科学者としての気質を持つアイラであるからこそ、この場面が非常に重要なものである、ということを直感的に見抜いているのだろう。

 アッシュが慎重にコントロールパネルの端子部分と端末の端子部分を接続した。端子同士が挿し込まれる小さな音が聞こえてきたが、端末そのものに変化は認められなかった。

「ふむ、こっちは特に変化なし、か。ハル、そっちの様子はどうかね?」

「あっ、はい。こっちも、特になにも起きていませんね。このディスプレイにも、なにも表示されていません」

 ガルディンがハルにディスプレイの様子を尋ねたが、ハルの目には特別変化が起きているようにも見えなかった。ガルディンが改めて確認するが、依然としてディスプレイにはなにも表示されていなかった。

「どういうことなんですかねぇ? 端子はバッチリ合っていたのに、なにも変化が起きないなんて」

「もしかしたら、この端末だけじゃダメなのかも知れないねぇ。なにか、他に端末を稼働させるためのカギになるようなものが必要ってことなんだろうね」

 挿入した端末にも変化が起きていない。アッシュが思わず首を傾げる一方、アイラはさらに別のカギになるようなものが必要になるのではないか、と指摘した。

 大昔に流行したなんとかという家庭用ビデオゲーム機のように、本体とそれを映し出すディスプレイ装置だけでは機能しない。実際にゲームプログラムが収められた媒体をその本体に挿入しないと、ビデオゲーム機としての役目を果たさないのと同じ原理が、この端末にも採用されているのだろうか。

「ということは、もしかしたら、ここでこのメモリーチップを使えば動き出す、ってことなんでしょうかねぇ……?」

「まぁ、やるだけやってみようか。それでダメだったら、この地下シェルターはハズレだったってことで片付ければいいだけの話だろうし」

 その仮説が正しいとすれば、やはりそのカギになるのは例のメモリーチップ以外には考えられない。アイラが見守る中、アッシュは再度そのメモリーチップを端末に挿入した。

 すると、端末に取り付けられていたディスプレイが、それまでとは全く異なる反応を示した。メモリーチップにアクセスしようとしていることを示すダイアログがしばらく表示され、それが消えた直後、今度は無数の文字列が下から上に流れ出してきた。

「……んっ? なんでしょう、これは……?」

「アッシュ! アイラ! 二人ともこっちに来てくれ!」

 今まで見たこともない表示に視線を凝らそうとしたアッシュに対し、ガルディンが異変を発見したような口調で二人に声を掛けた。

 その声色にただならない気配を感じ取った二人は、一旦端末から離れてガルディンの元に駆け寄っていった。

「どうしたんですか、リーダー? ……あっ! こ、これはっ!」

「我々がこのディスプレイの様子を見ていたら、急に表示が変わったのだ。アイラ、そっちでもなにか変化はあったのか?」

 アイラが巨大なディスプレイの様子を目撃した瞬間、一際驚きに満ちた声を張り上げた。それもそのはず、そのディスプレイには、先程アイラとアッシュが目の当たりにした、端末のディスプレイに表示されていたものと全く同じ、大量の文字列が滝の逆流のように流れ出している光景が映し出されていた。

「あぁ、リーダー。実は……」

 その説明を、アイラに代わってアッシュがする格好になった。先程の端末をコントロールパネルに接続した後、例のメモリーチップをその端末に挿入した。そして、この大量の文字列は、自分たちも端末のディスプレイを通じて確認している。

「……なるほど、そういうことであったか。だが、この文字列は一体なんなのだ……? まるで、なにかのプログラムコードのようにも見えるが……? アイラ、なにか分かるか?」

「いえ、私にもよく分かりません。少なくとも、私たちが知っているプログラミング言語のいずれにも当てはまらないようです」

 ガルディンがアイラにその文字列の意味するところが分かるかどうか尋ねてみた。しかし、アイラからの返事は、どうにも的を射ない、歯切れの悪いものだった。

 元政府の科学者として、コンピューターのことには誰よりも詳しいはずのアイラですら知らないということは、このプログラムの意味するところを理解できる者は、今この場には誰もいないということになる。

「ですけど、このプログラムコードに、なにか意味があることはほぼ間違いなさそうですねぇ。アイラさんの言う通りだとしたら、僕たちの端末で読み取れないのも、まぁ納得できますわ」

 アッシュがなおも流れていく大量のプログラムコードを眺めながら、今の自分たちにはどうしようもない、ということを肌で思い知らされていた。

 大昔に使われていたプログラミング言語である、というアイラの指摘に間違いがないのだとしたら、その言語のフォーマットがこの時代の端末に適合しない、という話とも矛盾しない。

「それにしても、これは一体どのようなプログラムコードなのだ……? このコントロールパネルを使えば、正体が分かるのだろうか……?」

 次々と流れていくプログラムコードを見つめながら、一行はこの後起こるかも知れない事態を前に、覚えず緊張感が高まっていくのだった。

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