「さて、またここに来ることになるなんてね。とりあえず、さっきはあそこの本棚まで調べたから、今度はさらに向こうの本棚を調べてみるか」
ハルたちが資料室に入ると、中の照明が一斉に点灯した。人感センサーが作動しているということは、この地下シェルターの電力系統はまだ機能している、ということになる。
それにしても、改めて見てみると、この資料室は実に広い。単なる資料保管という目的としてはあまりに広大すぎる規模を持っているあたり、やはりここは軍事施設か、それに近い目的を帯びていたところだったのだろうか。
「うーん、これも違う、これもちょっと違うな……。メモリーチップの使い方と言われても、あのメモリーチップに関する情報が足りないと、そもそも使い方どころの話じゃないだろうし……」
リーヴの手を引きながら、ハルは本棚を適当に物色し、目に付いた冊子のページを次々とめくっていく。
このあたりは元プラントの検査員というキャリアも相まって、実に手慣れた動作を見せていた。もしかしたら、アイラもそうしたハルのスキルをすでに見抜いており、その上で資料室の再調査を指示した、ということも考えられる。
「……リーヴ、退屈じゃないかい? もし、なにかあったら、すぐに言ってくれていいんだよ?」
「……大丈夫、だよ……。ワタシ、ハルと、一緒なら……、どこでも、平気、だから……」
その一方で、リーヴの世話をきちんと見てあげることも、ハルにとっては大事な務めの一つだった。ハルはリーヴが退屈な思いをしていないか気になっていたが、それに応えるリーヴの口調は、特別それと感じさせない穏やかなものだった。
最近のリーヴは女の子としての部分が少しずつ表面に出てき始めている。アイラにハルを渡してなるものか、というライバル意識を示したり、カワイイと言われて恥ずかしがるところなどは、まさに思春期盛りの女の子の態度そのものであるといえた。
「うん、よかった。もう少し時間が掛かりそうだから、ちょっとだけ待っていてね」
ハルがそのように告げると、リーヴは無言で小さく首を縦に振った。てっきりまたおんぶしてほしいと言うと思っていたが、どうやらリーヴもリーヴなりにこの後判明する事実の内容によっては、事態の緊迫度が急激に上昇することを理解しているのだろう。
「……しかし、どこにも見つからないな……。そうなると、あのメモリーチップが、そもそも故障していた可能性も疑わないといけなくなるような……?」
さらに調査を続行するハルだったが、思う通りの資料がなかなか見つからない。ハルは、あのメモリーチップが故障などの理由で使い物にならなくなっているのではないか、と考え始めていた。
確かに故障していたということであれば、その故障の内容をあの携帯端末がファイルシステムの未サポートと誤認識したとしても全くおかしな話ではない。
「仕方がない。一旦アイラさんたちのところに戻るか……、んっ……?」
ハルが一度アイラたちのところに戻り、状況を報告しようかと思っていた、その時。ハルは自分のズボンが引っ張られる感覚を覚えた。
その感覚に気付いたハルが斜め下に視線を向けると、やはりというべきか、リーヴがハルのズボンを引っ張りながら、なにかを訴えかけるような表情を向けている様子が見えた。
「どうしたの、リーヴ? なにか見つけたのかい?」
「……うん……。あのね、ハル……、あれ、なに、かな……?」
ハルがリーヴに何事か尋ねると、リーヴはそれに返事をしながら、本棚の下の部分の一角を指差した。なるほど、ハルの身長ではその低い部分に気が回ることはなかった。リーヴの背丈だからこそ気付いた要素であるといえた。
「んっ? あれって、どれのこと……? んっ? なんだ、あれは……?」
ハルがリーヴと一緒にその本棚の一角に視線を移した。その箇所には照明が思うように届いていないらしく、若干薄暗くなっていたが、確かに他の冊子とは明らかに異なるほどに分厚い背表紙の冊子があることを確認することができた。
「随分と分厚い本みたいだけど……。問題は、あれになにが書かれているか、なんだよな……」
ハルは、その分厚い冊子を本棚から取り出しながら、その分厚さに相応しい重量感を両手で受け止めていた。しかし、ハルにとって大事なのはその分厚さよりも、この冊子に書かれている内容を吟味することだった。
この時点で、ハルは当初、そのあまりに分厚い背表紙を見たリーヴが、その物珍しさに興味を惹かれたものと考えていた。
確かに、リーヴの年頃の女の子であれば、そうした珍しさに対して関心を抱くのはそれほど不自然なことではなかった。あるいは、少しでもハルの力になりたいという、リーヴの思いもそこにはあったのかも知れない。
「とりあえず、他に目ぼしいものはなさそうだし、これを調べてみるか」
ハルはその分厚い冊子を近くの机の上に置き、今まで通り表紙を広げようとした。
最近ハルが不思議に思っている、リーヴが持っているかも知れない「願いを現実に変える力」。まだ可能性の域を出ないとはいえ、あの巨獣に襲われそうになった時にハルの脳裏に聞こえたリーヴの叫びが、彼にはただの幻聴であるとはどうしても思えなかった。
もしかしたら、ここでもそんなリーヴの願いが、ハルを重要な情報に向けて引き合わせようとしているのかも知れない。もしそうだとすれば、アイラがハルたちに資料室の再調査を指示したのも、その願いの反映によるものだということになるのだろうか。
「……んっ? あれっ? これ、どういうことだ……?」
ハルがその分厚い冊子の表紙を広げると、目の前に飛び込んできた光景に、思わず我が目を疑った。そこにあったのは、単なる紙のページではなく、紙のページをくり抜かれて収められた、一台の携帯端末だった。
「これは、携帯端末か……? だけど、俺たちが使っているものとは、随分形が違うようだけど……」
外見こそハルたちが普段使っているものと大きく違っていたが、それは紛れもなく携帯端末だった。何故、このようなところに携帯端末が収められているのか。ハルの脳裏に疑問がよぎっていった。
「……どうしたの、ハル……? ワタシ、また、ダメなこと、しちゃった、の……?」
ハルの様子がにわかに変わっていくのを目撃したリーヴは、自分が間違ったことをしてしまったのではないかと思い、途端に表情を曇らせていった。
「ううん、そんなことはないよ、リーヴ」
それを目撃したハルは、この携帯端末のことも気になっていたが、それよりもリーヴを落ち着かせることの方を優先すべきと思い、リーヴを抱き上げて自分の胸元に抱き寄せた。
ハルはリーヴの頭を優しく撫でながら、同時に背中を軽く叩いてみせた。キミはなにもダメなことはしていない。自分は一切悪い思いを抱いていない。そのことをリーヴに対して丁寧に伝えようとするかのように。
「……本当に……? 本当に、大丈夫、なの……?」
「もちろんだよ、リーヴ。キミだって、俺たちのことを助けたいって思って、これを見つけてきたんだろう? それを俺が悪く思うわけないじゃないか」
それでも不安を払拭することができなかったリーヴだったが、ハルはそんなリーヴの思いを全身で受け止めながら、彼女の心を優しく撫でるように言葉を掛けた。
思えば、リーヴには何度も助けられてきた。この地下シェルターの電力系統を再起動させることができたのもリーヴのおかげであるし、この携帯端末を見つけることができたのも、紛れもなくリーヴのおかげである。
それは、「願いを現実に変える力」というより、リーヴが無自覚の内に発揮している、彼女の観察眼によるものであるのかも知れなかった。ただ、それだけでは説明ができない部分が存在することもまた事実であり、今のところは便宜上それを「願いを現実に変える力」と呼んでいるだけの話に過ぎない。
「……ハル……。やっぱり、あったかい、の……。ねぇ、もうちょっと、だけ、このまま、で……」
「あぁ、いいよ。キミが落ち着いたら、また向こうに戻ろうか」
地上の秘密を解き明かすという大事な使命を背負っている一方で、リーヴという確かな命を護る務めも、自分は最後まで果たさなければならない。この後どのような事実が判明することになったとしても、ハルはリーヴを護り抜く覚悟だった。