集落跡を出た一行は、相変わらず寒風吹吹きすさぶ中をかき分けるようにしながらバイクを走らせていた。
アッシュが引き連れていた護衛部隊のおかげで辛くも窮地を脱した一行だったが、その中でただ一人、ガルディンの胸中はなんともいえないほどに複雑だった。
「……フゥ、死ぬ覚悟を決めていたつもりだったのだがな。その私が、まだこうして生きているとは……」
一行を先導するようにバイクで極寒の大地を疾走するガルディン。防寒マスクとゴーグルで顔を覆っているため、その表情を窺い知ることはできなかったが、実際には彼は終始小さな苦笑いを浮かべていた。
「また、私は死ぬべきではない、ということなのか。神の存在など、信じているわけではないが、もし神が存在するのならば、あるいはそう言われたのかも知れんな……」
このような過酷な環境下においては、時に人は目に見えない存在に対して、なんらかの救済を求める、ということが起こり得る。
そこで人は例えば神であるとか、あるいは悪魔のような存在を仕立て上げ、そうした人知の及ばない現象に対して名を付けようとする。
ガルディン自身は、そうした神の存在を信じているわけではないが、もしかしたら、雪と氷に覆われたこの地上にも、まだどこかに希望は残されている。それを見届けない限り、自分は死んではならない。そうした不可解な力が本当に存在しているのかも知れない。
そうして、アジトに戻ってきた一行は、バイクを所定の倉庫にしまい、アジトの中へと入っていった。幸い侵入された形跡はなく、アジトは彼らが出発する時と全く変わらない姿を保っていた。
「フゥ、やっと戻ってきましたね、リーダー」
「うむ。今回もなかなか大変な調査だったが、それなりに貴重なデータを入手することができた」
「あの、環境浄化ナノマシンに関する研究データの続きですよね? 僕がそのデータをここに記録していますから、後で、みんなで見てみますか?」
防寒着を脱ぎ、普段通りの姿に戻りながら、一行はこの後の行動について軽い話し合いを行っていた。
あの集落跡で発見した、環境浄化ナノマシンに関する研究データ。先程はその環境浄化ナノマシンが胎児の奇形化、具体的には異常なほどの巨大化を引き起こした、というところまでは読んだ。
その後、なんらかの薬を使い、巨大化した胎児を元の大きさに戻した、とあの研究データには記されている。となると、問題は巨大化した胎児がその後どうなったのか、というところになるだろう。
「うむ、そうだな、アッシュ。もしかしたら、今の地上がこのような状態になっていることと、なにか関連性があるかも知れん」
ガルディンはアッシュの提案に同意する意思を示した。地上の秘密を知ることができ得る情報がそれしかない以上、今はその可能性に賭けるしかない。
「……んっ? どうしたの、リーヴ?」
一方、そんな彼らの様子を黙って見つめていたハルだったが、ふとリーヴの様子がいつもと違うことに気付き、とっさに声を掛けた。
リーヴもすでに防寒着を脱ぎ、いつも通りのワンピース姿に戻っている。リーヴの可愛らしさを実に丁寧に演出しているこのドレス姿も、今ではすっかり馴染みのものとなっている。
「……ハル、ワタシ、疲れちゃった……」
ハルの問いかけに対し、リーヴはか細い声で返事をした。確かに、あのような危急的状況に直面してしまえば、誰でも緊張で精神が疲労することは避けられないだろう。
まして、リーヴはまだ年端も至らない女の子だ。そんな彼女にとって、今回のような危機に遭遇すること自体が、精神に多大なストレスを与えるものであることは言うまでもない。
「そうか、疲れちゃったか。よし、今日はもう休もうか」
「……うん。ありがとう、ハル……」
ハルはリーヴの頭を優しく撫でながら、彼女をねぎらう言葉を掛けた。今回も、ある意味リーヴがいなければ、事態の進展を望むことはできなかったかも知れない。
色々とリーヴにとっては大変なことが続いてきたが、このあたりでそろそろ彼女を休ませてあげてもよいのではないか、とハルは考えていた。
「すみません、皆さん。リーヴが疲れているみたいなので、俺、リーヴを連れて休んできてもいいですか?」
「あぁ、構わんよ、ハル。こちらのことは、我々の方でやっておく。キミはリーヴの面倒を、しっかりと見てやってくれ」
一応許可を取っておく必要があるだろうと思ったハルは、リーヴを休ませるために部屋に戻ってもよいか尋ねた。ガルディンが真っ先に返答し、その意見にアイラもアッシュも反対する様子は認められなかった。
「ありがとうございます。それじゃ、行こうか、リーヴ」
「……うん、行こう、ハル……」
ハルはガルディンたちにお礼を言うと、リーヴを背中で抱き上げながら彼女の部屋へと向かっていった。リーヴ自身が疲れていると訴えているのであるから、ここで彼女を歩かせるようなことは、ハルには到底できなかった。
「大丈夫かい、リーヴ? もしどこか痛いところとかあったら、すぐに言ってくれていいんだよ」
「……ううん、ワタシ、大丈夫……。ハルの、背中、あったかい……」
リーヴを背中で抱き上げるハル。傍目から見れば、本当の親子か、あるいはそうでなくても年の離れた兄妹のように見えるかも知れない。
しかし、実際にはハルとリーヴにはなんの血縁関係も存在しない。それどころか、二人が出会ってから、まだそれほどの日数が経過している、というわけでもない。
それでも、リーヴはハルにだけ心を許し、こうして寄り添ってくれている。たとえ、それが仮初めのものに過ぎないとしても、ハルにとって大きな心の支えになっていることは確かな事実なのだ。
やがて、リーヴの部屋に到着した二人は、いつも通りの光景が残っていることにホッと胸を撫で下ろした。そして、ハルはベッドの上にリーヴを下ろし、静かに座らせた。
「よいしょっと。これで、やっと落ち着けるね。さて、リーヴ。これからなにをしようか?」
「……うん、ハル。あの、この間の、アレ。また、一緒に、観よう……?」
ハルがリーヴになにかしてほしいことがあるか尋ねると、リーヴは少し考え込む態度を見せた後、なにかを思い付いたように返事をした。
その返事を聞いたハルは、すぐにリーヴが言わんとしていることを察知した。以前の調査で入手した、大昔の地上の風景が多数記録されたメモリーチップ。あれをもう一度再生してほしいと、彼女は言っているに違いない。
「うん、いいよ。ちょっと待っていてね」
ハルは懐から携帯端末と該当するメモリーチップを取り出し、そのメモリーチップを携帯端末にセットした。正常にアクセスしたことを確認すると、ハルは携帯端末を操作し、目的のファイルを表示させた。
「これでよし、と。じゃあ、リーヴ。一緒に観ようか」
「……うん。一緒に、観る……」
ハルはリーヴのすぐ隣に座り、彼女にもよく見えるように携帯端末を差し出した。リーヴもハルに身体を預けるようにしながら、さらに携帯端末の画面がよく見える態勢を取った。
次々と映し出される、大昔の地上の風景。点を貫くように林立する、無数の高層ビル群。行き交う人々の喧騒が聞こえてきそうな、色鮮やかな繁華街。そして、緑豊かな自然に覆われた高原地帯など。
この極寒の大地からは到底信じられないことであるが、かつて人々は確かに地上で暮らしていたのだ、その証拠となる映像が、こうして自分たちの手元に存在している。
「……んっ? リーヴ、なんだか元気がないみたいだけど、もしかして、もう眠くなっちゃった?」
ハルは、隣にいるリーヴの表情に、いつものような元気が感じられないのを察知した。もしかしたら、リーヴはこちらが思っている以上に疲れているのかも知れない。
「……ううん、大丈夫……。ねぇ、ハル……」
リーヴは小さく首を左右に振りながら、自分はまだ大丈夫だとハルに告げた。そしてその後、リーヴはハルに対し、なにやら伝えたいことがある、という態度を示した。
「んっ? なんだい、リーヴ?」
「……ワタシ、ハルに、言わなくちゃ、いけないこと、あるの……。ワタシの、お話、聞いて、くれる……?」
ハルが何事かと尋ねると、リーヴは今まで見せたことがないほどの神妙な面持ちでハルの目を見つめた。
こんな表情のリーヴを見るのは初めてだ。きっと、それぐらい彼女にとっては重要なことを自分に伝えようとしているに違いない。ハルの心に、自然と緊張が湧き立っていった。
「うん、分かったよ。それじゃ、話してくれるかな?」
ハルは一旦携帯端末をしまい、改めてリーヴの話を聞く態勢を整えた。部屋の空気は、相変わらず穏やかに流れており、これからリーヴが話そうとしている内容など、文字通りどこ吹く風、という印象だった。
「……うん。あのね、ハル……。あの人が、助かったの……、きっと、ワタシの、せいなの……」
リーヴが静かな口調でハルに話し始めた。その時点で、ハルはリーヴが言っている「あの人」が誰のことを指しているのか、すぐには理解することができなかった。
しかし、先程の状況を振り返った時、恐らくリーヴが言いたいのはガルディンのことなのだろうと、ハルは程なくして気が付いた。
「んっ? リーヴ、あの人って、もしかして、ガルディンさんのことかい?」
「……うん。ワタシ、あの人が、どこか遠い、ところに、行っちゃうって、思って……。それで、ダメ、行かないで……。死んじゃダメ、死んじゃダメって、ずっと願っていた、の……」
ハルの予想は、どうやら的中したようだった。若干たどたどしさが残る口調で、リーヴは自分があの時思っていたことをハルに一つ一つ告げていった。
「なるほど。それで、その後、どうしたの……?」
「……そうしたら、ワタシ、なんだか、身体が、フワフワ、してきて……。本当に、すぐ消えちゃった、けど……。身体が、ちょっとだけ、フワフワして、きて……」
リーヴが言った「身体がフワフワする」というのは、恐らく身体が一瞬だけ無重力状態になったような錯覚を抱いた、ということなのだろう。
しかし、そこでリーヴがそうした一瞬の無重力状態を感じるというのは、一体どういうことなのだろう。ハルはその意図するところを、今一つ図りかねていた。
「……それで、ね、ハル。……ワタシ、きっと、あの人、助けちゃった、の……。あの人、どこにも、ケガ、なかった、から……」
そう話すリーヴの言葉には、ガルディンが助かったことに対する安堵の念よりも、ガルディンを自分が助けてしまったと思っている、その部分への不安の念の方が強く浮き出ていた。
ハルは、リーヴがなにを言おうとしているのか、どうにも理解することができなかった。あのコンテナがあれほど激しく揺さぶられるほどの衝撃を生み出す爆発。
コンテナの中にいてもなお凄まじいと感じるほどの衝撃なのだから、恐らくその直撃を受けたであろうガルディンが、少なくとも無傷で済むはずがない。
しかし、実際にはガルディンの身体には傷の一つも認められなかった。部屋全体を黒く煤けさせ、あらゆるものを吹き飛ばすほどの衝撃に見舞われたのにも関わらず、である。
「それは、ただの偶然じゃないかな、リーヴ。きっと、ガルディンさんも、ただで死ぬわけにはいかないって思って、自分が助かるような方法を用意していたんだよ」
ハルはそう応えてみたものの、実際にどれほどの確信をもってその言葉を発することができたかと問われれば、全く確信がない、というのが正直な思いだった。
あの時のガルディンには確かな覚悟があった。自分の命と引き換えにしてでも、ハルたちを生かして逃がしてみせるという、絶対的な覚悟が。
だからこそ、ハルはあの時聞いた爆発音が、ガルディンが仕掛けたものなのではないか、という予感を抱いていた。それは、アイラの言葉によって、紛れもない確信となっていた。
「……ううん、そうじゃ、ないの……。ワタシのせい……。ワタシの、せい、なの……」
リーヴは首を小さく左右に振り、力なく首を前に垂れ落とした。リーヴは、また自分が余計なことをしてしまった、と思っているのだろう。今までの経緯を振り返れば、彼女がそう思うのも無理もない話だった。
「違うよ、リーヴ。キミのせいなんかじゃない。あれは、一種の偶然が重なった、奇跡みたいなもので……」
ハルはとっさに言葉を連ね、リーヴの心を少しでも慰めてあげようとした。しかし、自分でも実に荒唐無稽なことを言っているなと、ハルは内心自分を嘲笑してしまった。
こんなことを言って、今のリーヴが納得してくれるとは到底思えない。もっと根本的な、彼女を心から安心させることができる要素がなければ、彼女はこのままダメになってしまうかも知れない。
どうすれば、リーヴの心を慰めてあげることができるのだろうか。ハルは今だ答えが見えない問いの中で、ひたすら光を求めてさまよい続けていた。