ハルたちが閉じ込められている携帯式コンテナがある部屋の外の様子は、いつの間にか壮絶にして凄惨な光景と化していた。
部屋の中に置かれていたはずのあらゆる什器類などは、そのほとんどが形を失うか、あるいは形を保っていたとしても激しく吹き飛ばされ、周囲の壁に叩き付けられていた。
壁に叩き付けられていたのは什器類だけではなかった。その部屋にいた政府の監視員たち全員が、一人の例外もなく周囲の壁に背中から叩き付けられ、その直後に全身を襲った激痛により、身体の自由が奪われている状態だった。
「クッ、な、なんという爆発だ……! おい! な、なんてことをするんだ! まだ発砲許可は出していないぞ!」
「も、申し訳ございません……。あ、あいつの全身に巻かれた爆弾を見ていたら、あまりに怖くて、指が震えてしまって……」
大量に充満する白煙の中から、何者かの声が聞こえてきた。よく視線を凝らしてみると、その正体はガルディンを追い詰めていた政府の監視員たちの隊長だった。
隊長は、すぐ隣にいた監視員に向けて怒鳴り付けるような声を放った。その声色は、明らかに自分の想定していたこと以外の行為を部下がしたことに対する、明確な怒りの念が込められたものだった。
「ま、まさか、奴の全身に巻かれていた爆弾が本物だったとは……。これで、この部屋に隠されていた情報は、全て消し飛んでしまったか……」
隊長は、今なお大量に立ち込めている白煙を払いのけようと両手を振るいながら、相手の仕掛けた策略が単なる虚勢ではなかった、ということを今さらながらに思い知らされていた。
あの男は、本気で自らの命と引き換えに、政府の差し金である我々を始末しようとしたのだ。情報を明け渡すつもりなど、最初からなかった。念のために耐衝撃スーツを用意していたおかげで、辛うじて一命は取り留めたが、不用意な行動の代償はあまりに大きいと言わざるを得ない。
「……煙がなかなか晴れませんね……。やはり、この地下室の中では、換気システムも思うように機能していないのでしょうか……?」
「そのようだな。だが、気にするな。そのうち煙も消えてくれる。そうしたら、奴の死体を確認して、政府に報告するとしよう。もっとも、あの規模の爆発では、肉片の一つも残っていないだろうがな」
そのような会話を展開しながら、政府の監視員たちはなかなか消えない白煙が消えてくれるのを待っていた。
やがて、換気システムが機能し始めると、大量に充満していた白煙が少しずつ消えていくのが見て取れた。
すでに放棄されてかなりの年月が経過している施設ではあったものの、換気システムに異常はなかったようで、徐々に白煙が消えていくと共に部屋の輪郭が再度鮮明になっていく様子が見て取れた。
「よし、段々煙が消えてきたな。さて、奴はどうなっているか……? な、なにっ……?」
そして、ほぼ全ての白煙が消え、部屋の輪郭が元通りの姿を取り戻した。その直後、政府の監視員たちは文字通り信じられない光景を目撃することになった。
「……わ、私は、一体、どうなったのだ……? な、何故、私はまだ生きているのだ……?」
そこにいたのは、紛れもないガルディンその人だった。しかも、直前まで全身に巻かれていたはずの大量の爆弾は、完全にその姿を消していた。
ガルディンは、自分がこの場にいるという事実が、にわかには信じられないという表情を浮かべていた。本来こうなるべきはずだった事態とは全く異なった現実が、今自分の目の前に存在している。
これは一体どういうことだ。何故、自分はまだ生きているのだ。もはやこの命など惜しくはないという覚悟を秘めて、この場に臨んだはずだというのに。
「き、貴様! な、何故生きている! お、おのれ、この化け物め!」
「待て! 撃つな! まだ発砲許可は出していないぞ!」
監視員の一人が、慌てふためいた様子で銃をガルディンに向けて構えた。それに気付いた隊長が、とっさに撃つなと言い、これを制しようとした。
「で、ですが隊長! こんな化け物を放って置いたら、我々の活動にも深刻な悪影響が出る可能性もあります!」
「落ち着けと言っている! 奴の爆弾が本物だった以上、奴がなんらかのトリックを仕掛けている可能性もある。下手に撃てば、奴の思う壺だぞ」
監視員の一人は、ガルディンを恐るべき化け物であると認識し、即刻排除しなければ大変なことになると言って、銃を再度構えようとした。
しかし、隊長はなおも落ち着けと答え、無闇に発砲することを許可しなかった。少なくともあの爆弾が偽物ではなかったことが判明した以上、相手を迂闊に刺激するような真似は、決して自分たちにとって良い結果を招来するものにはならない。
「……こ、こいつら、一体なにを言っているのだ……? 私は、別にトリックを仕掛けたつもりなどなにもないのだが……?」
しかし、そうした具合に監視員たちが焦っている様子を見ながら、ガルディンは今だ自分に降りかかっている事態がどういうものなのか、十分に把握することができない状態だった。
自分は今も生きている。それは間違いない事実だ。だが問題は、何故自分がまだ生きているのか、その原因が全く判然としないということだった。
爆弾と火薬に関する知識には誰にも負けないと普段から自負している彼にとって、致死量の火薬を調合して爆弾を製造することなど、全く造作もないことだった。
完璧な計算に基づいて数種類の火薬を調合し、一切の証拠を残すことなく自分の身体を消し飛ばしてしまうようにした。そのはずが、何故五体満足な状態で生きているのか。
「……んっ、なんだ……? 背後から、何者かが近づいてくる……?」
その時だった。部屋のすぐ後ろから、複数の足音が高速で接近してくるのを、監視員たちはもちろん、ガルディンの耳にも届けられてきた。
その足音は、全てが爆風によって吹き飛ばされたこの部屋の出入り口の向こうから聞こえてくるようだった。このような状況で、また何者かがこの施設に侵入してきたのだろうか。
「隊長、援軍でしょうか?」
「いや、援軍要請など出していないぞ。だとしたら、これは一体なんだ……?」
どうやら、政府の監視員たちは、この足音になにも覚えがないらしい。ということは、政府の援軍である可能性は今のところ低いということになるだろう。
「政府の援軍ではない……? では、一体誰がここに来ようとしているというのだ……?」
しかし、そのことがガルディンにとっては不可解だった。政府の援軍ではないとしたら、それとは違う新たな組織が、自分たちの邪魔をしようとしているのか。それとも、自分たちとは別のレジスタンスが、自分たちと同じ目的を帯びてこの施設の調査にやってきたのだろうか。
「ここだ! リーダー、大丈夫ですか!」
その時。黒く煤焦げた出入り口のドアが、外部から激しく蹴破られた。そして、そこから躍り出てきたのは、アッシュが引き連れていたレジスタンスの護衛部隊だった。
「な、なんだ、貴様らは……、ウワァッ!」
「おとなしくしろ! そうすれば、命までは奪いはしない!」
突然の護衛部隊の出現に、完全に不意を突かれた形となった政府の監視員たちは、抵抗する間もなくあっさりと護衛部隊に押さえられた。その一方で、護衛部隊の一人が呆然と立ち尽くすガルディンの身柄を確保した。
「お、お前たちは。ど、どうして、ここに……?」
「アッシュさんから緊急通信が入ったので、急いでここを探していたんです。そうしたら、途中で物凄い爆発音が聞こえてきたもので、これは急がなければと思ったんです」
護衛部隊の一人の話を聞いたガルディンは、そういえばアッシュがそのように手を回してくれていたな、ということを思い出していた。
あの時はただ戦力を集めることばかりに意識が向いており、実際に状況を打開することができるとは思っていなかったが、結果的に政府の監視員たちをたやすく押さえることができたというのは、ある意味怪我の功名、という言葉が適切なものかも知れなかった。
「クッ、は、離せ、貴様らぁ……」
「残念だったな。我々は全員、元政府の特殊部隊だ。お前たちのような監視員如きに、我々が後れを取るとでも思ったか」
監視員たちの隊長が苦悶の表情を浮かべながら護衛部隊が押さえつけているのを振りほどこうとした。しかし、護衛部隊はさらに強い力で体調を押さえつけ、より確実に動きを封じ込めていった。
元政府の特殊部隊ということであれば、戦闘術という面においては誰よりも優れたものを持っている。ガルディンは、アッシュを政府の内偵に向かわせたのは正解だったと、改めて実感せずにはいられなかった。
「そういえば、リーダー。アッシュさんたちはどこにいるんですか? なにか重要な情報を発見したので、ここに全員集まっているという話だったんですが」
「あっ、あぁ、そうだったな。彼らは向こうの部屋で、携帯式のコンテナに避難させている。防爆性に優れたコンテナだから、この爆発でも恐らく大丈夫だろう」
護衛部隊の一人がアッシュたちの行方を尋ねた。ガルディンはそこで携帯式コンテナのことを思い出し、そのことを説明しながら隣の部屋に向かっていった。
隣の部屋、といっても、パーティションのような薄い壁で仕切られていただけであったため、先程の爆発に耐えられるだけの強度は持っていなかった。仕切りは完全に吹き飛ばされ、二つに区切られた部屋は一つの大きな部屋としての姿を示している。
「これだ。あいにく中からは開けられないようになっているのでな。……うん、これでよし、と」
ガルディンは、部屋の隅に転がっている携帯式のコンテナに目を留めた。思っていた通り、爆発の衝撃でコンテナ全体が黒く煤けてしまっている。
しかし、外観そのものに著しい損傷は認められなかった。そのあたりは、さすがに防爆性に優れたコンテナ、ということなのだろう。ガルディンはおもむろにコンテナのドアを開けた。
「あっ、コンテナが開いた。……り、リーダー! ぶ、無事だったんですね!」
開いたコンテナの中には、アッシュにアイラ、そしてリーヴを抱き締めているハルが確かにいた。あの爆発の衝撃で、コンテナも相当転がされたのだろう、中にいた彼らも、まるで安い知恵の輪のように不自然な態勢になってしまっている。
「おぉ、アイラ。無事だったか。いや、すまない。どういうわけか分からないが、私はまだこうして生きているようだ」
「本当に、心配させないでくださいよ、リーダー。このコンテナの中であの爆発音を聞いた時、正直背筋がゾッとしたんですから」
最初にガルディンに声を掛けたのはアイラだった。アイラはとにかくガルディンが無事だったことを喜んだ。それは、ガルディンはもうダメかも知れないと、心のどこかで思っていたことの裏返しでもあった。
返事をするガルディンに対し、アッシュが若干文句を織り交ぜたような口調で言葉を続けた。もっとも、アッシュの本心はそこにはなく、アイラと同様ガルディンが生きていることを喜んでいることは、いつもより緩んだ表情からも読み取ることができた。
「悪かったよ、アッシュ。……んっ? どうした、ハル? どこか身体の具合が悪いのか? まさか、リーヴの調子が悪いとか……?」
「えっ? ……あっ、いえ、そういうわけじゃないんですけど、ただ、リーヴを護らなくちゃって思って、そのことばかりずっと考えていて。すみません、なんか、独りよがりなこと言ってしまって……」
途中、ハルの様子がおかしいことに気が付いたガルディンは、もしかしたらコンテナの中でケガでもしてしまったのかと思い、とっさに声を掛けた。
幸い、ハルもリーヴも無事であると確認できたが、ハルにとってはこのような非常事態に際してもガルディンよりリーヴのことを優先してしまった自分のことがあまりにも情けなく、そして薄情な人間だと思わずにはいられなかった。
「いや、キミはそれでいいのだ。私のことはアイラとアッシュが気にかけてくれればそれでよい。キミには、リーヴを護るという大事な使命があるのだろう? だからこそ、私もキミに後のことを託したつもりだったのだがね」
しかし、当のガルディンは不快な感情を一切表に出すことなく、終始冷静な態度を崩さず応対していた。この薄情者め、と殴ってくれた方が、むしろハルにとってはスッキリしたかも知れないというのに。このガルディンという人物は、心のどこかで他人に対して冷酷になり切れないところがあるのかも知れない。
「あっ、すみません。ありがとうございます。さぁ、リーヴ、出るよ」
「……うん。ハル、ありがとう……」
リーヴを抱き締めたまま、ゆっくりとした動作でコンテナから出るハル。危機を乗り切ることはできたが、ハルの心にはどうにも晴れない霧が立ち込めていた。
自分は、本当にこれでよいのだろか。リーヴに美しさを取り戻した地上の姿を見せる。確かにそれはこの地上の秘密を解き明かす上での大きなモチベーションにつながるものだろう。
しかし、彼らレジスタンスの本来の目的と、それが上手い具合に合致するとは限らない。今はたまたま利害が一致していることもあり行動を共にすることができているが、いずれ彼らとの関係もなんらかの形で清算しなければならない。
「よし、それじゃ、一旦アジトに戻るとするか。どの道、このままでは調査を続行することは不可能であろうからな」
「分かりました、リーダー。あの人たちはどうしますか?」
「それは、護衛部隊の連中が上手い具合に処理してくれるだろう。さて、追手が来ないうちに、我々は立ち去るとしよう」
そして、一行は護衛部隊を残し、集落跡から引き返すことにした。たとえ全員無事だったとしても、その間の衝撃が文字通り凄まじいものだったことを考えれば、この後すぐ調査を再開するというのは、あまり現実的とはいえない。
一行の最後尾で、リーヴを抱き上げながら、ハルは今なお渦巻く靄が付いたような思いを振り払うことができない状態だった。