「あっ、リーダー、アッシュ。待っていたよ」
ガルディンとアッシュがその施設の部屋に入ると、すでにアイラが目的となるコンピューターの端末の前で二人が来るのを待ってくれていた。
アイラの傍らには、ハルとリーヴの姿も確認することができる。相変わらずリーヴはハルのそばを片時も離れようとせず、二人が合流した時もハルの足をしっかりと掴んで離そうとしていなかった。
「待たせたな、アイラ。それで、連絡にあったコンピューターというのが、これかね?」
「はい、そうです。とはいっても、実際はアタシが見つけたんじゃなくて、ハルとリーヴが見つけてくれたんですけどね」
ガルディンが確認を求めるように問いかけると、アイラはその通りだと言って返事をした。一方、その後に続けて発せられた言葉から、実際にはハルとリーヴの手柄であることが示された。
「へぇ、そこの二人が、ねぇ。どうやって分かったんです?」
「あっ、えぇと、前に住んでいた地下シェルターで、似たような形のコンピューターを見たことがあったんです。その時は、随分古いタイプのコンピューターだな、って思う程度だったんですが、それに近いものをこの部屋で見つけて、アイラさんに確認してもらったところ、ほぼ間違いないだろう、ということでした」
アッシュが事の経緯を尋ねると、ハルができる限りかいつまんだ形で説明した。ハル自身も、まさかあの地下シェルターでの生活の記憶がこのような形で役に立つとは思ってもみなかったが、人生何事も色々と経験しておくものだな、と少しだけ感慨深い思いになるのだった。
「なるほど、それは大したものだな。では、早速使えるかどうか確認してみよう。アッシュ、例のメモリーチップを」
ハルの話を聞いたガルディンは、得心したように数回頷きながら、続けてアッシュに問題のメモリーチップを出すように指示を出した。アッシュが懐からそのメモリーチップを取り出すと、アイラがそれを受け取り、早速コンピューター端末にある端子の一つにそれをセットした。
「……えぇと、どれどれ……? よし、中のファイルにアクセスできました。どうやら、入っているファイルは一つだけのようですね」
「そうか。これで、ファイルの中身をチェックすることができそうだな。アイラ、そのファイルを開くことはできるか?」
アイラが手際よく端末を操作すると、目の前にあるディスプレイにファイルが一つだけ表示されているのが確認できた。
果たして、このファイルにどんな情報が記録されているのだろうか。ガルディンははやる気持ちを抑えながら、アイラにそのファイルの中身を開くように指示を出した。
「はい。それじゃ、開いてみますね。……うん、特にパスワードなどでロックはかかっていないようです。……中身は、と……、んっ? こ、これは……?」
アイラが再度端末を操作すると、ファイルはあっけないほど簡単に開くことができた。もしかしたらなんらかの方法で簡単には開くことができないようにセキュリティが掛けられている可能性も考えていたが、現状その様子はなさそうだった。
ハルもアイラが端末を操作する様子を食い入るように見つめていた。もちろん、リーヴから決して離れてしまわないよう気を遣うことも忘れていなかった。
「どうしたんですか、アイラさん? なにか、変なことでも書かれていたんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど、これはもしかしたら、あの環境浄化ナノマシンの研究結果に関する続きの内容かも知れないねぇ……」
アッシュがどうしたのかとアイラに尋ねると、アイラはそのファイルが自分たちが探していたものに合致する可能性が高いことを指摘した。
「本当か? 一体、なんと書かれているのだ?」
「はい、ちょっと読んでみますね。えぇと……」
その指摘を聞いたガルディンに促される形で、アイラがそのファイルの内容を読み上げ始めた。
【その奇妙な報告とは、ある産婦人科で、これまで見たことがない奇形児が産まれた、というものだった。産まれてすぐに命を落としたその奇形児を検死にかけたところ、体内から大量の環境浄化ナノマシンが増殖していることが確認された。確かに環境浄化ナノマシンには強力な自己増殖機能が付いているが、それはあくまで現在の数量で環境を浄化しきれない時のための補助的な機能であり、無尽蔵に数を増やすということはないはずだった。しかし、その亡くなった奇形児の体内で増殖していたナノマシンの数は、その想定をはるかに上回っていた】
「……なんだ、これは……? 奇形児だって……? しかも、その体内で環境浄化ナノマシンが大量に増殖していた、だと……?」
アイラが読み上げたファイルの内容を聞いたガルディンは、全く予想もしていなかった内容を前に、思わず言葉を失いそうになるほどの衝撃に見舞われた。
「確かに、これはあのファイルの続きで間違いないようですね。アイラさん、その続き、ありますか?」
「あぁ。それじゃ、また続きを読んでみるよ……」
アッシュが指摘した通り、どうやらこのファイルはあの環境浄化ナノマシンの研究報告の続きであるに相違なかった。アッシュに続きを促されたアイラは、小さく息を呑みながら続きを読み上げていった。
【環境浄化ナノマシンの自己増殖機能は、生体細胞の細胞分裂をモデルとしている。ナノマシンは人間の体内でその細胞分裂を繰り返すことで、驚異的な速度で増殖したと考えられた。そして、その人間の遺伝子情報を書き換え、胎児の奇形化を引き起こしたと結論付けられた。生態系への影響がないことを確認して投入された環境浄化ナノマシンであったが、まさか人体に影響を及ぼすことになるとは全く予想外だった。ちょうどコンピュータープログラムが代表的なケースを用いてしかテストすることができないのと同様に、そのテストケースから漏れたパターンがなんらかのバグを引き起こしたようであった】
「なんだか、大変なことが起こっていたみたいですね。この様子だと、大昔の環境危機って、相当深刻なものだったんじゃないでしょうか……?」
リーヴと一緒にそのファイルの内容を見ていたハルが、内心息を呑むような感覚を抱きながらつぶやいた。
人間の奇形化ということになると、それは現在地上がこのような極寒の大地になっていることと同等、あるいはそれ以上の非常事態だった可能性さえ浮き彫りにするものになる。
「そうだね。なにしろ、遺伝子レベルで奇形化を引き起こされたんじゃ、今の科学技術でもどうしようもないよ。多分、この時もそれほど大したことはできなかったんじゃないかな?」
アイラがそう返事をしながら、さらにファイルの続きを読み上げていった。間違いなく、その先には環境浄化ナノマシンが引き起こした奇形化の顛末が記されていることだろう。
【我々は、ただちに環境浄化ナノマシンを回収する必要に迫られた。しかし、すでに世界中に膨大な量が散布されている上、自己増殖機能によってさらにその数を増大させているであろうナノマシンを、一つ残らず回収することは事実上不可能だった。我々にとってさらに厄介だったのは、その環境浄化ナノマシンが、当初の目的である地球環境の改善を果たしていたことにあった。理論上はあと数年経過を観察し続ければ、ナノマシンによって地球環境はほぼクリーンな状態になることが明らかになっている。問題はその数年の間に、環境浄化ナノマシンがさらなる問題を引き起こさないかどうか、その様子を観察し続けなければならないことだった】
「なるほど。どうやら、すぐには別の問題が発生しなかったようだな。しかし、この書きっぷりだと、まだ他に問題が残されているという感じもするな」
ガルディンが言った。確かに細胞レベルの小ささを持つナノマシンを、この世界中から一つ残らず全て回収し処分することは、このファイルに書かれている通り不可能だろう。
「ですけど、結果としてこの地上はこうして残っているわけでしょう? 僕たち人類も、数は少なくなったかも知れませんが、絶滅したわけではない。ということは、それとは別の問題が発生した、と考えるのが自然じゃないですかねぇ」
アッシュがそれに応えて返事をした。ともあれ、この後どのような問題が起こり、その結果人類は、そしてこの地球がどうなったのか、ということを知るためには、ファイルの続きを読み上げる必要がある。
【しばらく、環境浄化ナノマシンの分布経過に注意を払い続けていた我々だったが、そこに、新たな問題が持ち上がってきた。奇形児の一部が、急速に成長を始めた、というのである。実際の年齢はまだ一歳程度であるにも関わらず、その成長速度はこれまでの常識が全く通用しないものだった。さらに、成人の体型になっても成長が止まることがなく、奇形児の身体はまるで膨張するかのように成長を続けた。そして、我々が観察できた範囲において、その奇形児は全長二十メートルを超えるほどまで巨大化し、その様はさながら古代の伝説に登場する巨人族のようでもあった】
「……ねぇ、ハル……。この、「きょだいか」って、なぁに……?」
「んっ? あぁ、あるものが、本来の大きさを超えて、さらに大きくなっちゃうことだよ。この場合、奇形化した人間が、普通の人間よりもはるかに大きく成長しちゃったことを、巨大化って言っているみたいだね」
リーヴがハルに質問を投げかけると、ハルは努めて穏やかな口調で説明していった。
実際のところはハル自身もそのファイルの内容に少なからず驚異の念を覚えていたのであるが、ここでそれを無闇に表明することは、リーヴにいらぬ不安を抱かせてしまう懸念が発生してしまう。
ただでさえ、自分のことすらよく分かっていないリーヴの心を、余計な情報を与えることによって混乱させることは、今のハルにとって厳に慎まなければならないことだった。
「赤ん坊の巨大化、ねぇ……。確かに、大きな問題には違いないけど、正直、今のアタシたちには関係ないことだろうね……」
アイラが腕組みをしながら、そのファイルの内容を脳内で吟味していた。確かにアイラが指摘した通り、赤ん坊の巨大化そのものは恐るべき問題ではある。
だが、それはあくまで過去の事件であり、極寒の大地の秘密を解き明かそうとしている自分たちにとっては、あまり深入りする価値のある問題とは思えなかった。
「なるほど。しかし、それをここで結論付けるのは少し早計なような気もするな。どうやらファイルにはまだ続きがあるようだ。アイラ、ファイルの続きを頼む」
「分かりました、リーダー」
とはいえ、ガルディンの言う通り、最後までファイルを読まずに結論を下すこともまた科学者としての矜持に背く行為であることは間違いない。アイラはファイルの続きを表示させ、その内容を映し出した。
【巨大化した奇形児は、信じられないほどのパワーで周囲の建造物などを破壊し始めた。人知を超越した圧倒的なパワーを自分の意思とは無関係に持たされたことで、実際には一歳児程度の知能しかない脳の処理能力がそれをコントロールできるはずもない。我々は早急に巨大化した奇形児を元に戻す方法を探さなければならなかった。このままではたとえ環境浄化ナノマシンによって地球環境がクリーンな状態になったとしても、巨大化した奇形児に無尽蔵に暴れ回られてしまえば、我々はこの地球に住むことはできなくなる。そして、ついにその方法が発見された。数種類の薬品を決められた割合で調合し、それを噴霧することによって、巨大化した奇形児の意識を一時的に奪うことができる。そして、あとはしばらく放置することによって、巨大化が収まり、元の身体に戻るというものだった】
ここまで読み進めてきた時、ハルはふとあることが脳裏をよぎっていくのを感じていた。似ている。自分は以前このファイルの内容と似たような状況に遭遇したことがある。しかも、それは大して過去の話、というものでもない。
しかし、ただ似ているというだけで、これらの二つの出来事になんらかの関連性を認める、ということはできない。それを確定させるためには、もう少し詳細な情報が必要になるだろう。
「……ふぅん、なんか特殊な薬を使った、っちゅうことですかねぇ。しかし、その成分や調合法が、どこにも書かれていないようなんですが?」
「多分、トップシークレット扱いなんだろうね。環境浄化ナノマシンの製造方法も書かれていないみたいだし、書かれていたとしても、別のファイルを探さなくちゃならないってことだろうね」
アッシュとアイラが小さく首を傾げながら、そのファイルの内容について考察を進めていた。
確かにアイラの言う通り、環境浄化ナノマシンの製造方法も、巨大化した奇形児を元に戻す薬の調合方法も、この時代の人類にとっては間違いなくトップシークレットだったのだろう。
未来の人類が同じ過ちを繰り返すことのないよう、情報を秘匿しておくというのは、ある意味当然の対処法であるといえた。
それは同時に、地球環境の著しい汚染を発端とする一連の事件が、極めて恐ろしい結末を迎えたことを示唆するものでもあった。
「続きが気になるな。アイラ、まだ残っているようだから、続きを頼めるか?」
「了解しました、リーダー。ここまできたら、なんとしても最後まで確かめないと気が済みませんからね」
ガルディンに再度続きを促されたアイラは、端末を操作し、ファイルの中身を読み進めようとした。しかし、その時。彼らに予期せぬ事態が襲い掛かってきた。