ハルとリーヴが二人っきりの時間を過ごしていた、同じ頃。コンピュータールームでは、アイラとガルディン、そして新たに合流したアッシュの三人が、今後の行動計画に関する話し合いを行っていた。
「そうなると、やっぱり次はあの集落跡をもう一度調査するのが近道ってことになりますかねぇ」
「恐らく、それしかないであろうな。あの環境浄化ナノマシンのことも気になるし、その計画が最終的にどうなったのか、というところをまずは知る必要があるだろう」
アッシュの提案に対し、ガルディンは概ね賛同する意思を示した。現状手がかりを得られる可能性がある場所があの集落跡しかないのであれば、それはある意味当然の結論であるともいえた。
「だけど、政府もアタシたちの動きに気が付いてあの集落跡にやってきそうなものだったけど、意外に目立った動きを見せていないようだね。そっちの方はどうなんだい、アッシュ?」
「あぁ、それについてはさっき報告した通りですわ、アイラさん。政府のヤツら、今のところ静観を決め込んでいる感じなんですが、僕にはそれがどうにも不気味に見えていましてねぇ」
アイラの懸念は、現状あのナノマシンの正体よりも、むしろ政府が鳴りを潜めているというところにあった。
元政府の科学者だったアイラにとっては、今の政府が静かすぎることに対して、むしろ疑惑の念を向けている、という印象が強かった。
「だが、政府があまり大きな動きを見せようとしないのであれば、我々にとってはまたとないチャンスだ。今一度体制を整えて、あの集落跡の再調査に向かうとしよう」
ともあれ、ガルディンの言う通り、この現状を利用しないという手はあり得なかった。結局、あの集落跡の再調査に向かうということで、この場の意見は固まったようだった。
「そうですね、それが今のところは一番いいと僕も思います。ところで、話は変わりますが、僕、一つ気になっていることがあるんですけど……」
話が一段落付いた頃合いを見計らい、アッシュが別の話題を切り出してきた。話の道筋が変わったことを察知したアイラとガルディンは、アッシュに視線を向け、話の続きを促した。
「気になっていること?」
「はい。あの子、確か、リーヴって言いましたっけ? あの子、一体何者なんですか?」
ガルディンが問い質すと、アッシュは特段悪びれた様子もなく頭の中に渦巻いていた疑問を言葉にしてガルディンに放ってみた。
「……申し訳ないが、アッシュ。あの子のことは、我々も正直分からないことの方が多いのだ。なにしろ、初めてここに来た時は、自分の名前はおろか、言葉を話すこともできない状態だったのだからね」
「アタシが用意していた睡眠学習プログラムで、最低限の知識を植え付けることはできたけれど、その後はずっとハルにベッタリなのさ。自分に名前を付けてくれたハルのことを、よっぽど気に入っているのかも知れないけど、今のところ、アタシたちが答えられるのは、それぐらいしかないね」
ガルディンもアイラも、アッシュの問いに答えながら、実際自分たちもリーヴのことについては現状大したことを把握できていない、ということを思い知らされただけだった。
リーヴのことについてはその大半をハルに一任しているということもあり、リーヴのことを詳しく知りたければハルに聞いた方がよい、というのが二人の偽らざる思いだった。
とはいえ、ハルもリーヴの正体についてはなにも知らないと答えるより他にないであろうし、その現状はあの頃からほとんど変わっていないのだった。
「そうですか。まぁ、僕たちに危害を加えたりしない限り、僕もあの子になにか手を出すつもりもありませんし、ひとまずこっちは様子見ということにしておきますか」
アッシュはこれ以上問いを重ねても有益な情報を引き出すことができないだろうと判断し、そこでこの話題を終わらせることにした。
リーヴが何者であろうと、ハルが上手い具合に彼女をコントロールすることができているのは紛れもない事実であり、その邪魔をするのはアッシュにとっても無粋なものでしかなかった。
「では、明日早朝から、あの集落跡の再調査に向かう。各自、それまで準備を整えておくように。以上、解散」
「ありがとうございます。再調査のことは、アタシからハルに伝えておきますね」
「うむ、そうしてくれると助かる。私はアッシュと一緒に、今回持ち帰ったデータを今一度分析してみることにしよう」
そして、三人はそれぞれの務めを果たすべく動き始めた。アイラは翌日に決まった再調査のことを報告するため、コンピュータールームを後にし、ハルとリーヴがいる部屋に向かっていった。
一方、ガルディンとアッシュはコンピュータールームに残り、今回の調査で入手したデータの再分析に取り掛かった。
「ハル、いるかい? 開けるよ」
ハルとリーヴがいる部屋に向かったアイラは、中にいるはずの二人に声をかけながら、ドアを静かに開けていった。
「あっ、アイラさん。すみませんが、リーヴが寝ているので、もう少しだけ静かにしてもらえると助かるんですが」
部屋のドアが開けられると、そこには予想していた通りハルとリーヴの姿があった。ベッドの上で静かに眠っているリーヴの姿をアイラが認めると同時に、ハルが静かにしてほしいとアイラに注意を促した。
「あっ、あぁ。これはすまない。どうも科学者をやっていた頃の癖が今でも抜け切らなくてね。そこは勘弁しておくれよ」
「いえ、それは特に問題ありませんので。それで、話し合いの方は終わったんですか?」
アイラはハッとした表情を浮かべると、その後はリーヴを起こしてしまうことのないよう声のボリュームを抑えてハルに話しかけた。
どうも、科学者というのは自分の研究に没頭しすぎるあまり、周囲の状況に気を配ることを忘れてしまうことがたまにあるらしい。
人間誰であっても、目の前のことに集中すれば周囲のことが見えなくなる、というのはよくある話だとは思うが、科学者というのはその性質が比較的強い人たちであるのかも知れない。
「あっ、そうだね。そのことなんだけど……」
アイラはあの集落跡の再調査が翌日に決まった旨をハルに報告した。再調査に向かうとなれば、ハルを置いていくわけにはいかないし、それはリーヴにとって同様であるに違いないからだ。
「……そうですか。もう一度あの集落跡に行くんですね。でも、本当に大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫って、なにか心配事でもあるのかい?」
ハルは再調査そのものには異論を挟まなかったが、それとは別に気になっていることがあった。
「巨獣のことですよ。今回は幸い巨獣に襲われずに済みましたけど、次も上手くいくとは限らないでしょうし、いつまでも巨獣対策を放置しておくわけにもいきませんしね」
ハルには心の奥にずっと引っかかっていることがあった。この地上の秘密を突き止めるために必要なもう一つの重要なこと。それは、巨獣を倒す方法を探すことであった。
現状地上の秘密を調べることに重点を置いているため、傍目から見れば巨獣対策をおざなりにしているようにも映るかも知れない。
もちろん、アイラたちがなにも手を打とうとしていないわけではない、ということはハルも理解していたが、あれから特に進展がないように見えてしまうと、どうしてもその部分が気になってしまう。
「そうだね。確かにハルの言う通りだけど、今は特に目立った成果も得られていないし。とりあえず、アタシたちとしては、今できることに全力を注ぎ込むしかないよ」
「そうですね。あのナノマシンの研究がその後どうなったのか、というところは、俺も気になっていますし、この地上にかつてなにがあったのか、ということを知るのは、決して無駄なことではないと思います」
アイラの言葉には、わずかではあるがいつもの覇気が感じられないな、とハルは思った。巨獣対策の研究が思うように進捗していない現状を、アイラも心苦しく思っているのだろう。
しかし、その巨獣対策に気を取られるあまり、目の前にあるかも知れない重要な情報をみすみす見逃してしまうのはあまりにも愚かとしか言いようがない。
となれば、アイラが指摘した通り、今の自分たちの目の前にある課題を一つずつクリアしていくしか、できることはないのだろう。
「……んっ、うぅん……」
と、その時。ベッドの上で寝ていたリーヴが、小さな声を上げながら目を覚ました。恐らく、すぐ隣でハルとアイラが会話をしているのが耳に入ってきたのだろう。
ハルとしては、できる限り声を潜めてアイラと会話をしていたつもりだったが、それでもリーヴを起こすには十分な刺激になってしまったらしい。
「あっ、リーヴ。ごめんね、起こしちゃった?」
「……ううん、いいの……。それより、ハル、また、出かける、の……?」
ハルが謝りながらリーヴに声を掛けると、リーヴは返事をしながら逆にハルに問いかけてきた。どうやら、先程の二人の会話は、おぼろげではあるがリーヴも聞き取っていたようである。
「んっ? あぁ、そうだね。また、あの集落跡に行くことになったから。リーヴも、付いていくかい?」
「……うん。ワタシ、ハルと、一緒なら、どこでも、いいの……」
これはもはや聞くまでもないことだろうと思ったハルだったが、念のためリーヴに同行する意思があるかどうか尋ねてみた。
すると、案の定というべきか、リーヴの口からは是の意を示す返事がもたらされた。もっとも、彼女の場合、ハルのそばから離れたくない、という思いの方が強いのかも知れなかった。
「それじゃ、決まりだね。明日出発できるように、リーダーとアッシュが準備を進めてくれていると思うから、そっちは心配しなくていいよ。アンタはリーヴの面倒を、ちゃんと見てやりな」
「分かりました。それじゃ、なにかあったらすぐに知らせてください」
そう言うと、アイラはハルとリーヴの顔を交互に見ながら、部屋を後にした。残されたハルは、リーヴを優しく抱き締めながら、彼女をもう一度ベッドに寝かしてあげようと思っていた。
「さぁ、リーヴ。明日も大変なことになりそうだから、今日はもうゆっくりして……」
「……ねぇ、ハル……。もっと、そばに、きて……」
ハルがリーヴを再度ベッドの中に寝かそうとした時、リーヴがなにかを訴えかけようとするかのようにハルの顔を見つめてきた。
「んっ? 大丈夫だよ、リーヴ。俺は、なにがあってもキミのそばを離れたりなんか……」
「……ううん、違うの……。きて。一緒に、寝よう……?」
ハルがいつもの通りリーヴに声を掛けようとした時、リーヴは毛布の一部をめくり上げ、ハルにそこに来てほしいと促す態度を示した。
そんなリーヴの様子を見たハルは、一瞬どういうことかと困惑したものの、すぐにその意図するところを見抜いた。
リーヴは、まだ自分のことがよく分かっていないのだ。アイラが用意してくれた睡眠学習プログラムは、あくまで生活に支障が発生しない程度の知識を植え付けただけに過ぎず、彼女が本当は何者なのか、というところは一つも判明していない。
その意味では、今もリーヴは自分の存在が宙に浮いているような、そんな不安定感に心が揺れ動いているのだろう。それをやわらげ、安定させることができるのが自分しかいないのであれば、今のハルにそれを断る理由など一つも存在していなかった。
「あぁ、いいよ、リーヴ。それじゃ、今日は俺もそばにいてあげる」
ハルはリーヴの申し出を受け入れ、彼女と一緒にベッドの中に入っていった。決して広いベッドではなかったが、ハルはできる限りリーヴが窮屈な思いをしないよう、身体の位置に気を遣っていた。
「もし、俺に子供がいたら、きっとこんな風になっていたのかも知れないな……」
ハルの胸元に寄り添うように眠りに就いたリーヴをそっと抱き寄せながら、ハルはこの極寒の世界で、確かな暖かさを感じていた。