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第8話

 ガルディンとアイラの指示を受けたハルは、コンピュータールームを出た後、他の部屋の様子を見て回っていた。

 他の部屋についてはガルディンがコンピュータールームとして使えるかどうかの確認をする際にセキュリティーロックを解除していたままだったため、ハルでも容易に部屋の中を調べることができた。

「うーん、この部屋はあまり散らかっていないみたいだな。前の住人たちがちゃんとキレイに使っていたのかな?」

 一つ一つ部屋の様子を見て回りながら、内部が散らかっていないかどうかなどを丁寧に確認していく。こうしたチェック作業は、あの地下シェルターの人工農場で毎日仕事をしていたおかげで、ハルにとっては退屈することではなかった。

「ここも随分キレイだな……。これで最後の部屋だし、とりあえず、コンピュータールームに戻ろう」

 そして、最後の部屋を調べ終わったハルは、この地下シェルターが思っていた以上に荒らされた形跡がないという事実を知り、内心驚いていた。

 いつ頃放棄されたのかは分からないが、それ以来一度も外部の人間が入り込んだことがないというのも、いささか珍しい話だなと、ハルは思っていた。

 部屋の確認を終えたハルは、特に異常がなかったことを報告するため、コンピュータールームに戻ることにした。これで、ここを新しいアジトとして利用するのに、なにも障害はなくなったことになる。

「おっ、戻ったね、ハル。で、他の部屋の様子はどうだった?」

 戻ってきたハルに対し、アイラが出迎えながら状況報告を求めた。ハルは自分が他の部屋で見たものを包み隠すことなく報告した。とはいえ、あまり目に付くようなものを確認することはできなかったため、報告も比較的短時間で完了した。

「ふぅん、そうかい。ということは、この地下シェルターは、かつて一度もアタシたちのようなレジスタンスのアジトとしても使われたことがなかった、ということだね?」

「はい。それで間違いないと思います」

 ハルとアイラの意見は、この地下シェルターが比較的安全なところである、という部分において概ね一致を見ていた。ここであれば、政府にもすぐに気付かれる危険は少ないだろうし、以前のように入口を洞窟の壁でカモフラージュしてしまえば、政府の目をごまかすことも十分できるだろう。

「なるほど。我々は運良く、この場所を見つけることができたということになるな。となれば、ここを最大限利用しない手はあるまい」

「そうですね、リーダー。これからは、ここを新しいアジトとして、アタシたちの目的の達成に利用させてもらいましょう」

 アイラが言った自分たちの目的。それはとりもなおさず、地上の真実を知り、同時に政府の本当の思惑を探ることであった。元政府の科学者であるアイラにとっては、地上の真実を知ることも重要であるが、同時に政府の本当の思惑を探ることもまた、同様に重要なことであった。

 ハルも、ようやく一段落付いたという思いがこみ上げ、近くの椅子にもたれかかってその身を預けていた。緊張感から解放されると同時に、それまで抑え込んでいた疲労感が一機に襲い掛かってくる。

 そして、その疲労感に導かれるように、ハルが椅子に座ったまま眠りに就こうとしていた、まさにその時だった。

「……んっ? なんだ、これは? ……生命反応?」

 モニターの前で端末を操作していたガルディンが、突然怪訝そうな表情を浮かべながらモニターの一点を凝視ていた。そこには、確かに生命反応を示す信号が表示されていた。

「どうしたんですか、リーダー?」

「この地下シェルターの入口付近に、生命反応がある」

 様子を確認してきたアイラに対し、ガルディンは怪訝な表情を崩すことなく返事をした。それは、ガルディンにとって不穏な気配の接近を予感させるには十分なものだったからだ。

「あの、どうしたんですか? なにかあったんですか?」

「あぁ、どうやら、この地下シェルターの入口に、誰かが来たらしい、生命反応があるんだ」

 異変に気付いたハルが事情を尋ねると、アイラがモニターの一点を指差しながら答えた。その表情は、ガルディンと同様怪訝の色を次第に濃くしていくものだった。

「生命反応? 誰かが来た?」

「もしかしたら、政府の追っ手の可能性もある。だとしたら、あまり悠長に構えている時間はない」

 ハルが脳裏に浮かんだ疑問を素直にぶつけると、ガルディンはあくまで可能性の問題だと前置きした上で返事をした。

「分かりました。俺、ちょっと様子を見に行ってきます」

「あっ、ちょっと待ちな、ハル。アタシも行くよ。もし本当に政府の追っ手だったら、アンタだけじゃ対処できないかも知れないからね」

 様子を見に行くというハルに対し、アイラが同行すると進言した。アイラにとって、ハルはまだ仲間になったばかりの存在であり、この状況であまり無理をさせるわけにはいかない。

 コンピュータールームを出たハルとアイラは、その足で地下シェルターの入口まで向かっていった。扉は自動的に閉められており、向こう側の様子を確認するためには扉を開ける以外に方法はなかった。

「アイラさん、扉を開けてくれませんか? ここは俺が様子を見てきます」

「あぁ、分かった。でも、一人しかいないとはいえ、気を付けるんだよ。もし、本当に政府の追っ手だったとしたら、それだけでもアタシたちにとっては十分脅威だからね」

 アイラはハルに注意を促すように言いながら、脇にあるセキュリティーシステムを操作した。数秒後、重い音と共に目の前の扉がゆっくりと開かれていった。

「よし、一体、なにが待っているのか……、えっ? あ、あれは……?」

 開く扉を見ながら、ハルはいつでも動くことができるように体勢を整えていた。そして、扉が完全に開かれ、向こう側の様子がはっきりと見えるようになった時、ハルの視界に飛び込んできたのは、全く予想外の光景だった。

 そこにいたのは、うつ伏せになって倒れている一人の少女だった。なにも服らしきものを着ていない、完全なる全裸姿の少女は、文字通り扉の前で動かなくなってしまったかのように倒れていた。

「お、女の子……? し、しかも、は、裸で……?」

 ハルは、自分が今見ている光景が本当に現実のものなのか、疑惑の念を募らせずにはいられなかった。そもそも、この極寒の大地でこのような全裸姿でいること自体が自殺行為に等しいものであるというのに。

「どうした、ハル? 一体、なにが見えた……、あっ? な、なんだ、ソイツは……?」

「お、おい! キミ! だ、大丈夫か! しっかりしろ!」

 ハルの言葉が途中で止まったのを聞いたアイラは、そこで彼がなにを見たのか気になった。そして、ハルと同じ方角に視線を向けると、そこには確かに全裸の少女が倒れているのがはっきりと見えた。

 アイラが声を掛けようとするよりも早く、ハルはその少女の上半身を抱き起こし、何度も声を掛けた。しかし、ハルが何度声を掛けても、その少女は目を覚まそうとしなかった。

「こ、これは大変だ! 早く、どこかで寝かせないと!」

「な、なんなんだい、その子は……? とりあえず、アタシはリーダーに報告してくる。その子のことは、アンタに任せたよ、ハル」

 一刻も早く応急処置を施さなければ、この少女の命が危うくなるかも知れない。そう思ったハルはその少女を抱き上げ、どこかの部屋に移動しようとした。

 一方でアイラは、この状況をガルディンに報告するべく、入口の扉を閉じた後、少女のことをハルに託してコンピュータールームに引き返していった。

「えぇと、確か、大きめのベッドがどこかの部屋にあったような気がしたんだけど……。あっ、ここだ」

 ハルは少女を抱き上げたまま、彼女を寝かせるのに適したベッドがある部屋に移動していった。つい先程まで、部屋の様子を確認して回っていたハルにとって、それは実に容易なことだった。

 ハルはその部屋に入ると、設置されていた大きめのベッドにその少女を寝かせた。そして、すぐさま脇に置いてあった毛布を被せ、できる限り温かくすることができるようにした。

「フゥ、これで大丈夫かな……? それにしても、なんて冷たい身体なんだ……」

 少女をベッドに寝かせたハルは、改めて少女を抱き上げた時に感じた、少女の身体の冷たさに身震いする思いを抱いていた。

 まるで氷そのものを抱いているかのような錯覚さえ抱かせるほどの冷たい感触。人間の身体が、ここまで冷たくなることなどあり得るのだろうかと、ハルは思わず背筋に悪寒が走る感覚を禁じ得なかった。

「……よし、とりあえず、心臓は動いているようだ」

 ハルはゆっくりと少女の左胸に耳を当てた。すると、小さいながらも心臓の鼓動が聞こえてくるのが分かった。

「これからどうしようか……? ひとまず、この子が意識を取り戻すのを待ってみるか」

 そして、ハルは部屋の中で少女の意識が戻るのを待つことにした。彼女が目を覚ましたら、やらなければならないことは山積している。

 まずは彼女の名前を確認しなければならない。そして住んでいた地下シェルターの場所も聞く。さらに、最も重要となるであろう、何故この地下シェルターの前で倒れていたのか、ということ。

 ただ、それよりも、まずは温かいものを食べさせて、体調を回復させることを優先しなければならないと、ハルは考えていた。自分たちの食糧も十分ではないが、それで目の前で倒れている少女を見捨てるほど、彼も薄情な人間ではない。

「……全然目を覚まさないな……。なにか食べさせたいけど、正直、俺たちも食料を十分に持っているわけじゃないし……」

 しかし、一時間待っても、二時間待っても、少女は一向に目を覚ます気配を見せることはなかった。これでは、思うように時代の進展を図ることもできない。

「あっ、ハル。この部屋にいたのか。なかなか戻らないから、なにか大変なことに巻き込まれたのかも知れないと思ってさ」

 その時。部屋のドアが開け放たれたかと思うと、そこからアイラが姿を現した。アイラはハルを見るなり、心配そうな表情で近づいていった。

「あっ、アイラさん。いえ、俺は大丈夫ですよ。ただ、この子が全然目を覚ましてくれないのが、ちょっと心配になってきまして」

 ハルは、自分は大丈夫だと返事をしながら、一方で一向に目を覚まさない少女を心配しているということをアイラに向けて口にした。直接少女を助けたハルからしてみれば、それは実に当然の言葉だった。

「そうか。まだ目を覚ましてくれないか」

 アイラは、安堵しながら、その一方で不安も抱いているような表情を浮かべて返事をした。ハルは、一体なにを不安に思っているのだろうと、アイラの反応に疑念を抱いた。

「なぁ、ハル。ちょっと話があるんだが、付き合ってくれるか?」

「えっ? えぇ、いいですよ。この子に余計な刺激を与えてしまうといけませんので、どこか別の部屋でお話しませんか?」

「あぁ、分かった。アタシにとっても、その方がむしろ都合が良い」

 そう言うと、アイラはハルを部屋の外に連れ出した。少女のことが心配なハルだったが、目を覚まさないことにはこれ以上の対処のしようがない。そう思い直し、アイラと一緒に隣の部屋に入っていった。

「それで、話っていうのは一体なんですか、アイラさん?」

 部屋に入ったハルは、単刀直入にアイラに対して用件を切り出した。特別余計な話をする必要もないとなれば、いきなり本題に入ったとしても特に問題はないだろうと、ハルは考えていた。

 しかし、それに対するアイラの返答は、彼にとってあまりに予想外なものだった。

「……なぁ、ハル。あの子、なにかおかしいと思わないか?」

「えっ? おかしい、ですか? まぁ、あんな寒い地上に一人で、しかも裸で倒れていたということであれば、確かにおかしいと思いますけど」

 アイラの言葉に対して、ハルは素直に思っていることを口にした。ハルにとっては、それぐらい誰にでも分かることだろうと判断できる程度のものであった。だからこそ、ハルはアイラのその問いかけの真意を推し量ることができなかった。

「そうじゃない。アタシたちがこの地下シェルターに入ってすぐに、あの子が現れたんだぞ。偶然にしては、あまりに出来過ぎているとは思わないのか?」

 そう言葉を続けるアイラに対し、どこか切羽詰まっているような印象をハルは受けていた。一体、アイラはあの少女のなににそれほど切羽詰まっているのだろう。

「言われてみれば、確かにそういうところもあると思いますけど、でも、さすがにちょっと考えすぎなんじゃないですか?」

「考えすぎなものか。アタシは、あの子を政府が密かに開発した人間兵器だと考えている」

 続けて聞いたアイラの言葉に、さすがのハルもショックを隠せなかった。アイラがあの少女を人間兵器だと思っている。その事実が、ハルにとってはなにより衝撃的だった。

「な、なにを言っているんですか、アイラさん? そんな、冗談でも笑えない話、しないでくださいよ」

「冗談なんかじゃないよ。アタシのような裏切り者を始末するためならば、政府は決して手段を選んだりしないだろう」

 ハルはそんなことはないと言って、アイラの意見を否定した。しかし、それに反論するアイラの言葉からは、政府が彼女を明確に敵対視している、という考えを読み取ることができた。

 こればかりは、さすがのハルも容易に肯定することはできなかった。確かに元政府の科学者という肩書があるとはいえ、その裏切り者一人を始末するために政府が人間兵器を開発したりするだろうか。

 それに、そのことが事実だとすれば、政府はすでにこの地下シェルターのことも調べ上げているということになる。だとしたら、問題はむしろそのこと自体にあるのではないだろうか。

「大丈夫ですって、アイラさん。そういう風に考えすぎてしまうの、科学者の悪い癖ですよ」

「あぁ。アタシも、そう思っている。だが、状況を俯瞰すればするほど、どう考えてもそういう結論しか出てこないんだ」

 ハル自身はもちろん、あの少女が人間兵器だなどとは微塵も考えていなかった。アイラも頭では理解しているようだが、科学者としての側面が、どうしても悪い結論を導き出してしまうらしかった。

「アイラさん、ちょっと疲れているんですよ。ここ最近、大変なことが立て続けに起こって、気が休まる時がありませんでしたから。少し、休んだ方がいいと思いますよ」

「……あぁ、そうだな。でも、アンタ。気を付けた方がいいよ。アタシには、あの子がいつかアタシたちにとって危険な存在になるって、そんな予感がするんだ」

「分かりました。アイラさんのその言葉、しっかりと肝に銘じておきます。あの子のことは俺に任せて、アイラさんはゆっくり休んでください」

 そうして、アイラは先に部屋を出た。アイラを見送った後、ハルは少女のいる部屋に戻っていった。

 少女の様子は、ハルが出ていく直前から一つも変わっていなかった。ということは、彼女はあれから一回も目を覚まさなかった、ということになる。

「この子が政府の人間兵器かも知れない、か……。アイラさんも、随分大変なことを考えるものだな。だけど、本当にこの子は一体何者なんだろう……?」

 静かに眠り続けている少女。その静かで穏やかな顔を見たハルは、とてもこの少女が政府によって開発された人間兵器であるとはどうしても思えなかった。

 とりあえず、この少女が目を覚ますまで、もう少し様子を見てみよう。目を覚ました時に、この少女がどんなことを知っているかを聞くことができれば、そこから少女の正体を探り当てることができるかも知れない。

「……ウ……、ウゥ……」

 と、その時。少女の口から小さな呻き声のようなものが聞こえてくるのを、ハルは聞き逃さなかった。

「おっ? やっと目を覚ましたのか? とりあえず、これで話を聞くことができそうだな」

 その呻き声を聞いたハルは、これで一つ問題をクリアすることができる算段が整えられると、内心小さく安堵していた。少なくとも、ガルディンとアイラに悲しい報告をしなければならない、という事態を回避することはできるだろう。

 その後、少女はゆっくりと目を開けた。少女は自分がいまどこにいるのかを確かめようとするかのように、ベッドの中で首を小さく左右に振っていた。

「やっと目を覚ましたんだね。キミ、大丈夫かい?」

 目を覚ました少女に対し、ハルはできる限り彼女を刺激することのないよう、優しい口調で声を掛けた。それは、同時に自分が少女の敵ではないことを示すという意図も含まれていた。

 少女は、表情を変えることなくハルに対して視線を向けた。まるで自分の意思が宿っていないような、光を感じさせない瞳。それを見たハルは、自分がその瞳の中に吸い込まれていきそうな錯覚を覚えそうになった。

「……キミは一体誰だい? どうして、この地下シェルターの前で、倒れていたんだい?」

 ハルは、ひとまず自分が少女に対して抱いていた疑問を投げかけようと思った。これで少女がどのような反応を示すかどうか、それで自分の少女に対する行動を決めようと思っていたからだ。

 しかし、少女はハルを見つめたまま、全く口を開こうとしなかった。それは、ハルの質問に対して返答に窮しているというものとはまた異質な印象だった。

「……あぁ、ゴメン。目が覚めたばっかりで、いきなり二つの質問を同時にされたら、キミも困っちゃうよね」

 少女が返答しないのを、彼女が二つの質問を同時にされたことに対して困っていると、ハルは判断していた。少女を落ち着かせるためには、一つ一つ丁寧に質問をしていくのが良いだろう。

「えっと、まず、キミの名前を、教えてもらえるかな?」

 ハルは改めて、少女に最初の質問を投げかけた。名前が分からなければ、これから先の話の進展を望むこともできない。それは、初対面の相手に対する当然の対応だった。

 しかし、それでも少女の態度は変わることはなかった。相変わらず表情を変えることなくハルを見つめ続け、口を開こうとしてくれない。

「どうしたんだい? もしかして、名前を教えられない事情でもあるのかな?」

 ハルは、努めて優しい態度を見せながら、少女に自分は敵ではないということを示そうとしていた。しかし、しばらく少女の様子を窺っていたハルの前に、思わぬ事態が展開することになった。

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