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第5話

 政府の監視員たちを退けたハルたちは、すぐさまアジトを放棄するための準備に取り掛かった。政府にアジトの所在が明るみになってしまった以上、早急にこのアジトを放棄し、新たなアジトとなる場所を探さなければならない。

「さて、政府の追手が来る前に、このアジトを放棄しないとな。まずは、ここにあるデータのバックアップを取る」

 一番奥にあるコンピュータールームに戻ってくるなり、ガルディンは部屋の隅にある端末を操作し始めた。その後、懐からなにやら小さなチップのようなものを取り出した。

「あの、それは?」

「あぁ、キミは見たことがなかったのだね。これは、最新式のメモリーチップで、これ一つで、この世界全体の情報を記録することができるほどの容量を持っている」

 そう言いながら、ガルディンはそのメモリーチップをハルに向けて示した。手のひらに収まってしまうほどのサイズでありながら、この世界全体の情報を記録することができるとは。

 ハルは、人類が地下シェルターでの生活を続けていた間も、そうした技術を開発し続けていたことに驚きを隠せなかった。もっとも、現在の人類は地下シェルターの中である意味「保護された」生活をしているから、その技術がどのような形で活用されているか、ということに気を向ける者もいないだろう。

「そうなんですか。そんな便利なものがあったんですね」

「あぁ。もっとも、これも以前政府の連中といざこざがあった時に、密かに政府からくすねてきたものだから、あまり公にはできないのだがね。さて、そろそろ始めるとするか」

 ガルディンは、そのメモリーチップを、おもむろに端末にセットした。そして再度端末を操作すると、目の前にあるモニターの画面がなにやら動き始めるのが見て取れた。

「よし、これでバックアップは開始された。ただ、このアジト全体の情報をバックアップするとなると、かなりの時間がかかってしまうだろう」

 モニターの画面が変化したのを見たガルディンは、そこでバックアップが正常に開始されたのを確認した。とはいえ、彼の話が本当であれば、実際にバックアップが完了するには相当の時間を必要とするらしい。

「そうですか。あの、すみません。一つ、お聞きしたかったことがあるんですけど……」

 少し時間が空いたのを見て、ハルはガルディンに気になっていたことを質問しようと思い立った。これを聞かないことには、彼らレジスタンスの行動目的が改めて明確にならないと、ハルは思ったからだ。

「んっ? どうした、なにかね?」

「あの、ガルディンさんは、どうして地上の秘密を知りたいって思ったんですか? 政府に狙われる危険を冒してまで、こんなレジスタンスを率いている、本当の理由はなんなんですか?」

 ハルの質問に対し、ガルディンは一瞬考え込むような素振りを示した。それを見たハルは、もしかしたら聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと、申し訳ない気分に襲われた。

「……話せば長くなるので簡単に説明するが、大きな理由は、概ねキミと同じだよ」

 ガルディンはそう小さく口を開いた。

「お、俺と同じ理由……?」

「そうだ。いきさつは違うが、私もキミと同じように地上がこのような世界になっていることを知ってしまってね。それで、どうして地上がこのような極寒の大地になってしまったのか、それを知りたいと思ったのだ」

 それは明らかに、本当の理由を隠しているような、そんな態度だった。ガルディンは今のハルが知らない地上の秘密の一端をすでに知っている。

 しかし、ハルは敢えて余計な詮索をしようとは思わなかった。現状において、それは大きな意味を持たないということを、ハルも良く心得ていたからだ。

 それ以上に重要なのは、ガルディンがハルと概ね同じ理由で地上の真実を知りたいと思った、ということだった。やはり、地上のこの様子に疑問を抱く者は自分だけではなかったと知ることができ、ハルは内心ホッとしていた。

「そうだったんですか。それじゃ、さっき用意していたマシンガンとかも、やっぱり政府に邪魔されないために、でしょうか?」

「そうだ。先程も言ったが、どうも政府は我々のことを好ましく思っていないようでね。向こうが力づくで我々を潰そうというのであれば、こちらも相応の力で対抗させてもらうまでだ」

 どうやらこのレジスタンスと政府との対立は、ハルが想像するよりも長期に渡って続いているようである。相変わらず政府の思惑は分からないままだったが、少なくともこのレジスタンスと利害が一致するものではない、ということはハルにも分かった。

「それにしても、アイラさんがあの薬を用意してくれていたおかげで助かりましたよ。おかげで、このアジトがメチャクチャにならずに済みましたからね」

「そうだね。まぁ、あの薬は人間用に作ったものじゃないから、ちょっとやり過ぎた感じもしないでもないけど、とりあえず、上手くいってよかったよ」

 アイラがそう返事をしている間も、政府の監視員たちはこのアジトの入口で膨大な時間をさまよい続けていることだろう。もっとも、それはアイラの薬によってもたらされたものであり、実際の時間経過にはなんら影響を及ぼすものではなかった。

「ところで、このアジトにあるデータって、実際どれぐらいあるんですか?」

「そうだな。これまで我々が集めてきた情報に加え、地上の情報をリアルタイムに収集しているから、少なく見積もっても、ざっと数十エクサバイトにはなるだろう」

 ハルが別の疑問を投げかけると、ガルディンは特に隠す様子もなく平然とした面持ちで答えた。

「す、数十エクサバイト? それは、確かにとんでもない量ですね」

「あぁ。もっとも、地上が今のような状態になる前は、世界中で大量のデータが毎日やり取りされていたそうだ。その量は、一説には年間数百ゼタバイトにも上ったと言われている」

 ガルディンは平然とした口調で説明していたが、その単位を聞いたハルは、開いた口が塞がらないほどに驚く意思を明確に映し出していた。

 ゼタバイトというのは、先に出てきたエクサバイトの、さらに千倍を意味する単位系になる。つまり、このコンピュータールームがそのまま千部屋分存在するという意味になるのだ。

 ただでさえ膨大な量のデータを扱っているこのコンピュータールームが、さらに千部屋も存在することになったら、そのデータはどのようにして処理されるのだろう。

「す、数百ゼタバイト? ちょっと、想像できませんね」

「うむ。だから、このコンピュータールームには、そうした膨大な量のデータを高速で処理することができるよう、最新鋭の設備が揃えられているのだ」

 途方もない量のデータの海に溺れてしまうような感覚。だが、今はそれすらも、これから訪れるであろう困難を切り抜けるために必要なものに過ぎない。

「……おっ、データのバックアップが完了したようだ。よし、これでひとまずデータの方は大丈夫だな」

 その時。モニターの表示がデータのバックアップが完了したことを告げた。それを見たガルディンは端末を操作しながら、メモリーチップを引き抜き、大事そうに懐にしまい込んだ。

「さて、あとはこの地下シェルターの機能を停止するだけだな。アイラ、例のものを頼む」

「分かりました、リーダー」

 ガルディンは間髪入れずアイラに次の指示を出した。それを受けて、今度はアイラが別の端末を操作し始めた。

「あ、あの。アイラさん。この地下シェルターの機能を停止するって、一体どうやるんですか?」

「あぁ、そんなに難しい話じゃないよ。このコンピュータールームの機能を、そっくり丸ごと別の地下シェルターに移設させるのさ」

 アイラの話を聞きながら、ハルは本当にそんなことが可能なのかと、疑念を募らせずにはいられなかった。

「このコンピュータールームの機能を移設させる?」

「そうだよ。まさか、アンタ。このアジトを放棄するって聞いて、ここを爆破するとでも思っていたのかい?」

 アイラに指摘され、ハルはそこでハッとした思いにとらわれた。自分が考えていることをまさしくその通り言い当てられたような気がして、ハルはそれ以上言葉が出なかった。

「い、いや、それは、ちょっともったいないな、って思って……」

「そりゃそうだろ。これほどの最新鋭のコンピュータールームなんて、世界中探してもそうあるものじゃないからね」

 そう答えながら、アイラは端末の操作を続けていた。一体なにをするつもりなのかと思いながらハルがその様子を見つめていると、アイラがその場から立ち上がった。

「よし、これで準備完了、と。リーダー、ここの電源を全て切ってください」

「了解した。これも、少し時間がかかるから、待っていてくれたまえ」

 アイラの言葉を受けて、ガルディンが再度端末を操作した。すると、端末全体から小さな駆動音のようなものが数秒聞こえてきたかと思うと、その直後、全てのモニターの画面が一斉に消えた。

「よし、電源は全て切ったぞ。さぁ、あとは最後の仕上げだ。アイラ、ここを出るぞ。ハル、キミも付いてきたまえ」

 全ての端末の電源が切れたことを確認すると、ガルディンはアイラとハルを連れて外に出た。一体なにをするつもりなのか、よく分からないままハルはアイラの後に付いて部屋の外に出た。

「さて、しばらくの間、この部屋ともお別れだな」

 アイラとハルが部屋から出たのを確認したガルディンは、部屋の入口にあるセキュリティーシステムのキーを操作した。すると、キーの真下に先程の端末と同じメモリーチップを挿入するスロットが出現した。

 ガルディンは懐から、先程とは別のメモリーチップを取り出し、その挿入口にセットした。その後、再度キーを操作すると、部屋の扉の向こうからなにやら聞いたこともない音が聞こえてきた。

「あ、あの。なにか音が聞こえてきますよ。これは、一体……?」

「心配はいらないよ。アタシたちがここを出発するための最後の準備ってところかな。……さぁ、そろそろ終わるよ」

 ハルが心配そうに部屋の扉を見つめていると、アイラが大丈夫だと言いながらハルと一緒に扉を見つめていた。そして、約一分が経過した後、その音がピタリと止んだ。

「よし、これで完了、と」

 音が聞こえなくなり、セキュリティーシステムの端末の表示を確認したガルディンは、メモリーチップを取り出すと、再度懐にしまい込んだ。

「あ、あの。今のは、一体なにをしたんですか……?」

「あぁ、あれかい? あれは、この部屋を丸ごとデータ化して、あのメモリーチップに記録したのさ」

 なにが起こったのかまだ理解できていなかったハルに対し、アイラは落ち着いた口調で説明を始めた。

「えっ? へ、部屋のデータ化……?」

「まぁ、正確にはこの部屋にあるものを全部原子レベルで分解して、それをデータとしてメモリーチップに記録させたのさ」

 淡々とした口調でアイラは説明をしていたが、ハルには彼女の言っていることが全く理解できなかった。そもそも、物体を原子レベルで分解するとは、一体どういうことなのだろうか。

「げ、原子レベルで、分解……。そんなことまで……」

「そうさ。原子レベルにまで分解すれば、どんな物体も極限まで圧縮することができる。あのメモリーチップに記録することができるレベルまでね」

 そこまで説明を聞いたところで、ハルもようやく少しだけではあるが理解することができ始めていた。どうやら、原子レベルまで分解することで、部屋を「データ」として扱うことができるらしい。

 アイラがハルに説明をしている間、ガルディンはセキュリティーシステムを操作し、部屋の完全ロックを行っているようだった。

「……よし、完全ロック完了。これで、物理的にこのセキュリティーシステムを破壊しない限り、この部屋には誰も入ることはできん。もっとも、入れたとしても、今はなにもないただのもぬけの殻になっているだろうから、あまり意味はないのだがね」セキュリティーシステムが完全ロックしたことを確認すると、ガルディンは荷物をまとめてアジトを後にしようとしていた。もっとも、荷物といっても必要な設備の大半はメモリーチップに記録されているから、実際に持っているのは地上に出るための防寒着といくつかの兵器類だけだった。

「さて、行くか。政府に我々の動きを悟られる前に、新しいアジトを見つけなければ」

 そして、荷物を確認した一行は新たなアジトを探すために地下シェルターを後にした。入口付近では、アイラの薬を浴びた政府の監視員たちが、今もマネキン人形のように動けない姿をさらしていた。

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