「それで」
それで、と言ってルイフィリアは妻を見る。
「妹はどうなんだ?」
「はい、アリシアは立派な成績で学園生活を謳歌していますよ」
「ふむ、それならよかった。あの話はお前にも来たんだろう、セシリア?」
「あ、はい……すみません、止めたのですが」
妻は苦笑し、ルイフィリアを見る。彼女の妹であるアリシアは、すでに学園でも上位の学力との噂だ。それだけではなく、意外な能力にも開花していると聞く。
「騎士団の入団試験を在学中から受けたいと直談判してきたのは、お前の妹が初めてだ」
「あらぁ……すみません、でもあの子、言うことを聞かなくって」
かつて倒した魔女の片割れであったアリシアは、魔女としての能力ではなく、騎士団への入団を希望して日々鍛錬に励んでいる。その姿は同級生男子の群を抜いており、かなり目立っているとの噂である。
「その、王子ともご一緒とのことで」
「ああ。国王からも忠告されたぞ。将来の妃が、国王よりも強いという日が来ないようにしてくれ、と」
「そうですよね~」
セシリアはそんなことを言いながらも、やはりまだまだ妹が可愛い。だから、妹の活躍を聞くとにやけてしまうのが事実だった。
「入団試験は予定通り卒業と同時に行う。家族だからといって、甘やかすなよ、セシリア」
「分かりました。あの子もそれは分かっていると思いますよ。でも、頑張っている自分を見せたいんでしょうね」
魔女との戦争は、常に多くの犠牲を払って来た。ウォーレンス家の母に転生した魔女は、この姉妹とカリブスから母親を奪ったのである。魔女であることを隠して葬儀を行い、とりあえず事は静かにおさまった。
カリブスは騎士団へ復帰し、セシリアは嫁へ、アリシアは学園に入学したが、兄妹は不思議と今の方が仲がよい。アリシアも姉の望む少女であることをやめたのだが、それでもセシリアの愛情が変わらないことを知って、更に成長している。姉妹とは不思議なものだな、と思いながらルイフィリアは2人を見ていた。長期休暇になれば、アリシアは我が物顔でグラース家に長期滞在に来ることも許可し、すっかり家族の一員だ。ウォーレンス家には顔を出さずとも、こちらには顔を出すのか、と何度も思ったほどである。
すべてのことがゆっくりと前に進んで行く。それを感じ取りながら、側で見ながら、ルイフィリアは自分の恋が正しい道へ進んでくれたことを、本当に嬉しく思った。あの時、母の本が巡り合わせてくれた縁。それを大事にしてよかった、と思っている。
「セシリア」
「はい」
「立ってばかりいないで、少しは休んでいるのか?」
「休んでいますよ、十分に。騎士団長様の倍は休んでいます」
「まったく、減らない口だ。だが大事にしてくれよ、お前には俺の未来がかかってるんだからな」
そう言って、ルイフィリアはセシリアの手を取った。反対の手は、彼女の大きなお腹へ。ここに自分の未来があることを、ルイフィリアはとても嬉しく思った。
「大丈夫ですよ、ルイ。あなたは心配性ですね」
「そんなことはない。大事な家族が増えるんだ」
「あら、いやだ。忘れていた」
夫を目の前にして、彼女の関心は別のところへ。ルイフィリアは少しばかり眉を吊り上げたが、仕方がない。
「あの子だろ」
「あの子です」
夫婦は困ったように顔を見合わせて、歩き出した。
グラース家の庭は広く、鍛錬できる場所も多い。馬小屋には立派な馬が繋がれていて、掃除も行き届いていた。庭の手入れは丁寧にされており、こちらも騎士団を退役した庭師が管理してくれている。その中を走り抜ける小さな存在。赤毛に緑の瞳を持った小さな子ども。
「お花!やっと咲いたのね!」
本を握って、花壇を覗き込む。その子は、ルイフィリアとセシリアの長女、リアンデール。母と同じ容姿を持っているが、中身は男の子顔負けのお転婆娘だった。
「うーん、この前は馬小屋で見つかっちゃったから、どこに隠れようかしら?」
年齢はまだ片手ほど。しかし伯父であるカリブスも、叔母であるアリシアもこの子が目当てでグラース家にやってくる。それほどにこの娘はしっかり者で、愛される子であった。
「お嬢様!お嬢様!」
遠くから聞こえるのはハンスの声。しまった、という顔をしてリアンデールは木の影に隠れる。
「お嬢様!習い事のお時間でございますよ!」
かつては騎士団だったという老紳士の言うことなど、聞くわけもなく。娘は小さな体を駆使して、ちゃっかり物陰に隠れて自分のしたいことばかりをしていた。かつて、この娘の父親が少年だった頃を知っているが、全然似ていない。こんなに言うことを聞かない娘になってしまうなんて、と思いながらも、この家に生まれた新しい家族をハンスも大事に思っていた。
「ふふ、ハンスにみつかるもんですか!」
そう言って、娘は笑いながら逃げていく。しかしそんな娘が絶対に勝てない相手がいた。
それは―――
「リアンデール!」
「うわ、お、お父様!」
「お前はまたこんなところで、何をしている!」
自分とはまったく似ていない父が腕組みをして立っている。その後ろにはお腹の大きな母。母は微笑んでいるので、父が本気で怒っているわけではないと彼女は理解していたが、それでも父の顔はなかなかに恐いものがあった。
「またハンスから逃げて、お前は礼儀も知らん娘に育つつもりか!」
「だって、馬小屋で馬を見たいんですもの……」
「とんだお転婆だな!誰に似たんだか、まったく」
ルイフィリアは娘を抱き上げる。そして、セシリアの方を見た。
「俺に似て、お転婆ですまないな」
「いいえ、あなたに似ているのならこの子はいい子に育ちますね。もしかして、初の女騎士団長かもしれません」
女騎士団長、と聞いて父親はガッカリしたのに、娘は一気にその気になってしまった。幼い瞳はキラキラと輝き、それはまるで、かつて母が転生前の世界で愛した本の中の少女のようだ。
「お母様、リアンデールは騎士団長になります!」
抱き上げてくれている父を乗り越えんばかりの勢いで、少女は叫ぶ。母は笑っていたが、父は笑い事ではない。嫁に出すのはつらいけれど、娘はいつか嫁に出るもの、と必死に思って来たのだ。寂しい日はいつか来るから、今だけ、手の届く時まで一緒にいたい。しかし、実際にはそんな心配などなんのその。娘は結婚どころか、騎士団長になりたいと言い出した。
「カリブス伯父様もいらっしゃるし、アリシア叔母様もいるんでしょう?」
「アリシアはまだですよ、リアンデール」
「じゃあ、叔母様と一緒に入団します!」
やめてくれ、とルイフィリアは頭を抱えた。もうすぐまた家族が増えるという時に、娘は騎士団長になると宣言してしまっている。今まで女騎士は存在したが、女の騎士団長はいなかった。それが悪いわけではないが、厳しい戦場ではどうしても男の体力が優先される。女では難しい部分が多いのだ。それをこんなに小さな娘は理解できるはずもないだろう。
「セシリア、ちゃんと娘に話をしておけ」
「いいじゃないですか、夢は大きい方が」
「大きすぎる!大事な娘に何かあったら、どうするんだ?」
大切な大切なやっと生まれた宝物。ルイフィリアの新しい家族の形。今度は哀しいことで失わないように、大事に守っていくつもりなのだ。しかし、娘はそこからすでに飛び出そうとしている。
「お父様!私、頑張ります!」
「リアンデール、お前という子は……」
そうは言いつつも、ルイフィリアは見た。愛した妻と同じ髪、同じ瞳。
それはかつて、戦場を駆け抜けた自分の母と同じであること。
だからいつの日か。
この娘が戦場を駆け抜けることになっても、自分はそれを守って支えてやれるような父であればいい、と思うのだった。
了