ルイフィリア・レオパール・グラースは国の騎士団をまとめる騎士団長。その年齢はついに28歳となった。そして、ちょうど学園を卒業したてのセシリア・ウォーレンスに縁談の話を持っていく。
セシリア・ウォーレンスは、学園で主席の成績を持つ令嬢である。読書好きであり、同時にその令嬢として必要とされるさまざまな作法もすべて身に着け、まさに凛とした美しい娘であった。学園では名家の出身ではない彼女を蔑む声もあったが、実際は彼女を支持する者も多い。中には真剣交際を申し込む者もいたと聞くが、何があったのか、すべて彼女の耳に届く前に破談となっているという。
ルイフィリアにとって、それらのことは好条件としか思えない。騎士団長の妻ならば、美しさだけでなく知性も必要であり、人から支持される人間力もなくてはいけないからだ。そうは言っても、実際は完全なる彼の片想い。その心はまるで少年のように、セシリアへの愛情に向かって行く。あの娘を妻に迎えるならば、と彼はいつも思ってしまうのだ。
「ハンス、お前は何が決め手で結婚したんだ?」
それは、長年ルイフィリアが知りたかったこと。ハンスの妻は、ルイフィリアの母であるエルデの姉だ。一緒に異国から流れてきた2人は、姉は淑やかな乙女、妹は女騎士という正反対でありながら、とても分かり合った仲でもあった。
「坊ちゃま、そんなことをお気になさらず」
「いや、知りたいんだ。伯母は多くを語らない人だったしな」
「……そうですね、なんと言いますか。彼女はやはり穏やかで美しく、私の心に寄り添ってくれたと言いますか」
「確かに、そんな人だったな……」
「子どもは持てませんでしたが、2人でも十分に穏やかに暮らせました。特に、私は騎士団のことで気が立つことも多く……」
このハンス・ペタゴーク、騎士団の副団長にして、戦場では鬼とまで称される恐ろしい男なのだ。その噂が世間に周り、彼も婚期を長く逃していた。彼にとって、妻は自分の命に代えても惜しくないほどの存在だったのである。多くの場合、騎士団は結婚せずに戦地で散っていく。結婚でき、子どもを持てる者の方が少ないのだ。そのため、彼らは騎士団長の一族であるグラース家の子をとても大事に思ってくれていた。
「どうして、そんな妻が魔女に覚醒してしまったのか……今でも、信じられません」
「ハンス……」
「私が至らなかったのではないか、私がもっと早くに気づいてやればよかったのではないか、多くを考えました。でも、答えは出ません。そして、妻も戻りません」
魔女に覚醒した妻は、その後の魔女として生き、戦争を引き起こした。結果、彼女は亡骸もなくこの世を去ったのである。魔女の魂の器となった体は、そうやって朽ちていく。最期には、もともとの人間の人格も何もかもが消え去る―――
「お前のせいじゃないぞ、ハンス」
「はい、坊ちゃま……」
「すまないな、思い出させて」
「いえ、大丈夫でございます」
大丈夫、あの苦しみの中で死んだ妻を思えば。ハンスの目はそう言っているかのようだった。
騎士団の人間が恋をすることは多くない。なぜなら、その時間があまりないからだ。それほどに忙しく、それほどに命を費やして国を守る。魔女との戦いに身を投じていく。それを分かった上で、ルイフィリアはセシリアへの恋心を募らせていた。
実家の資金的な援助、彼女の身の安全。そのすべてを一手に担うつもりで、彼は縁談の話を進めている。そして、妹の存在。魔女が転生した先だと思われる娘の存在があったとしても、ルイフィリアはやはりセシリアを妻に欲しかった。
母によく似た容姿の娘。でも母よりも長く艶やかな髪は、貴族の娘である証だ。母は戦場を父と駆け抜け、痛んだ髪を気にも留めない人だった。そんな母とは違う女性であり、似ている彼女。ルイフィリアにとって、セシリアとの生活は愛に満ちながら、幸せを感じる日々だと夢を見る。
魔女との長年の戦いは、確かに彼の身も心も疲弊させていた。特に家族を奪われた苦しみは計り知れず、ルイフィリアにとって何が大事なのかを思い知らされる結果でもある。しかし、それでも彼はいつか現れる運命を信じて、今日まで歩んできたのだ。
あの学園の図書館。本の合間から見つけたセシリア。本を愛してくれるその姿が、今でも目に焼き付いている。ルイフィリアはゆっくりと彼女の姿を見つめ、彼女が母の本を手にする瞬間も側にいた。
いつかきっと。あの本のことを話したい。自分の両親がどんな人で、どんな家族だったのか。騎士団の仲間たちのこと、カリブスやフォールスのことも。多くを一緒に語り合い、一緒に話して、幸せな時間を過ごしたい、とルイフィリアは思うのだった。
◇◇◇
「ルイ」
呼ばれて書類から顔を上げる。そこにいたのは、妻となったセシリアだ。彼女とともに多くのことを乗り越えてきたように思う。一緒に山岳の部族のところまで行ったのが、昨日のことのようだ。
「仕事をしすぎですよ」
「そうか、すまん」
「お兄様から、急かされたものですか?」
「ああ、そうだな」
今、セシリアの兄であるカリブス・ウォーレンスはハンスより副団長を引き継いだ。山岳の部族から娶った筋肉隆々の妻とともに、騎士団をしっかりと鍛え直し、支えてくれている。あれだけ商才のなかったカリブスだが、騎士団の細々とした仕事は性に合っているらしく、今ではルイフィリアを急かすほどになっていた。
「ケーキを焼きましたよ」
「まだニンジンか?」
「笑いながら言わないでください」
「ならニンジンだな」
「いいえ、今回は卵と牛乳だけですよ」
「当てが外れたか。珍しい」
そうですね、と言いながらセシリアは笑ってケーキをカットしてくれる。よく食べるルイフィリアのために、妻となったセシリアはたくさんの料理を作ってくれている。多くは彼女の不思議な知恵から生まれた料理なのだが、この腕前がなかなかなのだ。
本来の貴族の娘ならば、厨房など入るものではない。しかし彼女は、マリアと並んで厨房に立ち、洗濯も、掃除もよく手伝った。彼女が動けるうちは、正直なところマリア以外にメイドを増やす必要性もなく、たまの行事の時だけ日雇いすればいい程度。よく働く娘だと最初から思っていたが、それが今も続いているので、セシリアの真っすぐさには関心させられてばかりだった。
「いい色だ」
「農家からいい牛乳をいただきました」
「販路も確立できたしな」
「はい。農家と運び手を別にすることで、お互いの時間や賃金が作れました。山岳の部族の若者は、足腰もしっかりしていますし、道を間違えることもなくて助かります」
「カリブスが気に入っている青年団は、へき地でも強いと評判だ」
「そうでしょうね、よかった」
かつて、セシリアは山岳の部族と交渉をしたのだ。外へ出たい若者を雇うこと、騎士団の入団試験を受ける許可を出すこと。そして今はそれがどちらも成功している。騎士団を目指し体を鍛える若者が増えたり、騎士団とはいかなくとも、部族と外をつなぐ仕事を得る者も増えた。部族の知識や知恵が街に広がり、街の顔触れはだいぶ変わってきている。
「お前には感謝している、セシリア」
「いいえ、私1人の力ではありません。ルイがいてくれたからこそです」
そう言って、セシリアは微笑む。かつてあの図書館にいた娘は、騎士団長の側で笑ってくれている。それだけで、ルイフィリアはとても嬉しくなれた。彼女と一緒に人生を歩みたい。だから、必死になって生きてきた。
人は、大事なもののためならば、変わることができるのだ、とルイフィリアは強く思う―――