「旅行はいいわ~、気持ちが楽だもの。みんなそう言っているのよ」
「そ、そうですか」
「夫もいないでしょ、だから気にせずお料理もいただけるし」
「そ、それはいいかも」
母はそんな話を繰り返しながら、最後に私の肩を叩いた。
まるで憑き物でも落とすかのように。
「幸せになれるだけ、なりなさい。セシリア」
そう言って部屋を出て行く。
幸せになれるだけ、か。
ただ幸せになるんじゃなくて、天井がないって意味よね。
なんだか母らしいことを言うな、と私は思うのだった。
やがて、時間が来る。
ハンスが私を呼びに来た。
「奥様、お時間でございます。お父上のウォーレンス様はすでにご準備が整っておられます」
「ありがとう、ハンス。そして改めてよろしくね」
「勿体ないお言葉です。このハンス、長生きしてよかったと思う日がやっと参りました」
彼は、きっと長年苦しんだのだと思う。
騎士団でありながら、愛した人が魔女になってしまったこと。
大切な家族であり、仲間をたくさん失ったこと。
自分の後輩がおらず、いまだに副団長を名乗らねばならないこと。
多くのことに、彼は苦しみながら、必死にルイを支えてくれたのだ。
「ハンス、これからは私がルイを支えます。少しだけ、あなたの肩の荷は下りますでしょうか」
「奥様……」
「変な話ですが、愛した者が魔女になってしまうことの辛さ、私なら分かるかもしれません。私もそれくらい、妹が大事なんです」
「お、奥様……」
そう言った瞬間、ハンスは大きな涙をこぼした。
彼の中にいる人は、魔女ではないのだ。
愛した妻であり、魔女ではない。
きっと私も同じことになる。
愛した人は、妹であって、魔女ではない、と。
「失礼いたしました、奥様。では、参りましょう」
「はい」
「奥様が坊ちゃまのお側へ来てくださり、本当によかった」
彼の目は、初めて執事のハンスではなく、伯父のハンスという目をしていた。
大切な家族を守り続け、愛し続けた彼の思い。
私も少しでもいいから、引き継がせてね。
準備が済んだという父のもとへ行くと、なんと父がひっくり返っていた。
え、と息を吐いた瞬間、私は叫びそうになるのを止める。
ちょっと待って、こんなところでなんでお父様はひっくり返っているの!?
ハンスが慌てて確認すると、父は緊張のあまりめまいを起こして倒れていたのだ。
なんてこと?
こんな娘の晴れ舞台で?
倒れたいのは私の方だ!!
「主治医を呼びますが、式には……」
ハンスも困ってしまっている。
そこへルイが走ってやってきた。
真っ白なタキシードに合わせて騎士の格好をしている。
格好よすぎか……!
脇役なのにすっごくカッコイイキャラって絶対いるよねって感じだ!
「容体はどうだ?」
「主治医を呼びますので、なんとか大丈夫だとは思いますが、式は難しいかと思われます」
「仕方あるまい。部屋で休ませろ。代役はいるから安心しろ、セシリア」
代役?
いや、私には父親は1人しかいない……。
そう思った時、向こうから来たのは立派な騎士の面持ちをしたお兄様だった。
「お兄様……」
「まったく、本番に弱いお父様だよね。娘の晴れ舞台でさ」
「お兄様、その」
「僕がセシリアを連れて行くよ。それならいいだろ?」
兄を見て、初めてしっかりとしていると思ったかもしれない。
私は、兄に連れられて式へ向かった。
式は本来は教会で行うものなのだけれど、国王は来てくださるから、グラース家の大広間で開催されるのだ。
本当に大きな大広間だ。
そこを私は兄に手を引かれ、歩く。
まさかこんなことになるなんて。
お兄様とこの道を歩けるなんて。
兄は、ルイの目の前まで来ると、私の手を彼に渡してくれた。
「お兄様……!」
私はつい呼んでしまう。
すると、兄はいつものヘラヘラした顔ではなく、しっかりとした騎士の顔で私を見つめてくれた。
これから先の苦労を、兄は知っているのだろう。
騎士団長を夫に持つのだから、苦労するしかない。
でも、それでも。
それでも、私は。
参列者の一番前で、アリシアがワンワン泣いていた。
お母様はそれを止めようともせず、ニコニコしているばかりだ。
ちょ、ちょっと。
気になるけれど、今は結婚式に集中である。
神父様がそこにいるのかと思ったら、そこにいたのは国王だった。
え、私、国王の前で誓うの?
誓わなきゃいけないだ!
聞いてなかった!
ルイは慣れた様子でいるので、私も自分を落ち着かせる。
慌てるな、セシリア。
慌てるような時間じゃないわ。
大丈夫よ。
国王の目の前で、ついに私はルイと正式な夫婦になった。
指輪を交換して、それから誓いのキス。
初めてのキスに緊張していたけれど、ルイはとても優しかった。
それからすぐにみんなに祝福され、花を渡されたり、冷やかされたりをする。
すぐに料理が提供され、来客はみんな喜んでくれた。
「グラース夫人」
私を呼び止めたのは国王だ。
慌てて頭を下げる。
「こ、国王陛下……!」
「君に、ルイフィリアを預けるよ。彼はこの国で大事な騎士団長だ。そして次の騎士団長も頼むからね」
「は、はい、頑張ります!」
「いい娘だ。ルイフィリアの妻でなければ、王子の妻にもらいたかったよ」
「ご、ご冗談を、国王陛下!」
冗談が過ぎる!
それはアリシアの立場なんだから!
私がその立場を奪ってどうする!
そんなことを思っていたら、ルイが国王にはっきりと言った。
「国王陛下、セシリアは私の妻です」
「おおう、ルイフィリアがここまではっきり言うとはのぉ、愛されておるなぁ」
愛されている。
その言葉を聞いて、私はとても嬉しくなった。
私は、もちろんまだまだ苦労を重ねるだろうけれど、幸せになってもいいのだ。
やっと幸せになってもいい、と許しをもらえたような気がしてならない。
しばらく国王陛下と談笑し、陛下の長居は危険だからと早めに帰路に着かれた。
私は、陛下を見送る。
また会おう、と言われて、嬉しくなった。
私はルイの妻として、騎士団長の妻として、陛下にお会いできるのだ。
陛下が去られた後、私は父のことが気になった。
あの人がこんなに本番に弱いなんて、知りもしなかったし、せっかくの好機を逃しまくっている。
国王陛下に顔を知ってもらえるチャンスだったというのに。
お兄様をみつけて、私は話しかけた。
あまり食事に手を付けていない兄は、日々の鍛錬のせいか疲れているのかもしれない。
しかし、騎士として立派に立っている姿は今までになかったことだ。
「お兄様」
「セシリア」
「陛下はお帰りになりました」
「ありがと。もう、陛下ったらさぁ、王子の側近になれなれ~ってうるさくて」
「お、お、お兄様!?国王陛下になんてお言葉を!?」
「ちゃんとお断りしてきたってば。僕はそんなの柄じゃないしね」
本当にちゃんとお断りできたのだろうか。
心配でならない。
しかし私は、お兄様に父の容態を尋ねた。
「お兄様、お父様はいかがでしょうか」
「さあ?僕は知らないけど」
「え!気にしてくださいませ!」
「いやいや、気にするわけないでしょ。こんな大事な場面でひっくり返るような父親なんて!」
兄はいつものようにヘラヘラと笑う。
あれ、さっきまで見えてきた騎士はどこへ?
兄にとって、父とはその程度のものなのだろうか。
確かに、毎度馬鹿だ馬鹿だと言われれば、それはもちろん嫌になるかもしれない。
「まあ、医者にも診てもらったし、いいんじゃないの?」
「いいんでしょうか」
「確か、ユーマが薬を高値で売り付けていたような」
「いやああ!!そんなところで商売しないで!!」
あのユーマならやりかねない、と私は思ってしまう。
でも、ユーマはいい薬を持っているんだものなぁ。
その時、大きなため息をついた私の手を、小さな手が引くのが見えた。