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第47話

子どもたちを家に帰し、食器の片付けも済んだ頃、ルイが私に聞いてきた。

それは昨晩、使いたい部屋があると話していたことだ。

彼はそれを気にしていたようで、少し怪しんだ目をしている。


「今更、何を使いたい部屋があると言い出すかと思ってな」

「あら、いいじゃないですか。気にしないでください」

「それから、お前は話し方が固いぞ。顔に似合わん」

「あなたのその目に、私の顔がどのように映っているか分かりませんが、多少は固い言葉遣いを心がけていないと、お兄様のようになってしまいますので」

「アレほど砕けろとは言っていない」

「もう……話し方は、癖がつくんです。丁寧に話すことを心がけないと、結婚式で何を言い出すか分かりませんよ」


そんなことを言いながら、私はルイに笑いかける。

私たちの間は、少しだけ砕けたと思う。

最初の頃よりは話ができるようになったし、色々なことがあって、だいぶ落ち着いたというか。

夫婦に近づいたのではないだろうか。

もちろん、妹のことはまだ解決できていない。

現状、まだ魔女としての覚醒がないから保留、というところだ。


「それで、使いたい部屋の話ですけど」

「ああ、どの部屋だ?」

「こっちです。一緒に来てもらえますか?」

「ああ」


私はルイを伴って、その部屋へ来た。

奥の部屋は、屋敷の中で一番小さな部屋だったけれど、ここは裁縫ができる大きな作業台やミシン台、アイロンなどがそろっている。

衣類をかけられる場所もあるし、収納をもう少し準備すれば、ここで何かを作ったり、書き物をすることができると思った。


「ここは……」

「何かの作業をしていた場所ですか?広々としているし、作業台があるからとても使いやすいと思って」

「ここは、母の部屋だ」

「あ、では、使うわけには……」

「いや、母の部屋ということになっているだけで、母がここを使うことはほとんどなかった。母はお前のように裁縫なんてできる人じゃなかったからな」

「でも、この作業台は」

「母はここでよく本を読んでいたんだ。あの人は、本をどこまで読んだか分からなくなるから、と全部広げたままにしていて」

「栞、という便利なものがあることはご存じだったのでしょうか?」


そんな話をしながら、ルイは部屋の中へ進んでいく。

広いテーブルに手を置いて、懐かしそうな顔をしている。


「それをなくすんだよ、あの人は」

「そうですか。でも、それでも読みたい本があったんですね」

「たくさんの本を並べていたな……不器用なのに、俺たち兄弟に料理をしようとしたり、服を作ろうとしたり。どれも失敗して、結局、マリアが全部整えてくれた」


ルイの中にある母親は、戦場で戦う剣士だけではなかったのだ。

それを聞いて、少しだけ私は穏やかになれた気がする。

もうこの世界にいない人に、なんと言うべきなのか、いつも考えているところがあったから。

私は、顔も知らない義母に、もう1人の赤毛のアンに、何を言うべきなのか、と。


「たまに、テーブルの上で寝ていて」

「はい、それは行儀が悪すぎます」

「はは、俺もそう思ったさ。でも、父はそんな母を咎めなかった。それくらい自由な人だったな」

「ちなみに、私は寝る為にテーブルを使いたいんじゃないですよ。ちゃんと使用目的がありますから」

「ああ、分かっている。必要なものは準備してやる、ハンスに頼んでおけ。ここは自由に使っていいぞ」


最近の彼は、怒ったり、笑ったり、とても人間らしくなったと思う。

最初に合った時はとても冷たくて、まさに戦場の人間だった。

騎士団長だから仕方がない、と思っていたけれど、あれは酷かったと思う。


「では、あなたの椅子を」

「え?」

「私の椅子はあります。それなら、あなたの椅子も必要でしょう?たまにはここで休憩できるように」


私の言葉を聞いたルイは、少し押し黙っていた。

悪いことを言ったかな、と思ったけれど、そうではなかったようだ。

よかった。

彼もそれがいい、と思ってくれたに違いない。


「俺の椅子は、いつでもお前の側にあるんだな……」

「そうですね。まあ、それを選んだのはあなた自身ですよ」


そう。

この転生も。

この人生も。

本当は本の中の出来事。

でも、ここで生きる私たちには本物だ。

自分たちで選んで、進んでいる。

もしかしたら、誰かがペンを走らせている可能性もゼロじゃない。

でも。

今は、ちゃんと自分たちで選んでいる、と思える。


それから、ルイは自分の気に入った椅子を部屋に持ってきた。

私は、破れてしまったドレスをリボンに作り替えたり、小物に作り替えたりの作業に入る。

それが落ち着いたら、今度はお菓子のレシピをまとめに入った。

文字で書き起こしたら、順番が違っていたり、書き損じたり、そんなことを何度も繰り返してしまい、頭を抱えることばかり。


「本を書くって大変ですね……」


私がそうつぶやいた時、そこにいたのはハンスだった。

部屋の重いものを動かす為に来てもらったのだけれど、彼は私の言葉を聞いて微笑んだ。


「奥様は本はお好きでしょうか」

「はい、とても好きですけれど……」

「ご参考程度とは思いますが、大奥様の書物をいくつかご覧になりませんでしょうか?坊ちゃまが学園に寄付してもよい、と言われましたので、多くは寄付いたしましたが、貴重なものだけ残しております」

「そんなに貴重な本があるんですか?」

「そうですね、大奥様がご持参されていた書物は、この国でも製造されていない貴重な品ばかりで」

「それを学園に寄付!?」

「はい。坊ちゃまはお辛かったんでしょう、書物を見ると、大奥様が亡くなったことや魔女との戦いを思い出してしまって……」


それは。

もしかしたら、これから先もまた味わうことになるかもしれない、恐怖。

今度は、それが私に来るかもしれない。

でも、今は。

その貴重な本を読むことの方が、大事かも!


「ハンス、その本を貸していただいてもいいですか?」

「分かりました、お持ちいたします」

「えっと、ルイが帰ってくるのは夕刻でしたよね。それまでにはお返ししますので!」

「いえ、奥様。坊ちゃまにはもう、そのようなご心配は要りませんよ」

「そ、そうですか?」

「はい。ではしばしお待ちください」


しばらくすると、ハンスは箱に入った本を持ってきてくれた。

箱の中には、かなりたくさんの書物が残っている。

この国、というか、この世界で書物はとても貴重なもの。

印刷技術が発達していないので、手書きの一点ものが多くて、他国の品となればどれだけの金額がつくか分からない。

父でも書物を手に入れるのは、至難の業だ。


「すごいですね、貴重な本ばかり」

「はい。奥様が輿入れの際にご持参されました」

「そう言えば、お義母様って、どちらのご出身だったんですか?他国とは聞いていますが」

「それは、実のところ誰も聞かされておりません。髪色からして、東の方ではないか、と」


東の方。

お兄様が、ユーマにも言っていた。

あちらの方は、そうやって髪の色で出身地が分かるんだろうか?

でも、そうなるともしかしたら私のルーツもそちらにあるかもしれない。

正直、この国でこの髪の色の人をあまり見かけないのだ。

見かけた時に、珍しくて声をかけたら、白髪隠しで染めている、と言われてガッカリした。

赤毛のアンは、白髪隠しかよ……と。


「大旦那様は厳格なお方でしたが、大奥様のような大らかな女性を好んでおられました」

「ハンス、その言い方はちょっと気になりますね」

「さすがでございます、奥様。大旦那様は、大奥様とお会いになるまでに恋多き殿方で」

「え~、そういう話って、私が聞いてもいいような話ですか?聞きたいんですけれど」

「では、どこかの国を旅した騎士の恋物語とお伝えいたしましょうか」


ハンスはそう言って笑った。

この人は、本当にこの家のことをよく知っているのだろう。

どれだけ長い間をこの家で過ごしたのだろうか、と思った。


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