私とアリシアが、お父様を出迎えに行った時、すでに兄がそこに立っていた。
馬車のすぐ近くにいて、お父様の荷物を持っている。
こういう時だけ、行動が早いのだ。
「お帰りなさいませ、お父様」
「ん……?セシリア、なぜお前がここにいるんだ?まさかグラース家で失態でも犯してきたんじゃないだろうな!?」
帰ってきて早々に、父はそう叫んだ。
アリシアがムッとしたのを、私は見逃さない。
波風を立てないように、丁寧に説明する。
「お父様がいらっしゃらない間に、アリシアが怪我をしたんです。ルイフィリア様に許可をいただいて、戻って参りました。ちなみに、ルイフィリア様なら、あちらに」
「む!?いらっしゃっているのか!?」
「はい!」
来ていない、とは言っていない。
兄もそれは教えなかったのだろう。
父の荷物を持って、後ろを向いて笑っていた。
ルイは、と言えば、ドアの前に不機嫌そうに立っている。
腕を組み、お父様を睨んでいた。
「こ、これはグラース様!!娘がご迷惑をおかけしました!!」
「それは構わん。それよりも、俺の妻になる女に対して、言葉が過ぎるぞ」
「は、はあ……し、失礼致しました。その、娘は、不出来なところが多く……」
「そうか?セシリアはグラースの家でも、十分にやっていける器量のいい女だ。むしろそちらのカリブス殿を、どうにかした方がいいのではないかと思うがな」
褒められている。
ルイから褒められて、まあ、悪い気はしないな、と私は思った。
逆に兄は「ひどいよー!」と子どものように言っている。
お父様は、兄が騎士団にいたことは知らないだろうけれど、ルイの弟と同級であることは知っているはず。
「客人を連れてきている。商談相手だ。しくじるなよ」
「グラース様のお知り合いでございますか!?」
「いや。そのあたりで出会って、カリブスが家に入れた。他国からの貿易商だ。傭兵もやっているようだからな、下手をして首をとられるなよ」
「は、はい、心して……商談を、させていただき、たく……」
ルイの前で、あの父が小さくなっている。
いつもは家で大きく踏ん反り返っているような人なのに。
事業を幾つも手掛けてきたから、自信があるのは分かる。
でも、ちょっと態度が悪いのは私も気になっていた。
でも、やっぱり騎士団長という目上の地位にあるルイには、敵わないんだ。
それを目の前で見て、私は少し気分がよかった。
この調子では、筋肉隆々のユーマを見て、まともな商談なんてできないんじゃなかろうか。
「商談には僕も同席するよ。ユーマは僕の客人だからね」
「お前は黙っていろ。同席するなら、セシリアが同席すればいい」
ルイからきっぱりと、そう言われてしまった兄は、父の荷物をその場に落とした。
「え、ルイ、何を言ってるの?僕だよ?なんでセシリアなの?」
「自分の金勘定もできん奴が同席して、どうなる。それなら、セシリアの方が向いている」
「え~~!!なんでそんなこと言うのさぁ!!」
もう、子どもの喧嘩だ。
さっきはユーマと、今度は兄と。
ルイは、案外子どもっぽい。
マリアさんが言っていたのを思い出す。
私は、兄が落とした父の荷物を拾い上げ、アリシアと一緒に屋敷の中へ戻った。
これから始まるであろう、地獄の商談。
それに、父は耐えられるだろうか。
ルイの指示通り、私は商談に同席した。
兄は後ろの方でグズグズ言っているが、こんなだから事業ができないのである。
ルイは見届け人として立ち合うことを、ユーマから提案された。
騎士団長の立ち合いがあったとなれば、それだけで商談は成立する、と。
確かにそれだけの信頼を騎士団長は持っているだろう。
少しだけルイは嫌そうな顔をしたけれど、ユーマからの提案を飲んだ。
騎士団長の名を出されては、引けなかったのだ。
「え、あ、の、ユーマッシュ様は、ど、どのようなものをご所望で……」
筋肉隆々のユーマッシュを見て、すでに父は腰が引けていた。
確かに、彼はどう見ても商人ではない。
むしろ、傭兵だ。
兵士だ。
商談決裂の瞬間に、殴られそうな雰囲気だ。
父よ、頑張って。
ユーマの商談が成立したら、結構な額がうちに入るのは分かっていた。
「俺が探しているのは、海の花だ。今回のアンタの荷物の中にあるのは、分かっている」
「た、確かに海の花はございますが……すでに、買い手が」
「それも分かっている。こっちは国王の証明書も持ってきた。それから金だ」
「こ、小切手……!初めて見ました、小切手!!」
ユーマが出したのは小切手。
この世界でも、大きな金額になると現金でのやり取りはしない。
小切手を使用するのだけれど、小切手なんて発行できるのは国王か、騎士団長か、それくらいの地位がなければ無理だった。
つまり、うちのような弱小貿易商上がりの貴族では、無理な話。
恥ずかしいことに、父は初めて小切手を見て、興奮してしまっている。
光りに透かしたり、息を吹きかけたり、など馬鹿な行動をとっていた。
それを見て、ああこの人から兄は生まれたんだな、と思ってしまう。
「それから、今回この海の花を手に入れたルートも知りたい」
「それは……」
「アンタに損をさせるわけじゃねぇ。いや、むしろ、次に海の花を手に入れるなんて、アンタの人生じゃ無理だろう。海の花欲しさに海に飛び込んで、船ごと溺れちまうのが関の山だ」
「は、はあ……今回の海の花は、海の国にいる海の民から買い付けました。ですが、交換条件です。彼らは薬が欲しいと言ったので、薬と交換しています」
「海の民か……運がよかったな、オッサン」
オッサンって、子どもたちがいる前で言わないでくれるかなー。
でも、ユーマは本気の目をしていた。
彼の中では、今回以上の海の花が欲しいのだろう。
「今後も薬はうちで用立てます。距離を考えれば、その方が得策ではございませんか、ユーマッシュ様」
「へぇ……さすがは騎士団長が同席を勧めたお嬢さんだね」
私は、父が出し渋っているところを突いた。
確かに、今後も父が海の花を追いかけて海に出れば、いつか戻らなくなるだろう。
そういう曰くつきの花であることも確かだ。
それならば、海の民が欲しいと望んだものをこちらが準備する。
それをユーマに買ってもらえばいい。
「でも、こちらに薬屋はいるモンでね。別にこの家から買わなくてもいいんだわ。悪いね」
「父が扱っている薬は、すべてこの地域に原材料があります。だから、優先的にこの地域に卸されていることも、ご存じですか」
国で作られた薬は、すべて管理されている。
しかし、原材料を作っている土地は、少しだけ優遇されるのだ。
だから、父が貿易に持って行った。
この地域の名産である、とでも謳ったのだろう。
「……負けたよ、お嬢さん。薬は今後も、この家から買おう。こっちの国王と薬屋にも伝えておく。娘が帰って来てて運がよかったな、オッサン。娘がいなかったら、今頃アンタは大損食らってたぜ」
ユーマの言葉に、父は情けなくうなだれた。
本当なら、こういったことを兄にしてほしいのだけれど、兄は「そっかー!」とやはり子どものような顔で言うばかり。
なんなのこの人……!
「異論はないよな、騎士団長さんよ。嫁さんの実家が潤うなら、アンタも心配は要らないはずだ。俺は怪しい業者でもねぇしな。国王のお墨付きとあらば、心配は要らねぇ」
「俺からの異論はない。後は、供給できる数を話し合え。無理強いをして、契約破棄に持ち込むなよ」
「そんなことはしねぇさ。お嬢さん、アンタは頭がいいね。この地域は原材料がいいから、薬は高値だし、効力もいい。アンタが兄貴に代わって、仕事した方がいいんじゃねぇの?」
私の顔を覗き込むようにして、ユーマは笑った。
商談が成立したせいか、彼の緊張はすでにない。
私は、転生してからこの地域のことを調べまくった。
だって、転生した意味も分からず、何も分からないまま過ごすのが恐かったからだ。
だから、地域のことを調べ、何があり、どういうことが行われているのかを子どもの頃から知っている。
私は、別に頭がいいんじゃない。
ただ、恐がりだっただけのこと。
転生したと理解した時、私はこの世界がとても、恐かったのだ―――