『昔々、海の神様は、海にもお花畑が欲しいと思って、海にお花畑を作りました。でも、そのお花畑は、なかなか成長しません。海水で植物は育ちにくいからです』
『それでも諦めきれなかった神様は、花を成長させることに、長い時間をかけました。そしてついに海のお花畑を作ることができました』
『海の神様は、とても喜びました。そして花が咲く季節には、海のみんなにその花が行き渡るように海流に乗せて、流してくれるようになりました』
『それが、海の白い花です』
「って話じゃないの?子どもの頃に僕も聞いたなぁ、セシリアから」
「なんで、セシリアから聞いてるんだ」
「だって、あの子は本を読むのが上手いんだよ?使わない手はないだろ?」
なんて兄だ、と思いながらルイフィリアはユーマッシュの顔を見る。
ユーマッシュはその海の花を知っている、という。
海の花は、海を漂う真っ白な花で、それを回収する。
回収された花は、希少価値が高いとのことで、どの国でも高値でやり取りされるのだ。
「まあ、今回はそれが貿易船に乗ったと聞いたからなぁ。運がよかったわ」
「ふーん。まあ、もう少しすれば父上が帰ってくるから、色々分かるだろうよ。ルイは、父上に挨拶してから帰ればいいじゃないか。そんなに急ぐものでもないしね」
きれいなカップの中には、ぬるくなった紅茶が入っている。
ルイフィリアはそれを見つめてから、静かに視線をカリブスへ移す。
「挨拶はしよう。その後は、セシリアとすぐにグラースの家に戻るぞ」
「はいはい。せっかちなのは昔からだねぇ。でもさ、その海の花ってのは何に使うんだい、ユーマ。何かの薬になるの?」
「詳しくは俺も知らねぇけどな。でも薬になるのは確かだろうよ」
詳しいことを教えられていないのか、それとも理解ができなかったのか。
どちらなのかはっきりとしなかったが、ユーマッシュは海の花が何に使われるのかは知らないようだった。
横暴な客人が2人。
カリブスは久しぶりに家の中が、にぎやかだと思う。
こんなににぎやかなのは、久しぶりすぎて、面白い。
メイドの給金を払うのが苦しくなってきたから、と父はメイド長を辞めさせた。
優秀な人間を辞めさせ、安い金でそこそこの仕事しかしない者を雇う。
そんなことをするから、今回のようなことが起きたのだ。
そう思いながらも、家の金を増やすことができない自分は、意見も聞いてもらえないと分かっている。
「あの小さい嬢ちゃんは」
不意にユーマッシュが口を開いた。
カリブスがその顔を見る。
嫌な顔だな、と思った。
戦場でよく見てきた顔だ、と思う。
「あの小さい嬢ちゃんは、魔術師か何かなのか?」
「どうして、そんなことを聞くんだい」
「ん~、まあなぁ」
「まあなって、他人の妹を侮辱するつもりってことなのかな?」
「いや、あの嬢ちゃん……ずっと俺とアンタを殺そうとしてただろ?」
ユーマッシュの言うアンタ、とは、カリブスではなくルイフィリアだ。
ルイフィリアは視線だけを、ユーマッシュに向ける。
赤い瞳が、これ以上何も話すな、と言っていた。
「あの中身は何なんだ?」
◇◇◇
「アリシア、この刺繡はもうできあがりね。また今度新しいものを作りましょう」
「はい、お姉様」
「今晩の夕食は、お父様が帰ってくるなら、何を出したらいいかしら……」
私は、妹と時間を過ごしながら、もうすぐ帰ってくるであろう父のことを考えた。
父とは言っても、私と血縁関係はない。
私を養女に欲しい、と言ったのは母だと聞いているから、父にとって私は厄介者だった。
ルイとの結婚が決まって、それだけが救いというか。
彼と結婚することで、多額の支援を得られることだけが、父にとって私を娘にした意義になるだろう。
悪い人ではないけれど、いい人でもない。
商売は上手いけれど、子育ては下手だった。
「お姉様、お母様はもうしばらく、ご友人と旅行だと思います」
「ああ、お母様ね……本当に、旅行が好きで、お友達の多いこと」
「でもお元気な証拠です。お父様も家を空けておられることが多いから、家にこもっているよりは、いいのではないでしょうか」
「そうは言ってもねぇ」
母は、アリシアを大人にしたような感じの女性だ。
年齢の割にはとても若々しく、そして、私たち以上に【貴族のご令嬢】なのである。
どうやって父と知り合い、結婚したのかは分からないが、母の家はかなりの資産を持っていて、そこに生まれた末の娘だった、とのこと。
母の実家はすでに母の兄弟が整えており、嫁いだ母が心配することなど何1つなかった。
私とはまったく立場の違う人だ。
でも、私の赤い髪を見て「可愛い女の子が欲しかった」と言う。
それは、この赤い毛が可愛くないという意味なのか、可愛いという意味なのか、いまだに私には分からない。
でも、家にいると私やアリシアは、母の着せ替え人形だ。
髪型も流行に合わせて、とか、新しい飾りをつけて、とか。
一度髪が捻じれて戻らなくなってしまったことがあって、私はあれ以来、母の遊びに付き合うのが嫌でたまらなかった。
アリシアとは、別物。
別のお嬢様、お姫様。
でも私を選んで引き取って、育ててくれたから、文句は言えなかった。
結婚が決まった時も、ただ喜んでウェディングドレスはどうしましょうか、と言うだけ。
私と引き換えにルイからお金をもらうことなんて、夢にも見ていないんじゃなかろうか。
「お姉様は、あんなお母様でも平気なんですか」
「うーん、それを言われるとちょっと返答に困っちゃうわね」
「だって、私のことを育ててくれたのは、ほとんどお姉様じゃないですか。お母様はパーティーに出たり、時々は顔を出してはくださいますけど」
「うーん、うーん、そうなのよねぇ」
「お姉様がいなかったら、私はきっと……」
きっと?
そう言うアリシアの表情は暗かった。
こんな顔を妹にさせちゃダメだ。
私は、アリシアを抱きしめる。
「アリシア、お父様やお母様がどんな人であっても、あなたは何も変わらないわ。私の可愛いアリシアよ」
「お姉様……」
「あなたの笑顔が、私の支えなんだから!」
「はい、お姉様」
「学園に行くのも、もうすぐよ。サリーのことは辛かったけど、学園に行けばきっと楽しいことばかりになるはず」
はず。
ああ、いじめや陰口満載のところだけど!
でも、アリシアの輝きは消えないわ!
絶対に消えたりなんか、しないんだから!
「私、お姉様の妹でよかったです」
「どうしたの、急にそんなことを言って」
「……なんでもありません!お伝えしておきたかっただけですから」
微笑んで言うその顔は、少しだけ何かを隠している時の顔だと私は知っていた。
きっと、サリーのことは辛かっただろう。
そして、ルイやユーマの登場も、この子にとっては辛かったはず。
そうよね、自分の大事な家の中に、土足で入って来られたようなものだもの。
「アリシア、グラースのお家にはね、マリアさんっていうとても素敵なメイドがいるのよ。料理が上手で、なんでもできる人なの」
「あの、私が食べたお菓子を作ってくれた人ですか?」
「ええ、そうよ!この前、マリアさんと2人で作ったクランベリーパイなんて、最高傑作だったんだから!」
「食べてみたいです、お姉様!」
女の子は、甘いものだ。
お菓子の話をすると、アリシアは目を輝かせて、年齢相応の表情を見せる。
こういう顔をしていなきゃ、女の子はつまらないじゃない!
可愛い格好をして、甘いものを食べて、輝いて生きていくの!
「クランベリーがね、こっちではちょっと手に入らないの。だから何か別のもので代用できないかなって、探しているのよね」
「木苺なんて、どうでしょうか、お姉様」
「そうね、それはいい案だわ!」
2人で楽しく話をしていると、外から音がした。
窓から外を見れば、門が開かれ馬車が入ってきている。
ついに、お父様が帰ってきたのだ。