アリシアは、始終黙っていた。
とても静かにしていて、こういう時は貴族の令嬢として穏やかにしていることを、徹底しているのかもしれない。
でも、本来12歳と言えば、遊びたい盛りのはず。
この子も、本当はもっと遊びたとか、したいことがあるかもしれない。
ルイは、兄とユーマに挟まれて、大きなため息をついてはいるが、落ち着いた様子だった。
久しぶりに真面目に紳士のことを語る兄の姿を見て、兄も本当はすべきことがあるのではないか、と思う。
私は、殿方たちの喧嘩がおさまったので、アリシアを連れて行くことにした。
お茶を飲み終わった頃合いのアリシアは、少し暇を持て余しているかのような感じである。
「アリシア、部屋に戻りましょうか」
「はい、お姉様」
「刺繍の続きがあるでしょう。あれを完成させましょうね」
「分かりました」
笑顔を見せるアリシアを部屋に連れて行った。
「恐かった?」
廊下を歩きながら、妹に聞いてみる。
すると、意外なことに妹はそうでもなかった、という。
それには、私の方が驚いた。
「恐いと言いますか、野蛮だと思いました」
「あら。難しい言葉を覚えたのね」
「はい。お姉様がくださった本を読みました」
「勉強熱心なのはいいことだわ」
「……でも、グラース様がお姉様のことを、本当にお好きなのは分かりました」
うん?
あら、12歳の女の子が何を言っているの?
「グラース様があんなに必死になって、お姉様を奪われまい、としていたのが印象深かったです。あの方、本当にお姉様のことを、愛しておられるんですね……」
「あ、あ、ああ、アリシア!?」
「お姉様が、グラース様に大事にされている、というのが分かって、なんだか嬉しかったです。でも、やっぱり寂しくて」
12歳の女の子おそるべし!!
大人のそんなやりとりをしっかり見て、分かっている。
なんてことか。
「お姉様は、グラース様を愛しておられるんですね」
「ひぃえッ!?アリシア、その、そういうことは、アリシアにはまだちょっと早いと思うのだけど……!?」
「心配しないでください、お姉様。私は、まだ結婚のお話もいただいておりませんし、学園に入ることが決まっているので」
「そうだけどォ!!」
私は妹のこれからが心配だ。
色々なことがあって、この子も迷っているに違いない。
ああ、どうしよう。
アリシアが、どうなっていくのか、分からない。
「お姉様」
「アリシア……」
「幸せに、なってくださいね」
そう言って微笑んだ時のアリシアは、とても可愛らしい笑顔だった。
とても可愛くて、私の理想の中のアリシアだ。
「でも」
「でも?」
「グラース様は少々野蛮な殿方だと思いました。お姉様のことで腹が立つのは分かりますが、他人の家の敷地で剣を抜くなんて。ですから、お姉様はいつでも、いつでも、この家に帰ってきてくださいね!」
「え、ええ……」
妹の可愛らしい顔の中に、悪女が見えた。
そう、私にははっきりと見えてしまった。
妹は、ルイを認めたわけではなく「仕方なく今の状況を受け入れる」と決めただけなのだろう。
これは、きっとそのうち、ルイとアリシアの戦争が勃発しそうだ。
そして、そこに兄とユーマが横やりを入れる。
悲惨な未来が来そうで、私は刺繍針の先を指に刺してしまうくらいだった。
◇◇◇
「君さ、その髪の色や体格から見て、東の方から来たんだろ?」
「へぇ、アンタそんなことまで分かるのかぁ」
カリブスの言葉に、ユーマッシュは驚いたように答えた。
商才はない男だが、やはり剣士としての能力は高く、相手の様子をよく観察し結果を導き出すことが上手い。
同時に、彼が考えていることはルイフィリアも気づいていることだった。
恵まれた体躯は、生まれ持ったものだけではなく、東の国に伝わる戦術によるものであり、髪の色は一族の人間を見分ける為に染めているもの。
伝説に近いような存在ではあったが、騎士団で様々な経験をしてきたルイフィリアとカリブスは、知っていたのだ。
「俺の母親は、暗殺を生業にする一族でなぁ。まあ、母親が死んじまってからは1人で生きてきたもんでね」
「暗殺稼業の傭兵なのかい?面白いねぇ」
「俺を雇うのはお高いぜぇ?まあ、今は専属があるからな。余所にはあまり手を貸さねぇことにしてんだわ」
「君を専属に?ふーん、そんなことができる人間がいるんだね」
まあね、とユーマッシュは濁した。カリブスは逃げられた、と思う。本来ならば彼の雇い主について、もっと知りたかったのだ。
父のところへ商談に来る者は多いが、他国から来る者は少ない。特に、こんな明らかに傭兵で、屈強な男が、わざわざ貴族の貿易商に会いに来るわけがない。ユーマッシュは、今回父が手に入れた商品を買い付けに来た、とだけ言うが、事実かどうかも怪しいものだ。
ウォーレンス家の貿易は、驚くほど大きいわけでもなく、大したものでもない。日用品であったり、生活に必要なものの原材料などを輸入することが多いくらいだ。それを卸し、生計を立てている。
最近は物価が高騰していることや、貿易相手が減ってしまったことでの打撃を受けていた。慎重派の父は、あまり多くの貿易相手を持たない。その為、相手の国で内乱が起きたり、戦争など問題が発生すれば、すぐに客は減った。客が減れば、収入も減る。
「仕事が終わればちゃんと出て行くさ」
「本当だな?」
念を押して聞いたのは、ルイフィリアだった。
ユーマッシュがセシリアに手を出そうとしている、と認識してしまった彼は、恐ろしい赤い目で、彼を睨む。
「出て行く。言っただろ、俺の雇い主がいるって。専属なんだから、俺が帰らにゃ、向こうも仕事が進まんのよ」
「セシリアに手を出したなら、その両腕、斬り落としてやる」
「あー、あれね。まあ、嘘じゃねぇけどさ。まあ、俺の雇い主にアンタの嫁さんが似てただけだわ」
「そんなことが理由になるか!」
「うーん、そうだなぁ、似てるんだよなぁ。髪とか、目とかさ。ま、こっちの葉もっと子どもみてぇな顔してっけどな」
雇い主の話をする時、ユーマッシュは初めて本当の笑顔を見せたような気がした。
カリブスは、彼が本音をこぼすところを逃さない。
きっと、話は本当だ。
正式な契約をしている雇い主が、国外に存在していて、その存在はかなり地位をあるのだろう。
ユーマッシュの強さは、ルイの剣を短剣で受けていたことでカリブスにはもう把握できていた。
この男は強く、頭が切れて、普段の様子は本来の自分を隠す為だ。
その方が上手く動けると知っている顔。
「セシリアみたいな芋が他所にもいるんだねぇ。不思議な話だ」
「あー、その表現!分かるかも!そう、なんか、芋っぽいのな」
カリブスが冗談じみた言い方をしたが、怒るでもなくユーマッシュは笑った。
「でも、最高に面白くて、最高に美味い芋だわ。そういう女が世の中にはいるんだよなぁ、これがさ」
「ふーん、そうくるかぁ」
この男は、やはりただ者ではない。
優秀な傭兵、もしかしたら暗殺者。
剣も強ければ、筋肉もある。
馬鹿なフリもできるし、人の話にも合わせられる。
どこかでそれを学び、鍛え、繰り返し刷り込んできたのだろう、と思った。
傭兵だからできることではない。
彼が、彼だからできることであり、それだけの経験をしてきたのだろう。
「じゃあ、今回君が父から買いたいモノって何なの?」
「ん、そうだなぁ。ここでバラすと俺もあぶねーんだけど」
「あはは、ユーマは強いのにそんなこと言うの?」
「それだけの代物ってことだよ」
それだけの代物が、本当に父の手に渡っているのだろうか。
カリブスは、少しだけ嫌な予感がした。
「それはな、海の花だよ。知ってるか?ある一定の海流に浮かぶ白い花。本来はどこかの島に生息していると言われるが、島にはたどり着けない。だから、海に流れてきたものを収穫するしかないってヤツだ」
「馬鹿らしい。それはただの伝説だぞ。花を辿って、悪魔の住まう島に行ったという冒険談は、子どもの寝物語だ」
ルイフィリアが言うと、ユーマッシュの視線が彼を刺した。
その目は、まさに暗殺者。
人を殺してきた人間がする目。
「俺は昔、その花を収穫したことがあるんだわ。今回は自分で行くのが面倒だから、買うってだけ」
「ちょ、それって本気かい?海の花は、海をよく知る海賊だって見つけられないって伝説の花なんだよ?
カリブスが聞くと、そうだよ、とユーマッシュは笑った。